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#43 最後の天秤

こんにちは。id_butterです。

シリーズ の43話目です。
今回は長くなってしまった。
でももしも最後まで読んでくださったら、めっちゃ喜びます。
いいねとか押してくださった日には、飛び上がります。

父と母に書いた手紙がやはり炎上したらしく、実家からの電話が鳴り止まない。今日は朝から妙にピンポンダッシュが多いなと思っていたら、兄だった。いつものいたずらかと思って、インターホン見て誰もいないから出なかったよ。ごめん、お兄ちゃん。
手紙を出すことでいっぱいいっぱいで、出した後のことを考えてなかった。
大失態だ。

最近、ここ半年起こったことについて考えていた。
元夫に衝撃的な一言をくらい、彼から「だいじょうぶ?」と言われて離婚を決意した。家にいるのが嫌で夫が作ったご飯を食べたくなくて散歩していたら15kg痩せた。彼を好きになって、自分のことを好きじゃない人に初めて告白した。20年なくなっていたお告げがまた降ってくるようになった。やっとの事で離婚届を出して、元夫を追い出したらすごくよく眠れるようになった。平穏だった職場が急に戦場と化して異動に追い込まれた。意外と異動先が平和だったからラッキー。20年書けなかった手紙を父と母に書いて送れた。不思議なことが当たり前に毎日起きるようになって、スピリチュアルを勉強し始めた。異動して、彼との接点が消えた。

なんか、全部やりきった感じがしている今。

わたしの周りは何もかもが変わってしまった。
もうあのときのわたしはいない。
あのときそばにいた人ももう全員わたしの周りにはいない。
彼だけが保留のままよくわからないなってなっている。

接点も約束もない以上、離れることは必然で、この一連の流れの最後だと思いこんでいた。離れてしまう現実と自分の気持ちを合わせるために、必死で彼から気持ちを離そうとしていた。なんなら彼はこの流れを起こすためだけに現れたんじゃない?とまで思ってみたりもした。
けど、結局はよくわからないままだった。
他の別れはひどくあっさりしていたのに、彼との別れだけはそうはいかなくて戸惑っている。いまここにいる。

離婚からのすべての出来事でわたしがしていたこと、それは自分と他を天秤にかけるということだったと思う。
神様に、わたしと「家族」、わたしと「仕事」、わたしと「仲間」、どちらを選ぶのか、そう問われてきた気がするのだ。何度も何度も。
すべての天秤において、わたしは「自分を選びます」と答えた。
何よりも自分を優先するというミッション、それがこの半年に起きたことの意味だったと思う。

わたしは、自分をおろそかにしてきたことで起きた不幸をひっくり返さなくてはいけなかった。
自分をあきらめないこととか、自分に価値があると信じることとか、現実で生きていくために今まで譲ってきたことについてこれからは譲らないことにするとか、人を傷つけないことより自分を守ることを選ぶとか、したくないことはしないとか、そういったすべてが必要だった。
うまく書けない。

愛されて育った子が当たり前にしていること。
わたしは、「もてざるもの」だったからひとつひとつ、その局面で考えないとすべきアクションがわからないのだった。
一言でいえば、自分を自分の中の一番にするということかもしれない。
「自分を大切にする」ってなんなの。
それを問い経験して定義し続けた半年。

今までの天秤は、ちゃんと自分を選べたと思う。
例えば、父と母を傷つけるかもしれない手紙を自分のために書いて送ったこと。20年できなかったことが、ひとつ終わった。
たったそれだけ、だけどわたしにはかけがえのない一歩。

ラスボス的な最後の天秤が残っている。
それは片側に「わたし」、反対側に「彼」がのった天秤だと思った。
天秤との最後の死闘、それはわたしの内側でひっそりと始まって、終わるはずだった。もう別れに手放すことに慣れてしまったから、できるはずだった。もうこなすくらいの気持ちで簡単だよ。だって、もう全部あきらめて手放したんだから。あっさり、やめちゃえばいいだけ。

だけど、うまくいかない。
最後の天秤はこれじゃなかったんだろうか。

彼をうまく切れない(←ひどい言い方だけど一番近い)理由を考え始めて思い当たったのは、今の自分の何パーセントかが彼でできてしまっている、ということだ。

もともと、わたしには、「自分」がなかったし、今もまだ足りない。
それに気づいたのは、占星術の勉強を始めたときだ。
わたしの月星座は牡羊座で、そのテーマは「I am」である。
月星座は、幼少期に培わられる本当の自分とも言われるのだけど、最近見た本では「欠損」であり「囚われながら生涯を送る」となっていた。
つまり、わたしにはわたし自身がない。
アイデンティティーに囚われる。

