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#49 「行動しない病」の処方箋は〇〇を大事にすること

こんにちは。id_butterです。

人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の49話目です。

30代に入ったくらいから感じていたけど、最近本当にヒシヒシと感じることがある。
ともだちが、へっていく。

社会人になると、利害関係がない出会いが極端に減る。
さらに、20代後半くらいから結婚という転機を迎える女性が多いことで意識するようになる。
就職 → 結婚 → 妊娠 → 退職 → 介護 → こういった転機のたびに、反対側の人生を選んだ友人たちとの接点が少しずつ減っていく。

行きたいお店が、使えるお金が、集まれる時間が、休日が、仕事へのウェイトが、あるいは流行病への認識が、それぞれの感覚の誤差が不満として少しずつ降り積もる。
シビアに言うとその誤差に見合うだけの価値が、別に必要になってくる。

かくして、「ともだち」は少しずつ間引かれていく。

最近はそれに加えて、自分自身の変化が現象を加速化させている。
ふー。しんどい。

この半年、本当にいろいろなことがわたしの周りで起きた。
わたし自身もアップデートを余儀なくされた。

(導入部分が長すぎた。)

結果、「行動しないひと」と話が合わなくなってきたのだ。
別に批判したいわけじゃない。
ともだちがそうでも全然OK。
だけど、単に話が続かない、どちらともなく空気がおかしくなるのだ。

「行動するひと」かどうかなぜわかるのか?
言葉でわかる。
正直、すぐわかる。
一目瞭然としか言いようがない。

体験を伴わないからどうにも話の内容が薄っぺらいこと。
「でもさ」「怖くて」「いつかは」「やろうとは思ってるんだけどね」「お金がね〜」とできない理由でいつも話が終わりになること。
いつも自分のせいではないこと。
アドバイスが必要なわけじゃないこと。

わたしが自分のことを話せば、「すごいね〜」とすかさず一線を引く。
結果、「そうだよね」と相槌を打つ以外の何もできない、ノーガード。

かつてはわたしもそうだったんだろう。
その中に混じって、ちゃんと笑えていたはずだ。
結局誰ともちゃんと話をしていなかったのではないのか。

この半年で浮き彫りになってしまった。
わたしが話していたのは、大学時代からの友人と彼だけだった。

ともだちが減ったと感じるのはさみしい。
でも、どうでもいい話をするためにとれる時間は正直もうない。
マウンティングするのもされるのも好きじゃない。

それだったら、本を読みたいしnote書きたい。
最近身につけた技術のトレーニングもいい。
瞑想したり、キレイな絵を見たい。
公園でみずみずしい緑の空気を思い切り吸い込みたい。
好きなお花を組み合わせて飾るのもマイブーム。

(やっとここからが本題)

実は「行動しよう」と思ってしてきたわけじゃない。
ただ、わたしは自分の気持ちを尊重したかったのだ。
タイトルの〇〇には「自分の気持ち」が入る。
思考じゃなく、気持ち。(違いはこっち参照)
内なる自分が「やりたい」と思うことにただ従ってきただけなのだ。

思ったら言う、やりたかったらやる。逆も然り。
ジャッジしない。
ただただ心が動くものがあればそっちにいく。
少しでも嫌な気持ちがわきあがれば即中止。
会いに行かなかったヒーラーさんは二人いた。
寝たければ寝たし、疲れたときは会社を休んだ。
彼に嫌われるかも、と思っても言いたいことをそのまま言った。
夜ごはんを作るのがいやで、子どもと何回かマックに行った。

誰よりも何よりもただただ自分を優先し続けた。
自分というのは、頭じゃなく心の方の自分。

よく「なんで行動できないか」という議論とかを見かける。
本やセミナーでも行動する重要性を耳にする。
「人からどう思われるか怖いから」とよく聞く。
そして世間体より自分を大切にしましょう、と続く。

でも、それだけだと説明不足、もう少し繊細なんじゃないかな、と思う。

わたしは、人からどう思われるかを気にしているということより、自分を人よりも下にしているということが問題だと思っている。

「お金がないからできないの」というひとは、そのお金の価値より自分のしたいという気持ちを低く見ている。
あきらめたそのことにかかるお金は、一体いくらなの。
したくないことにかけているお金は減らせないのか、そんなことを考えたことすらないに違いない。
だって、たいていのひとは「あきらめた」事実にすら気づいてないからだ。

やらなかったことは、毎回自分自身を傷つけ続けているのだ。

わたしは以前お花にかけるお金をもったいないと思っていた。
1週間に1〜2回、たった1000円の出費をケチっていた。
何回もお花売り場の前を素通りした。
「でもお花なんか買って何になるの。」
そう自分に言われて、買いたいわたしは何度も何度もあきらめた。
でも、ある日目の前にラナンキュラスがあって、もう我慢できなくなった。それが毎週お花を飾るようになったきっかけ。
お花を買う習慣ができても、別にうちの家計には何にも影響がなかった。
当たり前だ。

大げさだと思うかもしれない。
規模はひとによって違う。
問題は大きさじゃなく、昨日との差分なのだ。
昨日自分に許してあげられなかった何かを今日は与えてあげられる、ただそれだけなのだ。

