見出し画像

柚子

玄関から外に出ると雲ひとつない青空が広がっている。そよ、とかすかに風が吹いて髪を揺らす。お札持った?ニットキャップをかぶりながら私が聞くと、母は茶色の手提げ袋を持ち上げる。父があっち、と方向を指して歩き出す。私と母でそのあとをついて歩く。神社は緩く長い坂を下ったところにある。今日あったかいね。うん、風もない。元旦は晴れがいいよね。空を見上げながら母と話す。通りの脇にある家々の庭先を眺める。深い緑色の葉をつけた木には柚子の実が成っている。ぽっくりとした黄色。柚子だね、私がいうと、うちにもあるじゃない、と母がいう。そうだっけ。玄関の裏だよ、今年いっぱい生ってるから分けてあげようか、お店で使う?そう聞かれて、柚子ジャムを作ろうかなと思う。それからピールにしてスコーンに焼き込むのもいい。私は頷いて、あとで自分でもいでみる、と答える。神社に着き、参拝の列に並ぶ。父が母から古いお札を受け取って、お焚き上げの火にくべに行く。グレーのダウンジャケットを着た後ろ姿を眺めながら、今年の自分は何を祈るんだろうと思う。秋にお店を始めて、日々を滞りなく過ごすので精一杯だった。このまま順調に回って行くように思える夜もあれば、虚しく空回りしていると感じる夜もあった。それらはこの先も繰り返し訪れるのだろう。気まぐれな冬空みたいに。三人で交互に手水舎へ向かう。柄杓で掬った透明な水はきんと冷たい。左手、右手と清め、口をゆすぐ。列に戻ってお賽銭を準備する。始終ご縁がありますように。そういう意味で四十五円なんだよ、私がいうと、そんなに縁いらないもん、と母はいう。いろんな縁があるよ、私は答えながら、母は男女の縁のことをいったのだろうかと思う。お参りの順番が来る。三人並んでからんからんと鈴を鳴らし、手を合わせて目を閉じる。良縁、という言葉が頭に浮かんで留まる。店を始めてから、縁についてよく考えるようになった。お客さんはもちろん、関わってくれる業者のひとたち、友人、それから家族も含めて。日々、構成が変わっていく。でもどこかで繋がって続いていく。感謝の言葉でお祈りをしめて、一礼して目を上げると父が顔を上げたところだった。母は列から離れたところで待っている。お御籤を木の枝に結ぶ人々を横目に社務所まで歩く。お守りやお札を眺めていると、小窓から巫女の女性がどうぞ、と銚子を持ち上げて微笑む。白い盃に御神酒を注いでもらい、すいと一口で飲む。甘いね、といい合う。お土産に蜜柑をふたつもらって、ブルゾンのポケットにひとつずつ入れる。これください。商売繁盛、と書かれた紫色のお守りをひとつ買う。白い紙包みを受け取って、母と話しながらゆっくり境内を抜ける。帰り道、坂の上のスーパーに寄るけどいい?いいよ。父は鳥居の先にある蝋梅の花を眺めている。

#小説
#短編小説
#連作短編
#創作
#BAR
#バー
#BARしずく008

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?