シンクロニシティーの魔法がとけている

カウンセラーや占い師などに相談をするとき、なぜか、私の現在の状況と同じような悩みを抱えている人に相談をしてしまう偶然というものが度々ある。
それをシンクロニシティー(共時性一致)と呼ぶと
大学時代に学んだことがあった。

この偶然はただの偶然ではなく意味のある偶然。

私は、このところクライエントになってばかりで
要はお金を払って話を聞いてもらう立場となることの方が増えた。

自分の悩みをおおよそ話したあと
『私も実は、』とカウンセラーが自己開示(自分の経験をあえて話すこと)を始めた瞬間、あ、また来た、と思う。
そして、私は一瞬冷める。
援助者が、自己開示を始めて、自分自身の話をしばらくするとき
私は、カウンセラーの経験知識からのそのスキルが出すぎないように、適度な感覚で共感をして、話し手のはずの私は聞き手の話を聞く。

貴重な偶然の一致なので感謝はするのだが、この意味のある偶然には、クライエントを癒す効果もあるだろうけれど、むしろ援助者側、聞き手側が深く癒されるということがあると思う。

私というクライエントを通して、援助者自身の悩みと同じであることからの当事者性をたっぷり含んで、優しい言葉かけ、受容、共感、傾聴、励まし、それらのカウンセリングを行うことが、カウンセラーの今の不可解な出来事、経験の価値を上げて、援助者自身を癒し、それが活力になっていくことを
私は知っている。

だから、一瞬冷める。
ああ、このカウンセラーは私以上に心が癒され、お金も得られる、仕事の価値や意義も見いだせる。
さて、私は。
その効用を知っているがゆえ、シンクロニシティの魔法にかかりにくい。

でも、その当事者性フル発動のカウンセラーは、真に私への励ましや、あたたかい言葉をかけてくれることが多い。
少し共感過多とも思えるぐらいに。

でも、お金を払って、私は何をしているんだろう。
カウンセラーさんを癒すための使者となり替わっていませんか、と
少し心が空っぽになることもある。


人を少し癒せたのなら、いいけれど
私が救われたくて、癒されたくて、お金を払って相談しているのだしな、と渋い気持ちにはなる。
私はやはり、自分のことを誰かに語ることが向いてないように思って、自分の在り方を再考したりもする。

私は、相談支援をしているとき、あまり自己開示はしない方だった。
私の経験と、クライエントの経験は似ているとしても、別のものだと思うこと、それから、自分の話をするのはクライエントの貴重な時間を奪っていることにもなりうるような気がしていた。
自己開示しなくても、共感の深度が深まっているので、言葉ではない何か、私の当事者性が伝わっているように思っている。本人は気づいていなくても、それが無意識下で発動していると思っている。その方が美しいと思って、そうしていた。

でも、自分の悩みを素直に表現してくれるカウンセラーや占い師さんってあたたかくてステキだなと思う。
この世界のどこかのだれかが、自分と同じ苦しみを抱えて今生きているということを知ることは、お互いに遠い誰かに思いを馳せて、これからを生きる勇気になる。愛がこの世界のあちこちに散りばめられていることに気づく。

こういう意味のある偶然に遭遇したとき、冷めた心を溶かして、もっと大切に抱きしめていられる気持ちでありたいなと思う。



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