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今更『花の唄』考~spring songによせて~

ぶっちゃけこれを書きたくてnoteを始めたようなものなのです。いきなりめちゃくちゃ読者を限定した上に話題としては古いので、最初の記事としていかがなものかと思わんこともないですが、まあしょうがない。本当に書きたいネタに向かってだんだん盛り上げていくなんていうプロ漫画家みたいな芸当はわたしにゃできません。

本記事は劇場版Fate/stay night [Heaven's Feel] I.presage flower主題歌としての『花の唄』の考察記事です。原作ゲームまたは劇場版で[Heaven's Feel]ルートの予備知識がある読者を想定し、未公開の第3章の結末予想も含め盛大にネタバレしていきますので、問題ない方のみお付き合いください。

まえがき――私とFate

もともとAimerをよく聞いていて、『花の唄』は映画の登場人物の心情を歌っていることは知っており、なんとなく興味はありました。しかし私は中学以降アニメというものをほとんど見ていなかったので、Fateも名前くらいは聞いたことがある程度の認識でした(『LAST STARDUST』はガンダムの曲だと思っていました)。

そんな私を聖杯戦争へと引きずり込んだのがこのブログ。

なにやらすごい作品なのかもしれないと思い、ちょうど3月下旬の第3章公開直前、第1章・第2章が再上映していたというタイミングもあって、人生で初めて誰かが行くついでではなく自分の足で映画館へ向かったのでした。
(物語る亀さんのこのブログには他にも面白い作品を教えていただいてます)

で、まあ第2章まで連続で見て「(いろいろな意味で)すごいものを見てしまった…」となりながら第3章公開を心待ちにしていたら……同志の皆様、お判りいただけますね。冬が終わって春が来たら、“桜”を見に行こう…。

ちなみにレアルタ版セイバールートを途中までやって予習してから見に行きました。その後もアニメUBW、Zeroと進み、レアルタ版もきっちりクリアしました。
桜ルートはPC版との違いも気になるしホロアタも面白そうなのですが、金銭的にそこまでは手が出ません。。。
なお、FGOはやってません。

こんな具合にFate/stay nightの世界にはまり、入り口が桜ルートだったこともあって、いい年こいて桜推しになってしまい、あまつさえ人様にこのようにして私見を開陳するまでに至ったのでした(中学時代の自分よ、これが未来の君だ)。

なぜ今『花の唄』なのか

ここから本題。

3年前に公開され、これまで多くの人がさんざん話題にしてきた映画の主題歌に、今あえてニワカが考察を付け加える意義はどこにあるのでしょうか。

それは、「一人で見上げた花びらが散った」という歌詞と、作詞の梶浦さんの「花の唄はネタバレになっている」という発言を踏まえて第3章の結末がノーマルエンドであるとする予想が見受けられることと関連します。

参考:梶浦さんの発言が含まれるインタビュー

この予想は桜が士郎と結ばれて幸せになってほしい私としては看過できません。ノーマルエンドも物語としては綺麗にまとまってるし切なくて深い味わいがあるんですけどね…ちょっとしんどいし報われないなあ、と。
というわけで、劇場版Fate/stay night [Heaven's feel] III.spring song公開を(目前に…ッ!)控える現代的状況からの要請(とめっちゃ個人的な願望)を受け、

『花の唄』に歌われているのは物語のどの時点までなのか

という疑問を軸に私なりに歌詞を読み解いていきたいと思います。この問いを通して、ノーマルエンドにフラグが立っているのか、それとも無関係なのかをはっきりさせることがわたしの目的の一つです。

基本的な見方として、『花の唄』の曲の構成と劇場版HFの物語の進行は対応しているという解釈を提示します。

3つの「日々」

『花の唄』の1番には「日々」という言葉が3回現れます。ど頭の「その日々」、Bメロの「帰らぬ日々」、サビの「優しい日々」です。すべて1番に出てくるのがポイントで、「その日々」と「帰らぬ日々」が聖杯戦争以前の日常を説明し、「優しい日々」はそこに帰りたいと願っており、第1章の構成と対応します。

「その日々」と「優しい日々」が同じ時間を指していることは読み取りやすいでしょう。聖杯戦争が始まる前、歪さを抱えた少年と少女がそれぞれの歪さを秘密として互いに隠し持ったままありふれた日常を演じることができた、穏やかな日々。
それは桜にとって涙が出るほど帰りたい優しい日々であり、掴みとりたくても掴めない/捨てようとしても捨てられない臆病さをはらんだ微笑みを与え、死んだ目をしてただそこにあるだけの人形の心を変える優しい爪痕を刻んでくれた日々でした。
しかしそうして苦しみを忘れる一方、士郎の知らないところで桜の心は蟲蔵での責め苦や裏切りからくる呵責に泣き、かつ大切な人の側にいられる喜びに笑っていました。

