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自分がコントロールし得ない範疇のことは考えない。

6月22日(土) 夜 山羊座 満月

書き出しが猫のことばかりになる。よく猫の後頭部のにおいを嗅いでいます。癖になる。動物のにおい、たまらない。実家で飼っていた柴犬の肉球のにおいもよく嗅いでいた。トウモロコシのにおいがした。
後頭部にしても肉球にしても、こちらを許してくれていないと叶わない場所なので、動物が私を受け入れてくれているという現実が、においと共にさらに幸せな気持ちにさせてくれる。

言葉を大切に大事にしているのだけれど、自分の心境、状況に応じてもらいにいく人が変わる。その中の一人が、コラムニストのジェーン・スーさん。長らくお名前は知っていたけれど、これまた砂鉄さんのラジオにゲストで出た回で、その言語化能力に惚れた。それ以降、あらゆるところにでているスーさんの言葉にすくわれにいっている。

(こうして砂鉄さんのラジオを広めていく所存。)

そのスーさんが、自身のラジオの相談コーナーでよく言う「自分でコントロールできない範囲のことは考えない」という話。ずっと、「うんうんそうそう。そりゃそうだよね。」と当たり前のこととして、自分はできていると思って対岸側のつもりで聞いていた。
けど、ここひと月くらい、結構自分でコントロールできない範囲のことまで考えてしまっていることに気づいた。本当にあるあるだけれど相手の反応や気持ちまで考えてしまって動けなくなる(もしくは動きが鈍くなる)という現象がいくつか起きていた。こうなると、動かないくせに、自分の思い通りにはしたくて物事に固執するような自分になりがちで、あまり好きな状態ではない。

何で気づけたかというと、このnoteのおかげだと思う。
この先文章にしておきたいなと思っていることの一つに「相手のことはずっとわからない。」というテーマがあるのだけれど、そのテーマを書きたいと思っているにも関わらず、相手の反応を考えすぎている自分の中の矛盾に、毎日文章を書いている中で急に気づいたのだ。それが昨日、夏至の日。
これは何も人に限ったことではなくて、予測できない未来に起こるものすべてにおいてだとも気づいた。

こう書いていて、自分でも「当たり前だろ」とも思うけれど、思うのと実感するのはまた違う。今回は実感。腑に落ちた。
”薄々分かっているけれど、考えてしまう状態”から、”自分の考えていることにフォーカスする状態”に変化できたおかげで、頭の中にかなり余白ができた感じがする。さっそく、その余白に入ってきたものもある。気づき/腑に落ちるからの、現実になるスピードが速くて驚く。
これまた書くと当たり前のことにしか聞こえないけれど、結局これって、自分を軸にするってことなんだろうな。まず自分があって、自分がどういう気持ちか、どんな状態かを知る。そこから行動をする。その先のことは考えない。身をゆだねる。色んな経験から、未来を予測する癖がついてしまって、動けなくなること、またあるかもしれない。その時はこの自分の文章をまた読み返してみたい。

最近少しずつ学んでいる占星術、今回のこの腑に落ちる経験を自分のネータルチャートという生まれた時の星の配置に照らしたら、柔軟宮のサインが多くてなかなかに納得した。融通性と変容性に富むが受動的・自己矛盾が多いなど。星読みができるようになったら、誰かのこういう思考の手助けを星をつかってやりたいなと思う。

今日もやっと書けた。何のためにとか、誰のためにとか考えず、習慣化したくて始めたnoteだけれど、今回のこの腑に落ちる経験も、手帳に書き連ねていたら気づかなかった事かもしれないと思うと、書くことに理由や意味ができはじめたのかもしれないと思えて嬉しい。寝ます。


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