そう書かれているページを見たわたしは、ひどくショックを受けた。
致命的すぎて言葉が出ない。
心当たりがありすぎて呆然とした。

いつも、言われると困る。
「〇〇さんはどうしたいの?」
「いい子ぶってないで、本音を教えて。」
…したいことがないんです、とは言えない。
したいことではなくて、状況に合わせてできることを提案してみたりするけれど、最近はそれでは通用しなくなってきた。
時代なのかもしれない。
わたしが思ういい人の言葉を借りてその場を凌いでみたり、空いてそうなポジションに滑り込む言い訳を考えてみたり、うまくいけばその嘘を自分自身にも浸透させる。
今まではそれでまあまあうまくいっていたんだけどな。
肝心なときに勝てない、最後のところで競り負ける、そもそも最初から譲ってしまう、それが積み重なってきていた。
気づいてた。

したいことを考える。
でも、どうしてもうまくいかない。
そう、大体の場合、「〇〇さんはどうしたいの?」と聞いてくる人は、その人の都合のいい答えを期待しているのであって、本当にわたしの本音を聞いているわけではないのだ。
かといって、嘘をつけないのだからややこしい。

ただ、彼だけは納得してくれなかった。
彼が上司であった頃、わたしはいつも困っていた。
一生懸命考えるのだけど、どうしてもうまくいかない。
中途半端だと詰められる。(優しいけど詰めている)
泣きそうになりながらわたしは思考を進めて、たどたどしく答えを返す。
大事なことだとはわかっているの。
間違っているとか合っているとかジャッジしないで、聞いてくれて、だけどわたしが少しでも逃げようとしたら逃げ道を塞ぐというのが、彼は本当に上手だった。
「上司ってこんなことまでするの?割りに合わなくない?」何度もぼやくわたしに、彼はそうだね、と笑っていた。
本当にできたひと。

思えば、この半年、天秤に対峙するわたしのそばにはずっと彼がいた。
全てはわたしの決断だった。
けれど、彼がいたから、わたしは根拠もなくだいじょうぶだと思えて決断できたのだ。
そう気づいた。

そして、天秤の前で、わたしらしさってなんだろうって考えていた。
苦しかったけど、からっぽな自分に少しずつ中身を詰め続けた。
今さらこんなことをして何になるのと思ったけど、隣に彼がいてくれたから途中で投げ出さないですんだ。
きもちいい方、しっくりくる方、絶え間なく選択肢があった。

この時、わたしの中身の何割かは彼になってしまったに違いない。
だって、気づけばわたしの中にはいたるところに彼がいて、どこが自分でどこが彼なのかももうわからないくらいに溶けてしまっている。
離れたところで、今さら自分の中の彼を消すことなんかできない。
だから、自分と彼とを天秤にのせたところで、何と何がのっているのかすらよくわからないのだ。
彼だと思われる何かはもう自分になってしまっていて、自分だと思っている何かの成分は彼なのだから。

同じものがのっている、成立しない天秤。
途方に暮れるとはこのこと。

それで先日、ヒーラーさんに相談してみた。
「自分と他人との境界線を引こうとしても、うまくいかないんです。自分を選ばなくちゃいけないのに。」

その人は言った。
「彼が溶けたそのあなたが、新しいあなたなんじゃない?
 拒否し続けることが境界線を引くことじゃないと思う。」
…なるほど。

そういえば、もう最後だと彼を離そうとしたとき、わたしが言っていた。
「保証できない。明日のわたしはもう新しいわたしだから、今日の気持ちと同じかどうかなんてわからないよ。」
同じ言葉が、違う意味を持って今度は自分に突き刺さる。

今日のわたしは、昨日までのわたしでできているんだった。
そして、わたしは彼を好きな自分というものが実はすごく気に入っている。
なんというか、彼の中身は澄んでいて、綺麗なのだ。だから、彼と話していると、自分だけで考えるより、すごくいい未来とか理想が描ける。それを目指そうと少し多く努力できたり、明るい気分になっていい気分なのだ。
明日からのわたしすらも、わたしは彼を含んで描こうとしている。