帰らぬ日々を思うような
奇妙な愛しさに満ちた
箱庭の中で 息をひそめ
季節が行くことを忘れ
静かな水底のような
時間にいた

問題は「帰らぬ日々」です。
この日々には遠坂家での日々も重なっているのかもしれません。遠坂家は懐かしい生家でありながら自分を捨てた父への恨みや残った姉への嫉妬もあるという複雑な場所で、それを奇妙な愛しさと言っているとも読めます。一点の幸せもあるけれど苦しみにとりまかれている。箱庭=衛宮邸での日々は奇妙な愛しさという点でそんな日々を思わせます。箱庭の外の世界には恐いことばかりで身動きが取れなくなり、自分にとってたった一つの意味のあるものである日常が壊れてしまわないように息をひそめおびえる桜の姿があります。
幸せな時間はあっという間に過ぎ、辛い時間はいつまでも続くかのごとく感じるように、「その日々」はただ幸福で優しいだけでなく、一歩外に出れば季節が行くことを忘れて静かな水底のように動かない苦痛の時間でもあったということではないでしょうか。

この節の結論 1番メロ=第1章冒頭の日常

第一の崩壊…日常

冷たい花びら 夜に散り咲く
まるで白い雪のようだね 切なく
貴方の上に降った かなしみを全て
払いのけてあげたいだけ

サビ始まりのこの部分については様々な解釈があります。ここではこれまでの部分の解釈と大サビとの対応を踏まえて

『花の唄』のサビ=崩壊の合図

と解釈することにします。
ここで崩壊するのは、聖杯戦争以前の穏やかな日常です。

貴方のこと傷つけるもの全て
私はきっと許すことはできない

劇場版では桜のこのセリフはカットされていますが、レアルタ版ではセイバーが影に飲まれて士郎が独りで帰ってきた後にベッドの中でつぶやいています。つまり劇場版では第1章の終盤、桜が雪の中で士郎の帰りを待っているシーンと対応しています。

優しい日々 涙が出るほど帰りたい
貴方と二人で 見上げた花びらが散った

セイバーがいなくなって士郎が危ない目に合わなくてよくなるはず、と思ったのもつかの間(※)、二人で穏やかな日常を過ごすという希望の花びらは崩壊し、散ってしまったのです。まだ桜の目の前に士郎がいるので花びらを見上げるのは二人です。
(※)この会話をするのは劇場版では第2章冒頭に描かれる翌朝ですが、レアルタ版ではその夜のうちです。

“レイン”と“美しいアリア”

第2章における士郎と桜の関係の山場といえば“レイン”と“美しいアリア”でしょう。

月が雲に隠れて
貴方は道を失くして
泣き出しそうな
目をしてた

2番冒頭のこの部分は“レイン”の場面をいっているのではないでしょうか。

月が雲に隠れることの意味について、パンフレットで須藤監督は世界が二人を祝福していないことの暗示だとコメントしているそうです(私はパンフレットを持っていないので以下の記事をソースにしました)。

参考:https://movienians.com/fatehf

“レイン”の場面で、教会から逃げ出した桜はもうどこにも帰る場所がなくなった街を見渡して立ち尽くします。まさに世界から拒絶されている状態です。もちろんその時は激しい雨が降っていますから月は隠れています。
そしてこの時、士郎は桜を生かすべきか殺すべきか「道を失くして」、泣き出しそうだとイリヤに指摘されています。正義の味方にならなければならないという強迫観念からくる歪さが現実問題となって顕在化します。
桜もまた自らの歪さを吐露します。言葉の上では拒絶しながらも、心の底では受け止めてほしい、助けてほしいと懇願するように。歪さの一つは自らが危うい魔術師であり裏切り者であったこと。しかしそれ以上に重大で知られることを恐れていたのは自らが汚れた女(本来は自分の意志と無関係に強制的に汚された女性ですが、桜の実感としてはこちらが近い)であったことでした。この辺りの心情はこちらの方のほうがよほど深く理解しておられると思います。

ぎざぎざなこころだって
ふたつ合わせてみれば
優しいものがきっと
生まれてくるわ

そうして歪さを露呈した二人のぎざぎざな心も、ふたつ合わせてみれば互いを思いやり守ろうとする優しいものが生まれてくるのです。

そして士郎が桜を殺せない“美しいアリア”のシーン。レアルタ版での二人の会話が劇場版ではなくなっていましたが、士郎の心の中で桜がどれほど大きな存在になっていて、どうしてそれまでの自分を裏切ってでも桜を守ろうとしたのかがより伝わってくる映像になっていたと思います(個人的感想)。この辺を語りだすと脱線するので別記事で。。。
個人的感想はともかく、士郎は万人の正義の味方から桜だけの正義の味方になり、あらゆるものから桜を守る、その意味では桜を傷つけるものを許さないと決意します。

私を傷つけるものを
貴方は許さないでくれた
それだけでいいの

そんな士郎の決意を感じ取って、桜は間桐としての運命に自ら決着をつけることを決心します。守ろうとしてくれる、その気持ちだけでいい。これ以上士郎の道をねじ曲げ、戦いの中で傷つけるわけにはいかないと思ったのでしょう。

