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罪深き救世主⑤


「お兄ちゃん! お店予約したからね。お金の準備は大丈夫だよね」
「いくらだよ!」
「三十万円あれば大丈夫じゃない?」
「…………」
「クレジットカード使えるから大丈夫でしょ?」
「そういう問題じゃ」
「あ、そうだ! 佐々木さんにも連絡しとかなきゃだね。そのお店はね。紹介がないと入れないお店なの。だから佐々木さんが一緒じゃないとダメなのよね」
「おい! 勝手にすすめるなよ! 三十万円なんて大金、一晩で使うって普通じゃないだろ?」
「あら、なに? 文句があるならやめとく? じゃあ、お店の予約は取り消して葬儀屋に予約でも入れとこうかしら」

 自分の命がかかっているので、理一はいつものように反論できない。ここは妹に身を委ねて言うとおりにするしかないと観念するべきなのだろう。
「キャンセルは無しだ。お前の言うとおりだよ。死んだらお金もへったくれもないしな。それに残り時間も少ない……」
「そうそう。もう少し大人になりなさいね。聞き分けのない駄々っ子なんてやーよ」
「わかったから、その辺にしてくれないか」
「はーい」
「あずみ。その予約した店って都内にあるのか?」
「そうよ。銀座にあるの。銀座駅から歩いて五分ってところかしら」
「予約した日時はどうなってる?」
「今晩八時からよ」
「わかった。じゃあ、よろしく頼むな」


 夜の銀座。この街は独特の雰囲気が漂う大人の街に変貌する。ここではたくさんの人達がその綺羅びやかな人生を謳歌しているのだろう。今日はそのうちの一人として参加しようとしている理一であった。
 理一はスマホを取り出して時間を確認した。午後七時四十分。
 佐々木とは現地集合ということで店の前で待つように言われている。
「お兄ちゃん。今の気分はどう?」
「素直にワクワクするとは言えない複雑な心境だよ」
「私はね。楽しみで超ハイテンションよ! 久しぶりよ。こんなの」
「それにしても高級店と言う割には造りが手抜きだな。裏組織の隠れ家みたいだよ」
「どういう例えよ。そういうのがいいんじゃない。あ! あれ佐々木さんじゃない?」

 黒塗りの高級車から紳士が降りて理一たちに近づく。
「今晩は。お待たせしたかな? じゃあ、入ろうか」

 店内に入るとカウンターだけの席になっている。佐々木を真ん中にして左に理一、右の席にはあずみが座った。店主から挨拶があった。
「いつもご贔屓にしていただいてありがとうございます」
 とてもフレンドリーで笑顔が素敵な店主だ。すぐに打ち解ける理一とあずみであった。とても居心地が良い店である。
 佐々木はすぐに店主に注文を出す。
「いつものあれはあるかな?」
「ございますよ。社長のご予約があったときには必ずご用意していますから」
「ありがとう。では頼むよ」
 そう言うと店主は若い料理人に注文内容を伝えた。
「社長なんですか?! しかも常連みたいですね!」
 理一は驚いて思わず佐々木に聞いた。
「まあ、小さな会社の社長だよ。この店は営業の接待でよく使わせて貰っているんだ」
「そうなんですか。そういう世界の人と知り合いになれるなんて少し感動しました」
「いやいや、そう構えないで。普通に接して欲しいね」
「この店はいつ頃から来ているんですか?」
「今の会社を立ち上げてすぐだから、かれこれ十五年かな」
「お兄ちゃん! 見てラ・ターシュよ!! ラ・ターシュでしょ?」
 高級ワインをソムリエにサーブされて目の色を変えるあずみである。理一にもサーブされた。香りがぜんぜん違う。素晴らしいワインだということが素人でもわかる。
「では乾杯しよう」
「かんぱーい」
「乾杯!」

 アロマと舌触り、そして喉越しまですべてが素晴らしいと理一は思った。こんなものがこの世界にはまだまだ溢れているんだ。それを知らないままこの世界とお別れするのは本当に悔いが残る。そう理一は感じていた。
 焼きたての牛肉のステーキがカウンター越しに三人の前にそれぞれ出された。肉から溢れる油がまだパチパチ音を立てている。そして素晴らしい薫りを放っている。
「美味しい~!! 美味し過ぎますよ。こんなの初めてです」
 あずみはまさに天国を見ているかのような表情をしている。
 一方、理一はというとナイフで肉を切っていたがそこで動きが止まっている。まるで一時停止した動画のようだ。
「さあ、君の人生のすべてが今の君の決断にかかっているのだよ」
 佐々木が促すと、理一は動き出した。スロー再生でも見ているかのようだ。理一は口に含んだ。不思議といつものような嘔吐感がない。自然に咀嚼を開始する。
 これが肉なのか? 小学生の時に食べていた肉とはまるで別物だ。
 口の中で肉がとろける。口いっぱいに肉の旨味が広がった。感動した。
 理一はボソリと言葉にする。

「美味しい……。肉が、美味しい」

 なぜ肉が美味しいと感じるのか?
 それは人間も自然の一部であるからだ。他の動物の肉を喰らう。これは自然な行為である。そして人間にとって必要な行為。だから美味しいと感じる。そこに幸せを感じる。
 食肉が罪ならば、肉食動物はすべて罪を犯していることになる。これでは神が定めた自然の法則自体が間違っていることになってしまう。
 殺す行為。ここに問題があるのであって食肉とは別に考えるべき問題なのだ。
 その問題は哲学者や宗教家に譲るとして、われわれ一般人は肉を食べる喜びと幸せに素直に感謝すればいい。

「おにいちゃん! おめでとう! やっとベジタリアンから開放されたね。普通の人になれたんだよ!」
「おめでとうございます! ようこそ! 肉グルメの世界へ。ハッハッハッハ」
「おにいちゃん。じゃあ、次の料理いこう! さあ! 食べた! 食べた!」
「って誰の財布から出ると思っているんだ!」
「あ! そうだったわね」
「それと、ちょっと気になるんだけど」
「え? なあに?」
「肉が食べれるようになったことを祝福されて嬉しいけど、命が助かったことには何故触れないんだ?」


「だって、それは作り話だもの」


(つづく)


※画像は『種の起源<お試し価格盤>』空想委員会(Official Website|http://kusoiinkai.com)のアルバムジャケットより。


ご褒美は頑張った子にだけ与えられるからご褒美なのです