せっかく忘れてきたのに

幼い頃から、父親の怒鳴り声やものを壊す音、母の叫び声を聞いて暮らしていた私は、その音を聞くたびに体が硬直して、臨戦態勢になる。
今でも、下の階の住人が大きな物音を立てると、体が動かなくなる。
下の階の人は怒っていないし、何かを壊そうともしていない、1階に父親は住んでいないよ、と自分自身に声をかけて、やっと体が動き出す。

DV家庭で育った子どもへのメンタルケアを、早いうちにしてほしかったなぁと思う。30代になってもその傷はまだ疼くことがある。

困ったことに、父親の病気や介護について向き合うことになってから、顕著にこの傷の痛みが増すようになった。

それまでは、母のこと、私のこと、家に訪問してくださるお世話になっている方々のことを、お酒に酔った父親が怒鳴ったり、怒り狂って暴れたりしたとき
それをなだめて、話を聞いて、寝かしつけて
そのことをなかったことにして、全て忘れて、
いわゆる気持ちの切り替えを自然にして、学校へ行ったし、仕事に行った。
父のそれが起きるのは深夜2時だったり、3時だったりして、そこからまた眠って、通学、通勤した。
そんなことが、よくあった。

今、要介護の父親へ、DVをして私を脅かしてきた人へ、気配りや優しさを尽くしていると、当時忘れてきたいろいろな苦しさや恐怖や、悲しみや憎しみが流れ込んでくることがある。それに抗うのだが、波に飲まれていつのまにかパニックになる。

せっかく、何度も何度も忘れてきたのに
忘れて前を向いてきたのに、と思う。
そういう虚しさが、曇り空と、とても重なる。




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