この節の結論 2番メロ=レイン~美しいアリア

第二の崩壊…桜

戯れに伸ばされた 貴方の手にしがみついた
諦めていた世界に
やがて温かな灯がともる

間奏からこの部分は単身間桐邸に向かう桜の回想的な独白ではないでしょうか(これ以降桜の目の前に士郎はいません。だから最後は一人で花びらを見上げるのです)。
士郎と出会う前の桜はただそこにあるだけの人形で、諦め、我慢することしか知りませんでした。その桜に他者を求める欲望を与えた一人が士郎でした(温かな灯を視覚的に象徴するのが土蔵のストーブ)。しかしレアルタ版では、それこそが臓硯の仕掛けた罠であり桜を崩壊させるきっかけであったことが述べられています。他者を求めるその欲望が裏切られたとき、自ずから聖杯を求めるようになると。そしてもう一人、桜を崩壊させえた存在である慎二(通称ワカメ)が引き金となります。
そう思ってこの後の大サビを聞くと狙いが当たって笑う臓硯の顔が浮かぶようです。

わるいことをしたらきっと貴方が
怒ってくれると約束したよね
だからきっともう一度
私を見つけてくれるよね
寂しいところに もういなくていいね
一人で 見上げた 花びらが散った

いよいよ大詰めです。

1・2行目はいうまでもなく「もし私が悪い人になったら許せませんか?」「ああ。桜が悪いことをしたら怒る。誰よりも叱る」というやりとりを受けたものですが、ここを読み込んでいくと続く歌詞の意味が見えてきます。

桜は「悪い人、許せませんか?」と聞いたのに対して士郎は「悪いこと、怒る・叱る」と返答しています。この言葉の違いが大きい。前者は存在そのものを悪と規定し否定しているのに対し、後者は存在自体は肯定したうえで悪い行いは否定し修正できるように怒る・叱ると言っているのです(第2章での“藤ねえにしては珍しい”名セリフにもつながりますね)。
この違いは、この世全ての悪という化物になり果てる運命を悪夢によって漠然とでも感じ取っていた桜とそうでない士郎との、事の重大さに対する認識の違いととることもできますが、それ以上のものがあるのではないかと私には感じられるのです。つまり、桜自身すら信じられない桜の良さ、少し大げさな言い方をすれば本質的善性とでもいうべきものを、士郎は信じていたのではないか、と。どうしようもない悪人に対して本気で叱ることはできません。さじを投げて勝手にさせるか許さず制裁を加えるかです。士郎はそうではなく、悪いことをしたらまともな桜に戻そう・戻せると思っているからこその「誰よりも叱る」なのではないでしょうか。

だからこそ桜は安堵し「――良かった。先輩になら、いいです」と言えたのではないでしょうか。「だからきっともう一度私を見つけてくれるよね、寂しいところにもういなくていいね」と思えるのです。”たとえ私が心の闇に堕ちてしまったとしても、貴方が手をさしのべて再びそこから救い出してくれる”と。
心に湧き上がる憎悪の渦の中、片隅に最後に残った理性でそのような希望を残しつつ、桜は影と一つになり黒化します。

「一人で見上げた花びらが散った」

まとめ

以上をまとめると次のような対応になります。

1番メロ=聖杯戦争以前の日常(第1章冒頭)
1番サビ=聖杯戦争開始~セイバー喪失(第1章)
2番メロ=レイン~美しいアリア(第2章)
Cメロ・大サビ=桜間桐邸へ~黒化(第2章終盤)

つまり、『花の唄』がネタバレしているのは第2章までであって、第3章の結末までではない、ということです。

そして、原作から士郎と桜の物語として再構成された劇場版HFという物語から、さらにセイバー(オルタ含む)の戦闘も、イリヤの葛藤も、言峰の苦悩も、凜や英霊たちの活躍もすべてそぎ落として純粋に士郎と桜の関係だけを抽出して桜の視点で語ってみせたのが『花の唄』なのではないでしょうか。

今後の課題と謝辞

本記事で考察しきれなかったところは
・「帰らぬ日々」の解釈をもう少し詰めたい
・サビと大サビ始めの「冷たい花びら」からのくだりの意味がつかめない
の2点が挙げられます。これらの点に限らず、ご感想やご意見お待ちしています。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。


↓↓↓以下、第3章結末予想↓↓↓



……まあ、第3章のビジュアルでライダーが鎖使ってるし(セイバーオルタとの決戦で士郎が投影を使ってライダーが鎖を使わないと生還できない)イリヤが天の衣着てるし(イリヤの好感度が足りなくて助けにこないと生還できない)第三魔法を使わないとタイトルのHeaven's Feelが回収できないし、劇場版は士郎生存エンドじゃないかなあ、と。
トゥルーエンドに関しては桜の償いについてファンの間で喧々諤々の議論が繰り返されてきていますが、その辺は須藤監督がうまいこと補足あるいは改変をしてくれるのではないかと期待しています!

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歌詞出典:lyricfind.com

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