わたしのいう「行動する」はそんな小さな一歩のことだ。
やりたいと思ったことをたったひとつやってみる、それだけ。
昨日より、少しだけ前に進んでいるのだ。

それを毎日あきらめ続けている人の口癖が、「でも」なのだ。
「でも」を聞くのがつらいのは、昨日までの自分が自分を傷つけ続けるのを目の前で見せられるからなのだ。

毎日猫をかぶってしょうがなくひっそりと通う会社で、突然ハキハキと新規事業の提案をしろなんて言っているわけではない。

まずは毎日、自分の小さなこえに耳を傾ける。
食べたいものは何か。食べたくないのか。
今悲しいのか、嬉しいのか。

したいことが見つかったら、やる。
泣きたかったら、泣く。なんでは不要。
難しそうなら、調べてみる。
お金をかけたくなかったら、かからない方法を探してみる。
今の場所でやりづらかったら、新しいコミュニティを探す。
とにかくハードルを下げて、やりやすいようにするのだ。
最初はとにかく小さい行動を積み重ねる。

例えば昨日より5分早く起きれた、とかそんなことでも、できたらその自分を認める。昨日より3mm進んだ自分を。
心の中で「こんな小さなことで」と自分に毒づく必要なんかない。
母親の代わりに?頭にいる母親は、幻だ。
誰もみてないから、思う存分「あは」「いひ」「うふ」「えへ」って喜ぶ。
…子どもみたい?、そう子どもみたい、それがいい。
できた自分を自分の子どもみたいに抱きしめるのだ。

そんな感じで、わたしはこの半年を過ごした。
最初は怖かった。
今まで積み上げてきたものが崩れていく気がして。
意外と平気だった。
失くしたものはある、でもいらないものだったことに気づいた。

半年間にできたことや得たものはたくさんある。
・すきなひとに気持ちを伝えること
・両親につらかったと伝えること
・いやなことをいやだっていうこと
・(noteに)文章を書くこと
・離婚したこと
・一人の時間を持つこと
・ヒーリングという目に見えないものにお金を払うこと
・15kg以上痩せたこと
・〇〇クロ以外で服を買うこと

小さいことかもしれない、でも「両親に手紙を書く」というのは20年以上前にカウンセラーさんから「やってみたら」と言われて、ずっとできなかった課題だったのだ。

彼は、そのための練習台になってくれたのかもしれない。
何を言っても、「嫌われない」成功体験を彼はわたしにくれた。
親にもらえなかったもの。

もう、いいじゃん。(嫌われても)
もう、わたし大丈夫かもしれない。

いつしかそう思えた。
親に好かれなかったのは、わたしのせいじゃなかった、と実感した。
誰に嫌われたとしても、自分のせいじゃない、相手の選択だと思えるようになった。

誰にでも言いたいことを言えるという高い目標の前に、まずは自分に言いたいことを言ってみる。次は信頼できる誰かに。その次は友達に。ちょっとずつ外に広げてハードルをあげていく。

ちょっと補足。
上で早く起きれただけでもいいと書いたけど、外に影響する行動の方がもっといいことは確かだ。
自分だけ内側だけで完結するより、外側とつながる、影響を与える行動の方がレベルは高い。変化を早めたい場合は、こっちをお勧めする。
ただ、最初ハードルが高くて行動できなくなるくらいなら、最初は低いところから少しずつレベルアップすればいいだけ。
ペースも自分次第でいいのだ。

わたしも最初は、毎回崖からダイブするくらいの気持ちだった。

でも、もう慣れた。
失敗しても、「縁がなかった」で済ませてよいことがわかった。
別のわたしにふさわしい何かがちゃんとやってくる。
それは、だいたいの場合前に欲しかった以上のものがくる。
あるいはタイミングを変えてやってきたり。

行動するひとはそれを知っている。

行動を間違ったからなくなる未来なんて元からなかった。
その行動が元で好きな人に誤解されて嫌われたとして、その人と何日間付き合っていけるのか。
「縁がなかった」以外の何物でもない。
就職活動での「縁がなかった」に傷つく必要がないのと同じだ。
「縁がなかった」のは他のところに縁があるから。

それより、行動しなかったことで失う時間や自尊心の方がしんどい。
それらは見えないから、知らぬ間に失ったことにすら気づかない。
さらに行動できないループに入る。
頭ばかりがどんどんぐるぐる回る。

「怖い」「痛い」
それは普段自分を守ってくれている。
だけどその先に欲しいものがある。

結果には期待しないようにしている。
自分の関与しうる範囲の外のことは、手放す。
相手のアクションで決める。

だから、行動する前にジャッジしないで、ただドボンて飛び込むのだ。
飛び込んだら、意外と崖が低かったりする。
そして、外への行動は+αを呼び込んでくる。
たとえば、今わたしはnoteであなたとつながれているってこと。

行動するひとはそれも知っているはずだ。

失敗して傷ついたときは、鏡を見て呪文を唱える。
「わたしいけてる」×10セット
実はこれも彼が教えてくれたこと。

あー今日も大好きだにゃー。


長瀬くんの演技が好きだったんだけどな。特に宮藤官九郎のドラマ。



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