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#4 一緒に不幸でいる幸せ、ヤ○ザの原理

こんにちわ。id_butterです。

人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の4話目です。

今離婚しようとしている結婚生活って一体なんだったんだ?とよくよく考えてみたら、先に裏切ったのは自分じゃんと気づいてしまったという話。長くなってしまうので、よかったら#5とセットで読んでください。

出会ったのは大学生の時、夫はいわゆるキャバクラで働いていた私のお客様でした。留年し、親と喧嘩し、学費を払ってもらえなくなったため飛び込んだ慣れない夜のアルバイト。昼間は必要な単位をとるのに必死で、先輩になった友達といれば疎外感に苛まれ、キャバクラでは「大学に行っているお嬢様」と線を引かれ、どこにも居場所を見つけられないままふわふわと体から心が離れて行くような感覚を味わっていました。

一人の人間の中に、大人の自分(理性)と子どもの自分(本能)が共存しているとしたら、当時の私は本能100%、行動の源泉は”勘”のみ。出会った男の人に夜中呼び出された(なぜ行く?)後電車も通ってないのに追い出されたり、友達のキャバ嬢に「痩せるよ」と勧められた薬(友達の友達はヤ○ザ)に手を出しそうになったり。今思えば五体満足で生き延びたなっていう。

夫に出会ったのはそんな時。会った瞬間「私、この人と結婚する」という思考がポンと頭に浮かびました。(ちなみにその前に付き合っていた彼氏とは「この人と付き合って3年で別れる」って感じて実際にその通りになった。)

すぐに付き合うことになりました。彼に会いたくて、実家の車を勝手に使って会いに行ってそのまま帰らなかったり、お金も家もなくて車の中で毎日寝たり、行き当たりばったりの夢の中みたいな生活。刺激的でアドレナリン全開で不思議と楽しい日々でした。体はもちろんつらかったのですが、そんな現実より夢に浮かされる熱量が上回っていた。何よりやりたいことをやって、彼と同じことに怒って、悲しんで、一緒に笑っていた。原始人だったらこのままで居られたのかもしれない。

現実は厳しく、当然そんな無茶な生活には終焉が訪れます。私はしょうがなく大人の仮面を被り、飛んだ過去は封印して、地味な会社員として働きました。10年が経ち、彼は変わらず隣にいました。いや、中身はもう変わっていたかもしれない。彼は、どうしようもなく現実に向いていない人だったから。

「結婚する?」

私は、彼を守りたい。彼はどこかの片隅でのたれ死んでしまうかもしれない。最後まで一緒に彼といてお葬式をあげてあげるのは私。

これはなんだろう。愛ではなく、依存ですか?

私たちの結婚生活は幸せを向いて始まったわけではなかったということを離婚間際の今思い出しました。一緒に不幸でいる幸せ、ヤ○ザさん達みたい。

つまりこれからの離婚作業はヤ○ザさんでいうところの「足を洗う」っていうやつなんだなと今更気づいた。

人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話⑤ 私が夫の敵になって後ろから爆弾投げつけられるまで に続きます。

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