本当に天秤は違ったのかもしれない。
「新しいわたし」と「ここまでのわたし」が最後の天秤なのかもしれない。
けれど、「新しいわたし」はけっこう苦しい。

最近、わたしは彼といることが苦しくなっていた。
ボロを出さない彼の前で自分だけ黒歴史を更新し続けることがしんどい。
好きな人に恥ずかしい自分を見せ続けていたことに気づいて悶絶している。
そして、離れないということはそれを永遠に続けるということだ。
恥ずかしい。しんどい。逃げたい。

でも、と思う。
何もない自分に価値を見出すことは、(エッチな意味じゃなく精神的な意味で)裸の自分を彼に晒し続けられることと同義なのかもと思ってもいる。
もうひとつ、問われているような気がする。
彼を愛し続けますか、ということだ。
子どもには何も期待しないのに、なんで異性には期待してしまうんだろう。
「会いたい」「好きになってほしい」思うのは自由だけど、彼にこたえる義務はないということ、頭ではわかっているつもりだけど難しいのだ。
彼から何ももらえなくても、彼を愛し続けますかと神様に問われている。

これが最後の天秤だと確信する。
「新しい自分」vs「今の自分」
「変わり続けること」vs「ここにとどまること」
「あきらめないこと」vs「妥協すること」
「苦しいけど明るい方を目指すこと」vs「平穏でどこか死んでること」
彼のそばにいることは、常に前者を選ぶことをわたしに要求する。
彼が、ではなくわたしの中の誰かがそう言っている。
だから、離れるよりそばにいることを選ぶべきなんだろうとも。
離れることだってつらいから、そっちを選べばいいやとちょっとやけくそだった自分にも気づく。

ヒーラーさんがだめおしする。
「彼は、とっても綺麗に写るあなたのいい鏡だね。しんどいかもしれないけど、逃げないでそばにいた方がいいと思う。」

それでもちょっとわたしは抵抗してみた。
「でも、わたしもう彼にあげられるものなんか何もないんですよ。等価交換だったとしたら、彼のメリットなんか何もないのに。わたしだけもらいすぎているんです。彼はそばにいる必要なんかないし他にやるべきことがあるように思う。そもそも、そばにいていいとも言われてないし。」

そうだ、もう彼から一生分もらった。彼から何かを奪いたくない。

「そんなことないよ。メリットがなかったら、連絡をしてこないんじゃないかな。どんな関係でも続くということは双方にメリットがあるということだと思う。」
…なるほど。(再) 選択するのは彼、というのはそれもそう。

「そういうの、全部彼に伝えてみたら。大事な人なんでしょ。大事な人には伝えないと。相手に返信とかを期待するのはあれだけど。」
…それが、しんどいんですよ。
相手に委ねるって、コントロールされるかもしれなくて、されたらまたこの半年をリフレインすることになる。自分がしっかりしてたらいいけど。

あれだけ拒否したのに?どのツラ下げて…というのもある。
なんでも言っちゃうけど、最近ほとほと情けない気持ちで、だから離れたいってなって相談に来たんですけど。

どうしようか。
だって、何を言おうが言うまいが、いつも連絡するのはこっちから。
返信だって来ない時がある。
心臓に毛を生やしてからじゃないと、この状況じゃ話しかけられない。
そもそもいう意味なんてあるのかな。
自信がない。
いや、単純に怖い。
傷つくとか無視されるとかうざいって思われるとか全部。

わたしは不完全で理想には程遠くて、理想のわたしになれてから彼の前にいたかった。

ちなみに
「保証できない。明日のわたしはもう新しいわたしだから、今日の気持ちと同じかどうかなんてわからないよ。」
とわたしが言ったときの彼の返答は、
「でも明後日はわからないじゃない?また気持ちって変わるんでしょ。」
だった。
わたしはびっくりして、素で返した。
「え?それってさ、わたしがどうせ一生〇〇さんのこと好きなんでしょって言ってるの?」
それに逆に彼がびっくりしていた。
「え???そういうこと?そういうわけじゃないけど。え?」

じゃあどういう意味なの。
自信家か。そうじゃないのか。よくわからない。

思い出すだけで笑えてきて、前に座っているおじさんに怪訝な顔をされてしまう。
やっぱり今日もだいすき。
多分あしたも、あさっても。

まあいっか。
なんでもいいよ。
そんな気分になる。
傷ついたっていいことにする。
40すぎて転ぶ痛み、恐怖わかりますか?笑
でも、もう全部いいよ。
ずっと自分の中の、自分の一部になった彼を抱きしめて生きていく。
だいじょうぶ。


ところで、あいみょんが好きです。(裸といえばこれ)


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