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思うことをぽつぽつと置いていってます。 散文や詩もあります。 両親のこと、カウンセリン…

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思うことをぽつぽつと置いていってます。 散文や詩もあります。 両親のこと、カウンセリングのこと、料理のこと 映画のこと

マガジン

  • 梅、桃、あじさい、松、百日紅、つつじ、南天、柿、椛、月桂樹

    亡くなった母のことと、要介護認定を受けている父のことを、見つめたり、考えたり、泣いたり、感謝したり、葛藤したりして、私自身が再起動するための言葉を集めた散文集。

最近の記事

いろいろスープのいろいろな朝。

夫が、朝ごはんにスープを好むようになって 夕飯のあと、夜のうちに簡単に作れるスープを作っておくようになった。 夫がスープを好む理由は 食欲のない朝でも、するすると食べ進められるからだそう。 それに、朝はお腹が痛くなりやすいので、 あたたかい食べ物のほうが安心みたい。 だから、夏でも、朝はあたたかいスープを好む。 白米とスープと梅干をちょこっと。 そんな朝食。 私もスープが好き。スープは、飲んだとき体にしみわたる感じがする。 あたたかさと塩気と出汁と栄養が一気に体を巡る感

    • しいたけの美味しそうなレシピに出会った

      SNS上で美味しそうなレシピに出会って、作ってみた。 しいたけの肉詰め  少しオシャレな言い方をすると しいたけのファルシ 作ってみて、びっくりした。 こんなに美味しいお料理があるなんて なぜ今まで食べたことがなかったんだろう。 しいたけの傘に肉だねを詰めて フライパンで焼く。 ミニトマトも一緒に焼いて、マスカルポーネを添える そんなレシピ。 アンティーク風のお皿に盛りつけると とても上品な雰囲気の料理になる。 ナイフとフォークでいただく。 豚と牛の合挽ではじめは試

      • 「ただ聞くこと」は美しいのに

        ただ、脈打つ雨のように 自分の過去や現在の営みについて、言葉にして 誰かに聞いてもらいたいだけなのに なぜカウンセラーなどの聞き手を生業とする人の多くは その私の思いをどこか違うほうへ向けようとするのだろう ただ話す、それをただ聞くという行為が、時間が、空間が、 美しいと思うことはないのだろうか。 助けたい、変えたいという思いが それを壊してしまう 自然に流れる水を目で追うように、ただそれを見つめていてほしいことに 気づいていない 反応もそれほどいらない 相槌も大し

        • せっかく忘れてきたのに

          幼い頃から、父親の怒鳴り声やものを壊す音、母の叫び声を聞いて暮らしていた私は、その音を聞くたびに体が硬直して、臨戦態勢になる。 今でも、下の階の住人が大きな物音を立てると、体が動かなくなる。 下の階の人は怒っていないし、何かを壊そうともしていない、1階に父親は住んでいないよ、と自分自身に声をかけて、やっと体が動き出す。 DV家庭で育った子どもへのメンタルケアを、早いうちにしてほしかったなぁと思う。30代になってもその傷はまだ疼くことがある。 困ったことに、父親の病気や介護

        いろいろスープのいろいろな朝。

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        • 梅、桃、あじさい、松、百日紅、つつじ、南天、柿、椛、月桂樹
          3本

        記事

          シンクロニシティーの魔法がとけている

          カウンセラーや占い師などに相談をするとき、なぜか、私の現在の状況と同じような悩みを抱えている人に相談をしてしまう偶然というものが度々ある。 それをシンクロニシティー(共時性一致)と呼ぶと 大学時代に学んだことがあった。 この偶然はただの偶然ではなく意味のある偶然。 私は、このところクライエントになってばかりで 要はお金を払って話を聞いてもらう立場となることの方が増えた。 自分の悩みをおおよそ話したあと 『私も実は、』とカウンセラーが自己開示(自分の経験をあえて話すこと)

          シンクロニシティーの魔法がとけている

          「霧の濃い朝に鍵をかける」

          濃霧の朝 淡い白の世界に朝の光がほんのりと届いてくる このままこうして 明け方の世界にとどまっていたい あたたかいマグカップを手に 夜から朝になる世界を窓越しに見ている ストーブの音がサーっと響く以外 何も聞こえない 嬉しいことも悲しいことも 過去も未来も 濃縮したような霧の白 どこかの美術館で見た海外の風景画みたいに 静かで美しくて少し切ない この時間に鍵をかけておきたくて 朝の澄んだ世界を 描きたいと思うのかもしれない

          「霧の濃い朝に鍵をかける」

          空や海や風や大地を、両親だと思うこと

          大学生の頃に、あるカウンセラーさんが私に伝えてくれた言葉を この前ふと思い出した。 「肉親としてのお母さん、お父さんは、もちろん存在しているけれど、あなたは、あなたの本当のお母さん、お父さんは、空や海や風、大地、自然の全てだと感じているような気がする」と。 その言葉を聞いたとき、心が広がっていくのを感じた。 大きな自然が私を包んでくれていることを感じて、 そういう感覚が支えになりそうだなと思った。 まるで自然信仰のようだなと思ったけれど、その日本人の文化がどこか心の根の深

          空や海や風や大地を、両親だと思うこと

          偶然に出くわす花火は、虹や流れ星みたいに特別

          ある夏の日、群馬県の美術館へ足を運んだ。美術館へ続く道のそばに、蓮の花が咲いているのが見えた。美しい美術館で、心が少し踊る。 その帰りにアウトレットでのんびり買い物をして、美しいティーカップを購入したり、ジェラートピケのクレープを食べて、(お砂糖ざくざくで美味しかった)すっかり日が暮れて、帰り道、夜のドライブ。 どこからともなく、花火の音が聞こえる。 小山市の花火大会の真正面に偶然出くわして、夫と一緒に、おおおお!と、驚いて、気分が上がる。 目前に大きく上がる花火、ゆっく

