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ご報告。

河北さんが、メンターになりました。


河北さん↓


河北さんは、私よりおそらく10歳以上歳下なんだけど、
河北さんの生き様を、私は尊敬している。
私は河北さんをnoteで知ったわけだけど、河北さんの文章が好きだし、話してみても文章とのギャップが無くて、そして視点が鋭くて、この人の嘘くさく無さがすごいと思った。



尊敬に、歳上も歳下も無いんだな、ということも知った。



それでさ、こんな風に、歳下も歳上もなく河北さんのことを素直に尊敬して、河北さんをメンターにしたいと思った自分も、なんかいいなと思ったんだよ。



それでね、河北さんをメンターにすることに決めたのは、私がライフコーチになることを決めたからなんだよね。
ライフコーチ。
人生を真剣に良くしたいと思う人と対話する人。
私の中ではそういう位置付け。


子どものことがいろいろあって、八方塞がり五里霧中で暗中模索、ああもういっそこの子を殺して私も死のうかと追い詰められた日々。
それでも私は今より楽しい未来を諦めなかった。
それは私が明るい前向きな性格だからというわけでは全くなく、根性があるわけでもなければ打たれ強いわけでもない。

ただ、
「死にたい」と「死ぬ」の間には小学校の築山とエベレストくらいの差があって、こんなとこにこんなこと書いてる私は死ぬ勇気もなく、辛い辛いと嘆いていても、それでも子どもと共に生きていかなければならない。
それならば、やっぱりできる限り楽しく生きていきたいなと思う。


『楽しく生きる』


それは、自分にとってなんなんだろうか。

私は河北さんとお話しして、「休む」という選択を、一旦、した。
ただその「休む」ということは、「何もしない」ということでもなかった。
今、苦しいと思ってる生活を、なるべく休む。


お金を稼ぐこと
働かなきゃという思考


から、一旦降りることだった。
結果的にね。

「休む」と決めたら、やりたいことが見えてきて、それは「稼ぐ」とは別のところで、ただやりたいことだった。
だからそれを新たにやることにした。

「やった方がいい」
じゃなく、
「やりたい」
という気持ちを持てたのはいつぶりだろう。
中学生ぶりかも。

そんな気持ちを、まだ、そして、また、持つことができたのは、純粋に嬉しかった。
私は自分の打算のない好奇心と向上心を、懐かしく、キラキラとした気持ちで迎え入れた。
その出来事は、母としてじゃなく、仕事人としてでもないただの人としての私に自信を取り戻せた出来事だった。



子どもと共に小1の壁にぶつかった。
子どもが登校渋りになり、不登校になりかけた。そしてそれはまだグラグラな橋を渡っている状態。
子どもの発達障害が判明。特性との付き合い方を模索中。


こんなふうに一気にいろんなことがやってきて、働くことを諦めかけた。
だけど、働くことを辞めたいと思ったのは、本当に子のためなのか?という想いも同時に抱いた。
働くのも子のため。
働かないのも子のため。
どっちにしても、私は文句を言う。こんな毎日、嫌だなと思った。
私は、自分の意志で働くのか働かないかを決めねばならない。
だって私の人生だから。
選ぶ権利は私にある。
働かなくても生きていけないわけじゃない。
時々口をついて出る「働きたくて働いているわけじゃない」というセリフの奥底にある、自分の気持ちは何なのか。
深すぎて、自分では潜っていけなくなる感覚がある。


だから、メンターはいた方がいい。
メンターは答えを教えてくれるわけじゃない。
メンターは鏡だ。

要は、【メタ認知】なのだ。
メタ認知が得意な人は、メンターいなくても大丈夫。
俯瞰で、客観的に自分を見られる人は、メンターいなくても大丈夫。



私は、河北さんみたいなコーチになりたい。
河北さんは、河北さんそのものが商品なのだ。
河北さんには、小手先のテクニックがない。
その潔さがかっこいいのだ。



発達障害児、特性の強さや出方はそれぞれで、育てる親の苦労もそれぞれだ。
悩んでる人、多い。
そりゃ悩むよね。
だって自分とちがうんだもん。
わかんないんだもん。
そんで、時間もエネルギーもめっちゃ削られる。
子育て中のお母さんは自分のこと後回しになるけど、子どもの成長と共にだんだん自分の時間が増えていく。
発達障害児のお母さんは、なかなかそうはならない。
そして「お母さんが心身共に健やかであら【ねばならない】」と言われる。
お母さんが明るく元気なのが一番だよって。
この状況下に置いて、明るく元気って…どうやって…?
そんなことを思いながら、浮かんだり沈んだりしながら、それでも毎日はやってくる。
死ぬこともできず、生きていく日々。
本当は周りからそんなプレッシャーかけられなくたって、私は明るく元気に生きていきたい。
夢を持ちたい。
叶えたい。
子どものお母さんだけじゃない、自分としての人生を全うしたい。
どうする?
どうやって?


答えは全て、自分の中に。
本当はもう知っているはず。
潜って取りに行けばいい。
どうやって?


言葉を辿れ。
思考を辿れ。
途中、潜るのが苦しくなる。
選択に迷う。
それでも、自分の声がする方を選んで、潜り続ける。



今、私はここ。
家族や近しい友人には言えないこともあるし、こんな思考を理解してもらえるとは限らない。

素潜りをする人が、ロープを頼りに暗い海の中に、記録を目指して潜っていくでしょ。
あれ、ロープがなかったら怖いよね。
水面に帰ってこれないかもしれないよね。てか多分方向わからなくなって帰ってこれないよね。
私にとって、河北さんはそのロープなのだ。
だから怖いけど、河北さんというロープを頼りに、でも自分で自分の答えを取りに行くのだ。
河北さんは、私の答えを持ってない。
それでいいのだ。
100m潜って私が答えを取ってこれたら、そこで河北さんとのセッションは終わりを迎えるかもしれない。
でも私は、200m潜りたくなるかもしれない。
その時私が必要とするメンターは、河北さんじゃないかもしれない。
それでいいのだ。

それでいい。



私は、発達障害児ママがもし何か症状を持っていたとしたら、それを治すことはできない。
子どもの現状を変えることもできない。
ただ、そのママが、自分の人生諦めずに、前を向いて明るく生きていきたいな、そのために、自分を整えて、人生を楽しく生きたいなと思った時、私を使ってほしい。
その答えは、働くことかもしれない。
起業することかもしれない。
働くことを辞めることかもしれない。
あなたの人生に、仕事はなくてもいいのかもしれない。

とにかく一緒に、励まし合いながら、明るく元気に生きていかないかい?
這い上がってみないかい?


そんなことが言いたくて、そういうコーチングをしようと思う。

「自分を整える」

この言葉の意味がわかる人とは、きっと一緒にやっていける。



そんなことを日々考えていて、本当はビジネスアカウントを作り直そうかと思ってたんだけど、ガワを「整えよう」と思ったら思考が止まり、発信も止まってしまった。
だからとりあえず、このままべにはるかのまま、ぐちゃぐちゃなままでもコーチングを始めてみることにする。


おわり。


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