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怖れ

人間は、頭がいい動物なので、まだ起きてもいない未来の事象を想像して怖がることができる。

それは、生存するために必要なシステムだったと考えられる。

この先に猛獣がいるかもしれない、この食べ物を食べたら死ぬかもしれない、というような怖れを持つことが動物的に生きていた時代においては役に立ったことだろう。

原始的な人間には様々な個性を持った個体があったはずだが、そのうち未来に起こりうる危険を想像して怖がって避けることができた個体は生き延びやすかった。世代をつないでいく過程で、怖がることができた個体が選別されて生き延びてきた。
特に数千年前の日本人の祖先は怖れを持ってうまく生き延びたらしく、現代の日本人には不安を持ちやすいタイプの人が多いらしい。

では現代を考えてみよう。この日本で生きる自分のことを考えてみる。
有難いことに、猛獣に襲われる心配もないし毒物を口にする機会もない。安全が保証されているものが手に入る。暖かい寝床もある。日常に致命的な危険性はほぼない。食うか食われるかの不安や怖れは感じていない。そんな人がほとんどのはずだ。
ただ生存することを目的に生きるのであれば、その目的を達成するハードルは決して高くない。

では、不安や怖れを何に対して抱いているかというと、それは変化だ。現状の環境を変化させるような事柄に対して不安や怖れをいだくのだ。人間は現状が変わることを本能的に怖れる。リスクをとって物事にチャレンジすることなぞもってのほかだ。原始的な脳は、今食べるものも暖かい住処もあるのに、なぜ変化を起こすのだ!やめろやめろ!と警笛を鳴らす。ちょうどいい理由を見つけて、現状を変化させない方向に持っていこうとする。
これは、恒常性やホメオスタシスという言葉で表現できる。ホメオスタシスは本来は生理学において、生体内の環境、体温や血圧などを一定に保とうとする働きのことを言うのだが、人間の行動の仕方、生き方にもそれが当てはまると私は考えている。
自分を取り巻く環境をも一定に保とうとするのだ。

今、安全に生きているのに、変化させることは望ましくないと原始的な脳が言うのだ。もし変化させてしまったら死ぬかもしれないぞ、と。

んなわけあるかいな、と現代日本で生きる私は反論する。
たいていのことは死ぬような事態にはなりませんよ、と。何でもかんでも怖がるばかりではただただ生きるだけになってしまい、その状況の方が怖いことじゃありませんか、と。
それに、今の現状に留まることを決めたとて、それが維持される保証はどこにもありませんよ、と。

確かに、不安や怖れを持つこと、それは生き延びるためには正しい戦略でありシステムだ。だが、それに支配され過ぎると、ただただ生きるだけの動物になってしまう。
生きている過程、その道中を楽しみたいのだ、私は。
そのためには、面白そうと思ったことをやらなきゃいかんなと思うのです。現状に変化が起きてしまうようなことでもチャレンジもせにゃあかんな、と思うのですよ。

そういう話でした。

じゃまたね。

いべ




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