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コーチングすごいなって思った日

だんだんと晴れつつある「もやもや」。
とはいえ、まだ掘りたくて、前から受けたかったコーチのコーチングを受けました。90分の有料コーチング。
「今あるもやもやがすっきりすればいいな」それが目指したゴールでした。

90分あるからこそ、あのとき何が起こったか、私の立場から見えたものを安心して丁寧に、丁寧に思い出しながら話しました。コーチはジャッジをしないで、そこにいて、聴いてくれるのだという安心感に包まれながら、ひたすら吐き出すように話しました。
蓋をして忘れようと、感じまいとしてきた記憶について他人に話したのは3年ぶりくらい。話すだけでもスッキリしていきます。パンドラの蓋は開けられた。

そこでコーチ:「いやー、無防備よね。正直にそのままに生きているのね。」というフィードバック。

ええっっ?わたし、無防備なの?こんなに自分の心に鎧をかぶって生きてる気がしてたのに。でも・・・ちょっと分かる気がする。嘘つけない。本当に思ったこと、感じたことしか話せない。思ったことをすぐ口にしてしまう。
そんな自分を知っている。それを無防備というのか?同時に、そういうタイプの人が苦手な人もいるよねって客観視的な発見。

そして。「話を聞いていて、向き合いたいって強い思いを感じた。向き合うことが大事なのかな?」と言われ、まさに!

そうだ。私は人と「向き合う」ということをとても大事にしてきた。
正面から向き合って話すこと。挨拶すること。話さなくても微笑むこと。
その態度でここにいるよ。あなたはそこにいるね。ってサインを送ること。そこにいる存在を認めること。ここにいる存在を認めてもらうこと。
それが大事だったんだ。
それが認められなかったことが悲しかったんだ。
もやもやの中にはその悲しみとか悔しさがあったんだ!という気付き。
また逆をいうと、人によっては「向き合わない大事もある」ということ。
それも尊重すべきであること。

霧が晴れていく。もしくはが凍った川や湖が解け出していくみたい。

そして気付く。
「向き合う」と「つながる」は違うことだ!と。
これは雷に打たれたような発見だった。
無防備な心で「向き合う」と「つながる」をぜーんぶ一緒くたにしていたから人間関係でストレスを抱えていたんだ!という気付き。

頭の中で新しい方程式が誕生。(あくまでも私の方程式)
知り合う → 向き合う → 向き合った人と信頼関係が築かれる 
→ つながる → 維持 もしくは アップグレード


見える化は得意技。
「私は今どこにいる?」って自問と現状把握が可能になります。

あれ?気付くと今回のセッションのゴール「すっきりしたい」にはもう到着しちゃっていました。でもまだまだ先に進むぞって調子が出てきている。

以前から抱えている課題を口にしてみました。
「知り合ってから第一印象を覆すまで、お友達になるまでの時間がすごく長い。その時間を短くしたい。」と。
私はスキのない完璧な人に見えるらしいのです。
本当はスキだらけなのですが。なんといっても無防備ですし。
すっかり心を許したお友達になると「こんなスキのある人だと思ってなかったよ。」とか「スキがあるのが良さだよ。」なんて言葉をもらうことが度々。一方、わたしの法則ではそこに行きつくまでに最短1年。子育てを始めてからは相当な年数が必要になっています。それを短くしたい。

「第一印象と伝えたい自分像にギャップがある。それをどうしたら埋めることが出来る?」

という問いにふと思い浮かんだのは「変顔が出来る人になる。」って回答。
最近子供たちと練習しているんですよね。
お母さん、面白ーいって子供たちが喜ぶのを見て、私もおかしく感じられるようになってきた今日この頃。

以前の私はどうしちゃったわけか、何も感じられませんでした。朝ご飯と昼ご飯と夜ご飯、そして洗濯、スケジュールのことしか頭になかったし、それをいかに手際よくこなすに全精力を掛けていました。そしていつの間にか感情の動かない人になっていました。最後にお腹を抱えて心から笑ったのはいつだったのかも思いだせないくらい。涙出るくらい笑いたいのに、笑い方も忘れていました。

そんな私の心をまた動くようにしてくれたのは、子供たちの理由ない「母への愛」と笑顔と無邪気さです。そして変顔も難なくこなす明るいお友達。
私も無邪気に笑えるようになって、自分と繋がりたい。それが今の自分が望むこと。

ここまで来たら、私はもう大丈夫。もやもやとバイバイ出来る。バイバイしたい。バイバイしよう。と思いました。

そんな90分は魔法のような時間でした。
長い旅行をした感じでもあって。トンネルの向こうに光が差した。

コーチングってすごいな。





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