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祖母の遺影を加工する

「祖母が死んだ」と、父からの朝6時の電話で起きた。

「・・・そう」

と、返事をして、ぼんやりとする。喪服を準備し、実家に帰らないといけないと思い、朝から準備をしていた。

そしたら母からLINEのグループ通話がかかってきた。

***

母「ばあちゃんの遺影、どうしよう?」

母:「なんかね〜、目がぱっちりしてて顔がシュッとしてる写真がいい!とか言ってたんだけど、そんな写真、あるわけないじゃない」

妹:「ん? お姉ちゃんに加工してもらえばいいじゃん

と言われたので、姉である私がPhotoshopで加工することになった。

首のシワをエイっとぼかして、二重アゴをすっきりさせる。
目の二重のラインを際立たせる。
すこしだけ目を輝かせる。

…などなど、まぁ地味な作業なんですけどね。

スマホのアプリもあるけど、やっぱりPhotoshopが一番綺麗になる。

1時間ほどかけて加工し、葬儀業者が遺影としてプリントアウトしてくれた。


最後におばあちゃん孝行ができた気がした。

はは、Photoshopが使える孫がいてよかったね。。

***


私が、祖母の遺影を加工したのは、まぁ、

正直なところ、いちばんは、私の娘(1歳)のため。

娘は、大きくなっても、おそらく私の祖母の顔なんて覚えていないだろう。

だから、娘が成長し、
実家に帰るたびに見ることになるのが「遺影」である。

つまり、私の娘にとって、曽祖母との記憶なんて、ない。
遺影がすべてになるのである。

***

女の子は遅かれ早かれ 「自分の顔」が可愛いとか可愛くないとか、考えはじめる時期があると思う。


親目線では、うちの娘はわりと可愛いとは思ってるけど

自分の顔に悩む日がくるんじゃないかと思ってる。

娘の目はわたしに似てしまって奥二重だし、左右で目の形がちがう。

でもね、かわいいんだよ。それは本当。

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大体の女性の「かわいい」って、自己評価が大きいと思ってて

「自分自身のことを、ステキと思えるかどうか」が一番重要な点。

(もちろん、周りの人がアイドル並にちやほやしてくれるレベルで可愛く生まれてきたならいいんだけど、正直なところ、私の娘はそのレベルではない。残念ながら。)

だからこそ、自分で、「かわいい」と信じて生きてほしいのだ。

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そこで、親の出番である。

わたしの持論だけれども

子供にとってみると

「ママがかわいい」=「ママの子供である、わたしもかわいい」

という方程式はあると思っている。

***

だが、残念ながら 私だって歳はとるし、かわいくなれない日もある。

ママがブスという日だってあるのだ。

ママの姿なんて、うつろいやすいものなのだ。

まぁ、美容にかける時間と金がなければ老けるよね。


しかし、娘にとって 遺影だけは変わらない事実。


***

かわいい曽祖母がいることで

少しだけ、自信がつかないだろうか? 
少しだけ、救いになるんじゃないか?

と、わたしは目論んだのである。

***

だから私は遺影を加工した。

私が祖母のことを、娘に語る日のために。

***

もちろん娘に、昔の確執だとかそんな話はしない。

「ママには、すごくきれいだったおばあちゃんがいてね」

「あなたが0歳の頃もね、まだ少し元気だったから、抱っこしてくれてたのよ…。ずっと、『かわいいかわいい』って言ってたの」

と話すだけ。ふふふ。いいでしょう。

娘にいつか話す、「ひいばあちゃんとのふれあい」のストーリーはこれでいこう。

想像するだけでほほえましい。

***

別に、加工されててもいいじゃない。

事実なんて、空の上にしかないのだから。

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