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良いメンターの選び方

河北さんとお話をした。
私は河北さんが好きだ。
河北さんは一生懸命話を聞いてくれるし、自分が勉強した知識だけでなく、自分の感覚をちゃんと働かせて鋭いコメントをくれる。
私は河北さんをメンターにしたいなと思ったけれど、いかんせん今は自分のために使えるお金は限られている。
悲しいけれど、今はお預け。
今は心から河北さんを応援して
いる。
でもいつか、河北さんをメンターにしたい。
そう思わせる人だ。



メンターとは何か。

メンタリングとは、新入社員や後輩に対して、上司による指示とは別に、先輩社員が助言・指導する行為や人材育成手法のこと。指示や命令によらず、メンターと呼ばれる指導者が、対話による気づきと助言により、被育成者たるプロテジェないしメンティー本人と、関係を結び自発的・自律的な発達を促す方法である。

Wikipedia


ということらしい。

メンターの選び方にはいろいろあるだろうけれど、
ベテランのコンサルタントやカウンセラーが必ずしも自分のメンターになるとは限らない。
要は、

合うか合わないか



それだけだと思う。

これは私の私見だけれど、悩み事の答えを、メンターが持っているわけではない。
答えはどこまで行っても、自分の中にしかない。
言い換えると、もう欲しい答えは自分の中にあって、それを自分の言葉で話し、自分で認めることで初めて納得できるのだと思う。
それを「見つけてもらう」とか「背中を押してもらう」という表現にすることもできるけれど、自分の内面を言語化できる私たち大人は、他者にそんなことしてもらわなくても、本当はもう自分の答えを自分で知っているのだ。


良いメンターとは、
自分の経験から答えを教えたりメンターの望む方に誘導するのではなく、

相談者の鏡となれることだ。


と、私は思う。


私が今日得た答えは

「休む」

ことだ。
薄々自分でも気が付いていた。
いや、本当は自分でハッキリわかっていたのだ。
でも、なんだかんだと理由を付けて、それを押し込めていた。

だって不安だから。
休んだことがないから、休んだらどうなるのか怖い。
体験したことないことは怖い。
予想がつかないことは怖い。


でも多分大丈夫なんだ。
それもなんとなく自分の感覚で知っているんだ、本当は。
いろんな人への言い訳のために、私は止まらずにきたのだ。
何もやらない私は無価値な気がするから。

息を吸って吐くだけの、生きてるだけの私は本当に無価値なのか。


今私は、それをドキドキしながら乗り越えようとしている。


私はそのことが河北さんという鏡を通して見えたし、河北さんに勇気をもらえて「もうやるしかねぇ」と思ったわけだ。


コーチでもない、カウンセラーでもない、コンサルタントでもない河北さん。
コーチでもあり、カウンセラーでもあり、コンサルタントでもある河北さん。

これを読んでいるあなたは、起業家かそれとも人生に悩める人か。


とにかく誰にとってもメンターはいる方がいいと思う。


あなたにとっての「河北さん」は誰ですか?


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