見出し画像

#65 もう全部ここにある

こんばんは。id_butterです。
人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の65話目です。

最近内観している記事が多くて苦しい。
けれど気分のまま書いている。
誰かにそう言われている気がするのだ。
書けば手放せる、ひとつ手放せばまた一歩進む、そんな感じ。

この記事の中で、こんなことを書いた。

あのころわたしはたしかにカオナシだった。
しあわせな「普通」のおうちの子がうらやましかった。
「あたりまえ」に子どもを愛せる両親が欲しかった。
どんなわたしでも愛して欲しかった。

このとき気になっていたのは「普通」や「あたりまえ」という固定概念が自分を苦しめていたということ。
片側で、「なんでもいい」という白紙の自由への恐怖を感じていた。

後からもうひとつ気になったことがあって、書こうと思った。

カオナシみたいな愛情オバケになってしまう理由。
食べても食べてもお腹いっぱいにならない、「餓鬼」みたいなこの感覚をわたしは知っている。食べ物ではないけれど。
わたしは満ち足りたことがあまりない。
心から安心したこともあまりない。

それについて書いてみようと思う。

たとえば大学に合格したとき。
ほっとしたけれど、そんなに嬉しくなかった。
もっと努力できれば、もっと上に行けたけどわたしにはもう努力できない。
これはいつも思う。

それなりの大学だ。
たぶん超一流ではないけれど、三流とは言われないはずだ。
今の会社でも、上司に「〇〇さんは頭がいいから」と言われたくらいだから、今いる場所と相対的に考えても及第点だと思われる。

けれど、それを自慢に思ったことはない。
ただ、馬鹿にされたときに自分を支えておくためだけに、防御のお守りをこっそり潜ませているくらいの気持ち。
そして、そのお守りを握りしめながら、頭の隅で思っている。
わたしにはちょっと頭がいいくらいの取り柄しかないから。
他には何もないから。

努力できないのは、ずっとしたくないことをしてるからなのだと最近気づいた。努力できないことも含めて実力なのは前から理解している。
そして、最近思った。
努力する必要がないのだ。
むしろわたしの場合は、努力しない方がいいのだ。

何をできるようになっても、わたしの中には何も積み上がらない。

なぜかずっと楽しいよりつらい方、苦手な方を選んできた。
中高の部活は結構しんどかった。
運動部で正月は2日から練習、3日には試合があった。
わたしは普通だったら運動神経が鈍い方で、下から数えた方が早いくらい。
かたやその部活は厳しいことで有名で、ついていくのに必死だった。
最終的に毎日10kg走れるようになり、懸垂が30回くらいはできるようになり、ボールの飛距離は倍以上に伸びた。
長距離走は2クラス合同で2位まで上昇し、同じ部活所属の1位となった友人が自分ごとのようにはしゃいでいたけれど、冷めていた。
でも、残ったのはレギュラーになれなかったなという挫折感だった。
大学も就職も仕事で身についたスキルも何もかも、同じだった。
何も掴んだ感触がない。

苦手な方、の最たるものは大学の学部選びだと思う。
わたしの得意科目は国語と政治経済だったのに、理系に進学した。
朝から晩まで本を読んでいるような人間だったし、数学も物理も化学も苦手で全然好きでもなかったから、授業は苦痛だった。
卒業できただけで御の字なのだった。

今思えば傲慢だけど、苦手なことが存在することが許せなかった。
弱点があれば攻撃を受けるからだ。
親は、わたしを褒めたことがほとんどない。
子どものころからずっと、できないことのみにフォーカスされ揚げ足を取られてきた、その結果だったと思う。

父はできなければ怒り、できたらできたでいい気になるなと言った。

母は、父のようにわたしをコントロールすることはしなかった。
けれど、わたしの脳内には常に肥大化した母がいた。
今思えば、母もわたしと同じように苦しそうだった。
彼女の人生は「好きじゃない」ことだらけで、それに支配されていた。

例えば、お小遣いを人参のようにぶら下げて走る馬のように勉強をさせることや、婦人会の収益が寄付ではなく自分たちのグッズに使われること、わたしが毎日本ばかり読んでいること、等々細かい批判を垂れ流す。
彼女のぼやきは日々止むことがなく、わたしの頭の中の「母の地雷リスト」はどんどん上書きされていった。その刷り込みは自分の感覚なのか母の感覚なのかを判別することが難しいほどに溶け込んでおり、今でも健在だ。

