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罪深き救世主④


「本当か?!!」

 理一の声は家中に響き渡る。休日の朝であることを考えると、おそらく向かいの家からもはっきりと聞こえたことだろう。

「ちょっと! 声が大きいよ」
「ごめん!」
「直接会って話を聞いた方がよいと思ったから今日会えるようアポとってあるのよ」
「おお! あずみ! ありがとう。兄としては情けないと思うけど、お前は本当に頼りになる」
「感謝してよね。できのいい妹がいてよかったね」

「自分で言うか。この! でも助かるよ」


『例外』とは〇〇駅から徒歩で二分のところにあるカフェで待ち合わせになった。もちろん相手を待たせる失礼を避けるため、約束の時間より三十分ほど早くカフェに到着して待つことになる。
「お兄ちゃん! いちおうその人のプロフィールを簡単に言っておくね」
「おう、頼むよ」
「佐々木猛。四十五歳。都内のバス会社勤務。ちょうど十二年前まで〇〇畜産勤務。九年間の食肉製造現場の経験あり」
「…………」
「あと、聞きたいことは本人に聞いてみるといいわ。是非協力したいとのことよ」

 しばらくすると一人の男が近づいてきた。見た目はいたって平凡だが、芯の強そうな顔つきと強い意志を感じさせる瞳が印象的だ。
「あの、失礼ですが、電話でお話頂いた深見さんでしょうか?」
「はい、私が電話した深見あずみです。佐々木様ですか?」
 とあずみは言いながら立ち上がって理一と一緒に頭を下げた。
「はい。初めまして」

 佐々木は明るく歯切れの良い声で、さわやかな笑顔を浮かべながら軽く頭を下げた。
 思わす、理一もあずみも笑顔になって会釈する。
「初めまして。こちらが電話でお話した私の兄の理一です」
 あずみがそう答えると理一はもう一度頭を下げた。
「初めまして。深見理一です。この度はお忙しい中、私のために時間を割いていただいて本当にありがとうございます」

「いいえ。とんでもない。同じ恐怖を味わっている人をほっとけないだけなんです。私から進んで協力したいくらいなんですよ」
「それは本当に助かります。あ、気が利かなくてすいません。どうぞお掛けください。冷たい飲み物はいかがですか?」

「それではアイスティーを頂きます」
 佐々木が向かいの席に座るとあずみは気をきかせて店員に注文する。

「今日のような猛暑日にわざわざ出向いていただけたことに深く感謝いたします。では、さっそくですが本題に入らせていただきます」
 理一がそう挨拶すると、佐々木は笑顔から一転真剣な表情になり話の先を促す。
「どうぞ。遠慮はいりませんよ」
 理一も笑顔は崩さないが、やはり真剣な眼差しを佐々木に向けた。
「まず、佐々木さんは今の私と同じ状況だったということですが、その辺のお話から聞かせて頂けますか?」
「わかりました。では順を追ってお話します。私は今から二十四年前に畜産会社の食肉生産ラインで働いていました。その時に嫌な噂を耳にしたのです」
「……というと?」
「屠殺現場に直接かかわると高確率で突然死する。しかも最初に関わってから十二年後ちょうどにというものなんです」
「実は私もその辺に興味があって独自に調べていました。その噂の信憑性はかなりあると思っています」
「やはりそうでしたか。妹さんからある程度のお話をお伺いして、これは? と思ったのです。それでですね。これも噂と一致するんです」
「…………」
「イノシシ年に限って起こる。両親と祖父母が全員健在。そして、本人がベジタリアンであること。あなたがどうやって知ったのかはわかりませんが、これは事実です」
「正直言うと、わずかな希望も打ち砕かれた気分です。やはりこれは逃れられない運命なのでしょうか?」
「大丈夫です。私はかつてその条件にぴったり当てはまっていたんですから」
「えっ?! でもあなたは今ここに生きていらっしゃっている」
「そうです。幽霊ではありませんよ」
 と言って佐々木はニヤリとした。
「何故なんです? 死を免れる方法があるのですか?」


 数秒の沈黙のあとに佐々木は語り始めた。
「……あります」
「あるんですか? 一体どんな?」
「……その方法はですね。ベジタリアンをやめることです」

「…………」

「僕にはそれは難しい。というより無理です」
「克服しないと死ぬのですよ? ……と言っても難しいというのはかつて私もそうだったのでわかります」
「口に入れただけで激しい吐き気に襲われるのです」
「そうでしょうね。そこで私の克服した方法をお話します。参考になればよいのですが」
「お兄ちゃん! 命がかかってるのよ!! しっかりしてよ」
 あずみが口を挟む。
「だけど……」
「佐々木さんはどうやったの?」
 あずみは窓から差し込む日の光を髪にキラキラと反射させながら大きな瞳で佐々木を覗き込んだ。
 すると一瞬佐々木はどぎまぎしながら、答え始めた。
「銀座にある紹介制の店なのですが、一晩で最低十万円は支払うと言われる最高級の牛肉料理を食べに行ったのです。食べれなければ高額のお金が無駄になります」
「食べたとしても無駄になりそうね。一般人なら六本木のウ〇フとかそこらで十分だと思うわ……あら! ごめんなさい」
 横から思わずあずみが口を挟む。
 あずみにチラッと視線を送り微笑むと佐々木は話を続けた。
「支払総額が十万を超えること、自分の命がかかっているかもしれないことを考えると、ここで負けられないという気になりました」
「そうですよね。普通はそう考えます」
「目をつむって、口に少しだけ放り込みました。だけど、口が固まってしまって動かない。吐き出そうかと思いましたが、不思議なことが起こったのです。何と肉を噛み始める私がいたのです」
「なるほど。なるほど。そうよね。自分のお金と命がかかっているならそうなるわよね。お兄ちゃん。そう思わない?」
「それはそうだけど……」
「じゃあ、行きましょう! 高級な牛肉でも食べにね。わたしも一緒に行ってあげるね」
「お前なあ……。いい加減に」
「じゃあ、決定ね」
「佐々木さんも付き合って頂けるわよね」
「いいのですか?」
「だって、人の命がかかった一大事なんですから」
「ではお言葉に甘えて」


 理一は力なくつぶやいた。
「おい、勝手に決めるなよ……」



(つづく)


※画像は『色恋沙汰の音沙汰<初回限定盤>』空想委員会(Official Website|http://kusoiinkai.com)のEPジャケットより。

ご褒美は頑張った子にだけ与えられるからご褒美なのです