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学生研究奨励賞④〜ただの多趣味人間が研究始めるまで


6月は本当に辛かった。ただでさえ休日がなく、雨で鬱っぽくなりやすいのに、そんなことよりもはるかに辛いことがいっぱい待っていた。

あっという間に祖母はもう言葉を交わすことができない状態になった。2週間前まで1人で歩いてたし、普通に喋っていたのに。何もできなかった自分が悔しかった。
理系の勉強をしていたのだから、少し方向性を変えて医学部に行って色々勉強していれば、もっと早くにおかしいって気がついて早く病院行くよう勧めることもできたのかな、などと考えてしまった。

心配だったのもあったし、今後のことを想像すると辛くて授業の内容は右から入って左に抜けるみたいな状態が2週間くらい続いていたかな。
でも自分達が進めている研究のことは着実にこなせていた。「自分で決めたこと」は本当に強いものなのだなぁと感じた瞬間でもある。「過去の自分が決めたこと」にこの頃の自分はたくさん助けられていた。


その時は突然やってきた。その4時間くらい前に床についたのだけどその時に何か察したというか、感じ取ったというあの感覚は言葉にできないが今でも覚えている。でもその後はなぜかスッと眠りにつけていた。


「おばあちゃん亡くなったって。今電話で連絡あった。」

と、母が私の部屋の扉を少し開けてつぶやいた。午前4時過ぎの日の出と同時のことだった。
6月は梅雨で雨が多いはずなのに、その日はとても心地の良い気候で、晴れた日だった。すごく綺麗な朝だったと思う。


私は部屋の扉がある方向とは逆の壁側を向いて寝ていた。寝たふりをしていたけど、起きていた。
ああ、私が寝ようとしていた時にはまだおばあちゃんはこの世界にいたのに、今からほんの少し前に旅立ってしまったんだ。どんどん実感が湧いてきて、悲しくて悲しくて、1人でベッドの中で声を押し殺して大泣きした。人生で1番泣いた日だ。枯れるほど泣いた。

後で聞いた話によると、根拠はわからないが、日の出時刻に亡くなる方は多いらしい。最も自然な亡くなり方と聞いて、祖母は病気だったけれど病気に邪魔されることなく自分で人生の幕をおろしたのだなぁ、と思い最後までかっこいい人だったなと感じた。


4時に言われたあとは朝までまた眠りにつくことはなく、私は何ができただろうか、どんなふうに祖母とお話ししたっけ、笑い合ったっけ。ということを沢山考えた。

コロナで高齢者にうつすと大変だから、ということとその前の年は私が受験生だったこともあってここ2年くらいは、全く長野に行けていなかった。
今まで毎年行っていたのに、最後の最後で会いにもいけなくて、物凄い罪悪感と悔しさが込み上げてきた。

8時ごろ起き上がって、母に色々聞くと田舎ということもあってすぐに葬儀の日程が決まったということを知る。その日は平日だったから、葬儀で長野に行く日授業があった先生みんなにメールをした。ひととおり、自分の心の中でのお別れは終わった、と自分の中で思ったのか、この時はもう落ち着いていた。この後10時から通常通りオンラインの授業にも参加した。


午後は研究活動も家で行った。人に迷惑をかけたくないというのが祖母の願いだったから、こうして通常通り生活していても失礼というよりかは、むしろ祖母は喜んでくれているのではないかと思う。


悲しく辛い話が続いてしまったが、シクシクしていても祖母も悲しむと思うので本来の話を。

アプリの方はというと、この頃ちょうどiPadを購入したということもあり、Xcodeでのアプリ開発入門、ということでplaygroundを始めた。

【playground】
ゲーム感覚で、Swift(XcodeというMacに搭載されたアプリ開発ソフトウェアの言語)が学べるアプリケーション。可愛いキャラクターを目的地に送り届けるといった内容のもので、感覚的に学べるため、小学生から利用できるものだ。

これでだいぶアプリ開発の基本のキには辿り着いたと思う。こんな調子で、祖母の葬儀のために葬儀場に泊まった日も、荼毘に付された日も。弔辞を孫としてよむなど、祖母とちゃんとお別れをしつつ、延々とこれをやっていた。

祖母は読書家で、戦争の影響で満州に行ったりしたこともあって大学には進学していないけれど、高校では次席をとるなど、優秀だったらしい。様々な学問や政治情勢にも興味があった。きっと興味を持って聞いてくれたのだろうな、と思うから祖母に説明したかったな、見せたかったなという気持ちが湧くと共に、絶対に形にするという大きなモチベーションも生まれた。

祖母は、子供時代を偶然にも弊学の2つ隣の駅で過ごした。大学に行く時にその駅を通ると、ふと祖母のことを思い浮かべたりしている。姿を見ることができなくなったのは、離れてしまったのではなく、ずっと近くにいるということだ。そう思うとふっと心が軽くなるし、何事も見られているような気がして襟を正されたように感じる。

【つづく】

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