さらに、母本人ではないので、その思考から派生した「これもダメなんじゃないか」という地雷候補リストを含めたら、聖人君子しか生きることを許されない。
凡人のわたしは何をしても満足できないところか、何をしても罪悪感を抱く。どんなことだっていい面と悪い面を含むという現実に生きる中で、悪い面の方にフォーカスしてしまう。

わたしの人生はわたしが主役ではなく、常に脇役でいなくてはいけない。

例えば、競争で誰かに勝つこと。
そのとき、わたしは自分よりも負けてしまった誰かの方にフォーカスし、憂鬱になる。わたしの中にわたしはおらず、わたしはわたしの敵だった。
得られなければ不甲斐ない自分を責め、得たとしてそれが不当に得たもののようにすら感じる。

だから、本当は会社でがんばったりしてはいけなかった。
型が合ってない。
負けても勝っても、どちらもわたしは苦しい。
どちらになろうと嬉しさを感じることすら悪だし、だんだん嬉しさを感じる器官が退化した。
最初から正解がなく、永遠にゴールにたどり着けない。

人と競わない職種、なんだろう宗教家とかだろうか、になるしかなかったけれど、これも母の地雷を踏むだろう。
どこかに歩こうとしてもすべての道が塞がれている。
出られない迷路をさまよっている。

虚しさに溺れそうになりながら、歩いていた。
嬉しいことはなく、苦しむために生きる日々。

誰かの上であることも誰かの下であることも嫌だった。
けれど会社では無理なことだ。
上でいるよりはまだ下にいる方が、「いい気になる」ことは避けられるのでましだと思った。得をしよう、とは思わなかった。
けれど、得をしているひとを見るたびに心が膿んでいく気がした。
下から人を見ること、それは人の嫌なところに焦点を当てることのように思えた。

わたしの中の母はわたしをずっと責め続けた。
何かを得ようとすることは浅ましく、努力しないことは貧しく、自分を甘やかすことはだらしない。
助けられることは恥ずかしい、常に助ける側にいなくてはいけない。
戦うことも、自分の尊厳を守ろうとするときですら悪だった。

だから、今日が自分史上ベストだったとしても、自分を認められない。

会社では「評価」というものがつきものだ。
これもまた、わたしにはしんどいものだった。
自分が上がれば誰かが下がる。見えない誰かと戦って蹴落としている。

彼は「自分の評価は自分で決める」と言った。
だってむかつくじゃん、と。

わたしはというと、よくわからなかった。
自分で自分の評価をつけたら、必然的に低くなる。

けれど、上司であった彼は部下であるわたしの評価を上げるのも自分の仕事だという。
わたしはわたしをあきらめるわけにはいかなくなった。
彼がわたしができたことを数えてくれた。
わたしにもできたことはあるらしい。わたしの知らないわたし。
それを彼が喜んでくれる、それがなぜか嬉しかった。

わたしはわたしを喜べない、だけど喜んでくれる彼をみて嬉しいと思うことは許された。
彼のフィルターを通して見る世界の空気は、おいしい。
初めて、息苦しさを忘れた。

わたしに足りないのは努力じゃない。
というより、色々なものを持ちすぎたのだ。
あれもこれも見ようと、メガネをかけコンタクトレンズをつけ顕微鏡を買い双眼鏡やら望遠鏡までを装備したけれど。 
肉眼でみえる目の前の景色をただ感じるだけでよかった。
もっともっと素晴らしい景色を追い求めたから、おかしくなったのだ。

もう今全部ここにある。

子どもは視野が狭い、そういうけれど、別にそれでもいいのだった。
素晴らしい景色がなくてもしあわせはここにあり、素晴らしい景色があったとしてもしあわせを感じられるとは限らない。

餓鬼ではなく、子どもとしてもう一度歩きなおす。
もしかしたら、神様はわたしにそのチャンスをくれるために、わたしに子どもを預けてくれたのかもしれない。
今度こそわたしがうまく歩けるように、宇宙人と地球人をセットで授けてくださったのかなと思う、今日この頃である。

今日もおつきあいくださりありがとうございました。
最後まで、いや途中でも読んでくださったあなたに心からのハグを。

サポート嬉しいです!新しい記事執筆のためシュタイナーの本購入に使わせていただきます。