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そのままほっとく関係

夫との関係です。
今は子供がいて三人家族ですが、子供が自立して
二人で住むことになったら、苦痛でしかないと想像します。(今時点でそう思うということです)

ですが、今は10年後を考えたところで、行動せねばならない優先順位が低いため、

そのままほっとく関係にしておきます。
今日はそれについて、私の考えていることを夫に話してみましたが、もちろんかみ合うわけはありません。
理解できる共感する、行動につなげる人(そんな私に都合のいい人はいないですし)なら、私に悪は渦巻かない。

決着とかどうしようとかいう話ではなく、こう思っているという「何考えてんだ?」を雑談の合間に伝えたのです。

夫からしてみたら不愉快な話です。
でもね、自分の相方が毎日そう考えていることを、あなたは無視をして家族として生活を続けている。知りたくない、無視したいだろうが言っておく。老後の布石ということ。
(そんな遠い話でもないし)

そして、夫の考えていることを発言していましたが、要するに私に対する苦情めいた内容でした。言い換えれば、「俺のことが嫌だからいっているんだろう、勝手にしろ」です。そして、「日々嫌なこともあるだろうが、反面良かったことも沢山あるはずだ」というのです。嫌なことばかりを表に出すなということのようです。
私の悪いところを並べ立てるのではなく、人生を諭す方に出たか・・

夫の言う要旨は理解できる。だけれども、それは夫の人生観なんだよね。

たとえば、受験のフォローが大変だった、でも合格したでしょ?それで良いじゃない。といいたいようです。俺はフォローの大変さも知らないし、関わっていなかったから、歓びも味わってはいないと言いました。まるで、邪魔者にされたから横にどいておいてあげたんだという物言いでした・・・そうじゃないだろうに。

それについては、受験のフォローに引き込もうとしても、戦力にはならないし、むしろ触ってくれるな!と私を激昂させたよね?

自分がされて嫌だったことは忘れない。の一例かもしれません、相手にしてみたらたいしたことではないけれど、自分の精神的ダメージが大きかった、それだけですが、いじめの被害記憶も、双方こんな感じなのかも知れない・・・

大変なこともあったけど、今は幸せだよね、それでいいじゃないの!!!みたいな話をされて不愉快だという訴え(特に戦争とか、ハンセン病、いじめ、虐待などなど・・・)をテレビや書物で触れると、あぁ今がよければ帳尻にはならないんだよねという気持ちを抱えているだって、私は思う。その時間は取り戻せないし、なんとかして欲しいときに本当に辛かったこと、そんな簡単にもう良いよにはならないよ。
幼児の喧嘩でごめんねと言われて、収まりきらない気持ちでも「いーいーよ」と言わせて、社会のルールを学ばせるアレかしら。なんか、叩いたり噛んだことの軽さが気になった・・・まぁ、私の体験なんて、ちっさいスケールですが、それすら夫に今が良ければ言いじゃないかと言われて不愉快なのにな。

いつまでも以前に嫌だったことばかり愚痴る人に自分がなってしまうと、さすがに醜態だと気づくので、あるラインを超えたらプロの言いまくるのがいいのかもしれない。でも、私は「産婆術」をうまくつかえたら、光が差しそうだといつも思っています。

私は、忘れたわけでも浄化しているわけでもない、次に進んでいるだけなのよね!時間と共に。夫と話をして気づいたことは、「夫は家族にこうあるべき姿=家族ロマンを持っている」ということ。
私は、家族ロマン風の考え方をしません。そして、お母さんという優しく見守る、そういう気質は夫の方が持っていると言うこともよくわかりました。

そんな話を、ルリ子も一緒に聞いて、笑っていましたが、そろそろそういう家族の話にも参加してよい年齢かなと思っています。


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