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メンターをつけて3ヶ月、私に起きた変化




🔸メンターをつけて、3ヶ月が過ぎた


メンターをつけると決めて契約して、セッションが始まって3ヶ月が過ぎた。
振り返りも兼ねて、メンターをつけたことでの成果と変化をまとめておこう。



🔸そもそもなぜメンターをつけたのか


冒頭に貼り付けた記事には、河北さんをメンターにしたのは「ライフコーチになることを決めた」からだと書いてある。


そうだったのか。


忘れてたくらいなので、それが本来の目的でないことは明らかだ。
いや、当時の私は本気でそう思っていたのかもしれない。
それに、河北さんにも、

「やっぱり相談業をやってみたいので、それをまとめるのを手伝って欲しい」

と、最初にお願いしたことを覚えている。


そう、私は、以前から「相談業」を仕事にしたいと思っていた。
コンサルティングとか、カウンセリングとか、そういう仕事いいなって思ってた。

数年前から、何回もそう思って、そのためにコンサルタントをつけて、Kindle出版までした。


それなのに、その憧れの相談業をスタートできずにくすぶっていた。
販促ができないとか。
集客動線が作れないとか。
システム構築ができないとか。
なんだかんだと理由をつけてやらなかった。
というより、なんでかわからないけどやる気になれなかった。
やろうと思えば、そんな今時なスマートなやり方じゃなくても、もっと泥臭いやり方でも「とりあえず始めてみる」ことはできたはずなのに、どうしても自分の中にある違和感を拭えず、動き出せなかった。


「やっぱり、そこまでやりたいことじゃないのかも。これ以上忙しくすることもできないし、地道にコツコツシステム構築するとかできないし、やっぱりやめておこうかな」

と、いつも蓋をして、しまいこもうとしていた。


だけど、何度も「やっぱり挑戦しようかな」という気持ちになる。
だったら人生後悔しないために、一度は挑戦してみよう、そんな時に出会ったのが河北さんだった。


🔸駆け出しコーチだった河北さん


河北さんを知ったのは、noteだった。

そして、河北さんと話してみたい、と思ったのは、この辺りの記事だった気がする。


嘘くささがなかったんだよね。

ある日、河北さんの記事が関西弁になった。
ちょっとその変わり目の記事が見つけられなかったんだけど、河北さんは何かを吹っ切ったみたいだった。
それで、私はますます河北さんの記事を読むのが楽しくなった。

それで、私は河北さんとしゃべってみたくなって無料セッションに申し込んだ。


私も曲がりなりにもビジネスをやっている者の端くれなので、無料セッションを受けたその後がどうなるかはわかっていた。


でも、私は河北さんと話してみたかった。

だから、無料セッションに申し込んだ。


コーチとしてまだ駆け出しだった河北さんと話して、私は得るものが多かった。
変な日本語。
でも、私にとっては正しい表現なのだ。


新人だから擦れてない、というのとは違う。
河北さんは、河北さん自身が悩み、ぐるっと何周もしてきたからこそ、多分今のコーチングスタイルになって、型にはまってなくて、そのやり方はただ「河北さん」なのだった。


河北さんのことを書くといつもラブレターのようになってしまう。
そんなこんなで、その後悩みつつも、結局河北さんをメンターにすることに決めたのだった。


この人のセッションを受けたら、自分が変われるかもしれない。
そんな期待もなかったわけじゃない。


でも、そういう過度の期待は大概外れるものだということも知っている。


だけど、私は、河北さんと話したかった。
河北さんと話すことで、自分に潜っていくことができる感覚があったからだ。
それは冒頭記事にも書いている通り。



私は知りたかった。
私はどうしてこんなにも満たされない気持ちでいるのか。
私は本当は何を欲し、何を望んでいるのか。
私はなぜこんなに生きづらいのか。


河北さんは、答えをくれない。
それも過去書いた通りなので割愛。
でも、確実に写し鏡だった。


🔸3ヶ月のまとめ

話が戻るかもしれないが、河北さんとのセッション開始時、私は相談業を形にするつもりだった。
だけど、一応設定したそのゴールは、割と早い段階でゴールじゃなくなった。
というか、私がクリアしなければならない課題はそういう「ガワ」の問題じゃなかった。
そこに向き合わないと、私は何の仕事をしても同じだ。



3ヶ月で私がたどり着いたのはここだった。


それで、じゃあここから自分を変えていこうとか、思考を入れ替えようとか、そういうメンタリズム的な話ではない。
もう42年生きてきたら、ある程度自分という人間が分かってはいて、どんな課題を抱えているかもわかっている。
肝心なのは、それをどう扱っていくか、どう付き合っていくかなのではないか、と思っている。


仕事は、してもしなくてもいい。
置かれた状況によるけど。
特に、私のような結婚して子育てをしているような人間は、もはや自分だけのことを考えて決められる状況にない。


優先順位を決める。
これからの生き方を考える。
確実に死に向かって進んでいく残りの人生を、私はどう生きたら「ああ、楽しい人生だった!」と言って最期を迎えられるのか。



ここまで長々と書いてきた割に最後がつまらない結びで申し訳ないんだけれど、私が決めたのは、


「自分自身の思考の全てを商品にする」


ということである。


この結論を出すのに、何年もかかった。
何年もかかって導き出したのがこの結論だ。
何年もかかって導き出せなかった結論を、河北さんとの3ヶ月が過ぎた頃、突然そういう気持ちになった。


言っておくが、「自分自身の思考の全てを商品にする」ことは「自分の人生の全てである」とイコールではない。
つまり、仕事=生きる とはしない、ということが言いたい。

ただ、生きていることそのものが、家族以外の誰かの役に立つことがある。


自分の生き様が自然な形で仕事になればいいなと思ってる。


メンターという存在は【壁打ち】である。
と言ったら失礼かもしれないけれど、じゃあメンターを持たずして、壁打ちができるだろうか。
深い対話とでも言い換えられるであろう壁打ちにこそ、計り知れない価値がある。

とにかく私は3ヶ月河北さんと対話を重ねてきて、今確実に自分に変化を起こそうとしている。
変化が”起きた”ではない。
”起こそうとしている”のだ。

どう生きたっていい。
自分の人生なのだから。
ただ、何かを決めて行動を変えるには、「覚悟」が要り、それはとても怖い。


さて、私は変化を起こそうとしているが、多分一気にはできない。
怖いからね。
でも、徐々にでも、やることにしようと思う。
「やることにしようと思う」という表現はまだブレブレな気持ちの表れである。


河北さんとのセッションは続く。
私はもう結構整ってきている。
ここからは、形を作っていく段階かな、と思っている。
通り過ぎたように思えても、また同じようなところでつまずいたり悩んだりするんだろうけど、納得いく日々を過ごしたいから、行きつ戻りつしながら、少しずつ前に進むのだ。


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