見出し画像

混ぜるな、キケン 〜思考と気持ち〜

こんにちは。id_butterです。

先日、すごく久しぶりに会った友人とランチしたときにちらっと思ったことを書く。
やってしまいがちだけど、危険だなと思ったので自戒を込めて。
いつもにも増して小賢しい、とってもわたしらしい文章になりそうな予感。

まずはそれぞれの定義について。

思考は、思い考えたこと。
左脳的なもので、わかりやすく言語化しやすい。
社会性とか世間体とか全体最適とか自分以外の要素や、「人のために」とか「正義」とか一見きれいな概念、効率とか勝敗とか損得みたいなエゴや判断を含むもの、というのがわたしの認識。
恋愛と結婚は別、というときの結婚がそれ。といえばわかりやすいかな。
誰でも納得しやすい反面、振りかざすと、人だけでなく自分をも傷つけるのが特徴。

気持ちは、思ったこと。
右脳的で、説明がつかないあいまいなもの。
五感や体、心で「なんとなく」感じるもの、はっきりというよりぼんやりしている、不安定で移ろいやすい、人によっては見えにくいところにあって自覚しにくい、自分なのに自分を裏切ったり、ときに自分とは思えないくらい振り回してくる自分であって自分とは思えなかったりするもの。
無視すると、体からお知らせが入って体調が悪くなるので、現代とか会社とか社会とかと相性があまりよくないし、軽視されがちで扱いづらい。
恋とか、怒りとか、悲しみとか、幸せとか、わくわくとか。
恋は落ちるもの、好きに理由はない、そういうこと。

欲、がわかりづらい。
前者と言いきりたいけど、ケースバイケースでどっちとも言える気がする。
生存欲求とか睡眠欲とか原始的なものは、思考より気持ちに近い気がしてしまうから。食欲を抑え込むダイエットは思考的、だと思う。

友人の話を聞きながら、↑みたいなことが頭をぐるぐるし始めた。
社会的な成功という欲と、自身の内側を満たすようなしあわせがごっちゃになって「気持ち」として語られていたから。

これが、ものすごく危険だとわたしは思うのだ。
思考と気持ちは分けて考えないといけない、絶対に。
どっちがいいとか悪いとかではない。社会で生き抜くためには両方必要だ。
だけど、ごっちゃにしてはいけない。
思考が気持ちだと勘違いしてしまうことは、自分を騙し、結果不幸を呼ぶ。永遠にしあわせをつかめないループに入ることだってある。

例えば、ノリでいたしちゃったみたいなとき。
適当な誰かと何回かしちゃって、後付けで「好き」にならなくちゃいけないみたいなことってありませんか。
現実に気持ち(本当は思考なんだけど)を追いつかせる。
なんでかっていうと、社会的に「好きな人としかセックスしちゃいけない」っていう貞操観念っていうものが頭に刷り込まれているから。
でも、それは「好き」という気持ちじゃなく、「好きじゃないと」っていう思考だから、もし勘違いして自分を騙したままつきあって結婚したり、結婚して暴力を振るわれているのに「こどものために」とか言い続けたら、、、しあわせには永遠にたどり着けない。
しあわせは頭(思考)じゃなく心(気持ち)で感じるものだから。ジャンルが違う。
思考からもたらされるものは社会的・物質的な資産、気持ちからもたらされるものは情緒的な豊かさなのだ。
っていう妄想が頭の中でぐるぐるした。こんな風に作られた不幸ってあるんじゃないかと、とてつもなく恐ろしかった。

特に女の人って、いつも両手にいっぱい荷物を抱えがち。
働いて、子どもも育てて、素敵な旦那様がいて、きれいなお家に住んで、自分もいつもおしゃれな服を着てないといけなくて、夜はエクササイズとエステとネイルと、休日にはボランティアとかお友達呼んでパーティしたりとか。全部手に入っても、満足するのは思考であって心じゃない。
手は二本しかないし、一日は24時間しかないから、掴めるものには限りがあると思うよ。
いや、全部わかっててほんとにそうしたい人はいい。
だけど、ステキ女子って言われる人はイライラしてきつい人が多かった。
24時間戦えないので、そういうひとはどこかでボロを出すし、その場に居合わせる。そういうひとによく見下されたりするけど、最近はもうそんなイライラしないどころか、何の感情もわかなくなった。
だって、どんなにがんばって、いろんな人からチヤホヤされても、しあわせそうに見えない。本当はその人は毎日ジャージ着てゴロゴロして、韓国ドラマとか見てたかったのかも。
がんばってもがんばってもしあわせが足りないのって地獄、けど一旦そのレールに乗ったら降りるのは大変。
でも自分で気づくしかない。
(わたしには言われたくないだろうけども)

そんなに苦しまなくても、って友人に思ってしまうことは以前からあった。
わたしの周りにはがんばりやさんの女性が多いのだ。がんばりやさんは、意外と助けてもらえないんだよなぁ。
ギブアップしたら、っていう言葉を何回も何回ものみこんできた。
もー、しあわせになってよ、お願いだから。
いつもの憂鬱を、こっそり言語化してここにぶちまけてみることにした。
ということで、特にこの話にはオチはありません。

↓こどもが好きなやつ。報われないひとつながり。



サポート嬉しいです!新しい記事執筆のためシュタイナーの本購入に使わせていただきます。