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#48 「学びのある恋愛って、人参をぶら下げて走る馬と同じでは」説

こんにちは。id_butterです。

人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の48話目です。

先日手紙という形をした爆弾を受け取った父母に兄が派遣されてきた。
「またお前が変な意地はってるんじゃないかって思って来た」と言われ、大変不本意であった。
遺憾の意を示したかったが、やめておいた。
お願い、大人になったわたしを誰か褒めてください。
(こういうところがすでに大人じゃない)

学びのある恋愛とかいらない。
成長は別でするから、それより甘いものが欲しい。
ただ甘いだけのもの。
ずっと思ってきた。
だけど、彼から(半ば強制的に)学ばされて得たものは、確実にわたしを豊かにしてくれている。
今回はそれについて書く。

彼がくれるものは、いつもわたしが自分では思いもよらないものだ。
期待してなかったなんなら眼中にもなかったもの、なのにそれはわたしを最高にしあわせにする。
ドラマとかで、編集者が小説家に「読者の期待を裏切る」のではなく「読者の予想を裏切れ」みたいなことをいうときの、まさにそれだ。
その場の優しさとかじゃない、もらったものは一生わたしの支えになるだろうし、好きだとか言われてもいないのに勝手に深い愛情を感じてしまう。
愛情っていうのは、特別わたしにだけというわけじゃなく、彼がいつも当たり前に周囲に振りまいているもの。
甘いものはいつか溶けて消えてしまうけど、それらはわたしの中で今もあったかい。
いや、甘いもの食べたい!そういうわたしももちろんいるけど。

例えば、#36 一人と一人にも書いた通り、彼がただ話を聞いてくれること。
最初は、なんでこのひと引かないんだろう、と焦った。
離婚の原因だろうが、なんだろうが、彼の態度は一定だった。
次は、「王様の耳はロバの耳」の井戸みたいなひとなのかなと思った。
感情がないのかもしれない。
最後のMTGで、やっと理解できた。
ひとの話をちゃんと聞きながら、それに影響されないことの意味。
初めて見たそれはわたしに新しい概念を与える。

彼に接していると、そういう感覚になるときがある。
彼の何かはいつも見たことのないもので、でもわたしが求めていたもので、わたしを感動させるのだ。
普通に仕事するだけでわたしを感動させるのは彼だけだ。

いつも不思議なのだ。
そのころ、わたしの悩みは「自分と他人との境界線がない」ことだった。
タイムリーにも彼は今、わたしの悩みの答えを目の前に示している。
「おもしろいって思っちゃうんだよね、不謹慎かなと思うけど」という彼に
「いや、それは自分と他人との境界線がちゃんとあるということだと思う」とわたしは答えた。

その1週間後くらいだろうか、あるひとがこんなことをいうのだ。
「たとえば、所ジョージさん。彼はいつもトーンが変わらないじゃない。
 で、どんな話を聞いても『おもしろいなー』って聞いてるでしょ。
 いい意味で他人事。自分との境界線がしっかりある。」
聞きながら、もう一度思ったのだ。
それって彼のことだよな。

彼は意識していなくても、わたしに必要な学びを目の前に置いたり、悩んでいるわたしの前に答えをポンと置いたりする。
それは、ときに苦しく、不思議に甘いときもある。
簡単そうにそういうものを持っている彼に嫉妬することもある。

自分について考えているのに、それがなぜか彼を理解することにつながる。
逆もある。
それで、わかったとき、あのときの彼に今追いついた、と思う。
知らぬ間にずっと追いかけている。
そんな感覚になるのだ、いつも。

わたしは、多分半年前より自立した人間になっている。
だから自立した彼の態度を理解できるようになった。

彼はいつも欲しいものはくれない。
形とか、約束とか、言葉とか。
なんなら塩対応で、わたしの言ったことに納得がいかないときは返事もしない。まぁ、しょうがない。
ただの、片思いだから。

でも、どんな感情かはわからないけど、それなりに?いやけっこう大事に思ってくれていることは知っているし、彼だって誰にでもそれを振りまいているわけじゃないことくらい、本当は知っている。
わたしの心が既存の形にとらわれすぎているだけなのだ。
結婚という確かな形があったって、虚しい毎日が続くことがあるっていうことを知っているのにね。
そして、そういう彼が好きなのは、わたし。
わたしが言ったとおりに行動するひとを尊敬したり好きになることはないだろう。

実際に、彼からいろんなものをもらっていることにも気づいた。
後から気づいて時差があるから、タイムリーに感謝を伝えられていないけど、本当は感謝もしているよ。
ただ、なんだかちょっとくやしいのだよね。
負けた感じ。

最近は目指すところすらいつもよくわからない。
だけど、それはいつも彼のそばにあった。
だから、彼を好きでいることがいつもわたしに何らかの学びを要求する。
その学びはわたしすら知らなかったわたしらしさを浮き彫りにする。
で、たどり着いてやっと、気づくのだ。
自分が欲しかったものとか目指してた姿とか、それのさらにちょっと先にあるもの。
彼が、それをわたしの見えるところに置いてくれるのだ。
不思議な縁だなと思う。
好きだとかはもはや関係なく、今のわたしに必要なんだろう。

でも、引きで見てしまうと景色が一変する。
彼もしくは甘い恋愛という人参をぶら下げて走らされている馬じゃーん。
好きだっていう弱みにつけこまれてる。これは本当に自立なのか。
学びっていうけど別の意味では全然学んでなくない?懲りた方がいいんじゃね。ただゆっくり甘いものだけ食べたいよ。
と特に闇落ち中は思ってしまう。人間だもの。
そして、彼というより、この場合神様?はSだな〜。とは密かに思う。
(でもわたしはMじゃない。)

まぁ、走れるだけ走ってみるけども。
でも人参はキライだからね。


▼与えられたものこそ与えられたもの、だとしたらうれしい。


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