          偶然に出くわす花火は、虹や流れ星みたいに特別

          アップルティーと友人

          あるファミレスのドリングバーのなかで 学生の頃にいちばん好きだったのは、 アップルティー。 高校生のとき、ある友人とファミレスでお茶するのが楽しくて、 いろんなことをずっとおしゃべりして、夜までずっと過ごした。 ファミレスの匂いが服に染みつくほどに。 そのとき、よく飲んでいたのが、アップルティー。 アップルティーを飲むと、 そのときのファミレスの景色とその友人を思い出す。 彼女は、私とは違って堅実で、地に足がついている。 私は、夢見がち。 それが補完作用のようだったのか、お

          アップルティーと友人

          恋しいのは雨の日の静かな午後

          明るい日射しが、朝5時過ぎに東の小窓から刺さってくる。 鋭い感じがする。 夏の太陽の明るさが心にフィットしにくい日があって 苦しくなるときが、ある。 頑張らなきゃいけないのかな、元気に振舞わなきゃいけないのかな そんな憂鬱。 でも、この頃は朝の太陽の光に少し友好的でもある。 やはり朝日は眩しくて、パワーがある。 体に受けると、パワーが染み込んでくるような気もする。 だけど、雨の日が恋しい。 しとしと降っている音が、部屋に静かに響く。 ピアノの繊細なジャズを聴きながら、お

          恋しいのは雨の日の静かな午後

          カフェに守ってもらって、暮らしている

          消えてしまいたくなるような日、私はカフェに行く。 その消えてしまえと声をかけてくる感情に翻弄される前に、カフェへ飛び込む。すると少し落ち着く。 カフェに命を守ってもらうようなそんな瞬間。 カフェを見渡す。窓辺に座るからし色のニット帽の男性も、ソファに腰かけてスカートの裾が弛んでいる彼女も、同じように消えてしまいたい日なのかもしれない。私のようにカフェに駆け込んだのかもしれない。 ロイヤルミルクティーのミルクのやわらかい甘さを感じて、脳のなかが一掃される。消えてしまいたいモ

          カフェに守ってもらって、暮らしている

          或る景色と音楽のプルースト効果を

          2月の雪が降る寒い頃、First love初恋 を観終えた。 エンドロールを見ながら、アイスランドの氷に覆われた景色と晴道と也英の人生について思い馳せた。 人生のひとつひとつのパーツが磨き上げられた宝石のように輝くひとつの断面で、その輝きは研磨されて、様々な角度を持ってより美しく輝いていくのだと。 全てに意味があったのだと思わせてくれる。 過去の私の、今の私の、悲しみも後悔も、この瞬間瞬間の経験は、きっと伏線のひとつ、ダイヤモンドの輝きの断面のひとつ。 そう思って、前へ進

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          実家の片付けをして、両親の想いが全てわかってしまったような気がする

          2021年、実家を売却するために、父と母の持ち物をひたすら片づけた。 ほとんどの物を捨てることになるのはわかっていながらも、ひとつひとつ手に取って、触れて、眺めたり、読んだり。このエプロン使ってたなぁとか、このペン使ってたなぁ、と思い出を思い出しながら、捨てることをためらいながら、でもありがとうと感謝して、処分していく。 その繰り返し。 営業職だった父の数千枚の名刺の束、カレンダーにびっしり書かれた仕事の予定、60代、70代でもお弁当を自分で作って働きつづけていた父の姿が思

          実家の片付けをして、両親の想いが全てわかってしまったような気がする

          ココアと雪の夜とファーストラブ

          大雪が降って、外出を控えるように呼び掛けるニュースの声に応じるように 私は、自宅で静かに生活をする。 干された洗濯物の景色と、ストーブの音がざーっと響く室内 求めている静寂とは少し違うけれど ひとまず、ここ数日薬膳の勉強をして知ったレシピでココアを作る。 と言っても、普通のココアにカルダモンパウダーを少量混ぜるだけ。 ココアを手に、昔のゼミ仲間の論文を読んでみたり、要らないものを捨てたり、夜にやりたくなる諸々を終えて NETFLIXシリーズのfirst loveを少し

          ココアと雪の夜とファーストラブ

          父の介護と向き合うために、モネの睡蓮を飾った

          原田マハさんの小説 ジヴェルニーの食卓を読んでいたのは2020年の秋。ちょうど父の介護と向き合うタイミングだった。4つの短編集のうちの最後のあの庭で過ごすモネの晩年を描いた短編を読むうちに、モネの晩年を見つめるうちに、自分の父の人生、存在が浮き彫りになって、私を直面させた。 現在、父は80代。私は30代。お孫さんですか?と言われることもある。 周りの同世代の友人の両親は、60代〜70代。 介護より子育てに追われている友人たちと同じ時間を生きている感覚はあまりない。 子

          父の介護と向き合うために、モネの睡蓮を飾った

          木漏れ日と母のコーヒーカップ

          片付けをしていて出てきた母のもの。 パリの骨董市にありそうな存在感を感じて 綺麗に磨いて、私の傍に連れて帰ってきた。 母は私から見ると、ひどく自己犠牲的に見えていて、自分自身のために生きてほしい、とよく伝えていたけれど 手紙や写真、洋服、着物、書道作品、レコード、絵画など、年に数回ずつ、遺品を少しずつ片付けてきて、いろいろと楽しい生き方してきたこと、恋もいろいろしていたことなど、人生を楽しむ華やかな母のイメージがやっと戻ってきた。 幸せだったかどうかなんて何回考えても私

          木漏れ日と母のコーヒーカップ