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【掌編小説】記念日

(読了目安3分/約2,100字+α)


 優介が死んだ。車にはねられたらしい。

 彼の同僚から連絡が入り慌てて病院へ向かったが、死に目には間に合わなかった。顔はかすり傷程度で、冗談かと思うくらいあっけない最後だった。

 彼とは結婚して九年が経つ。二つ年下でおっとりした性格だ。しびれを切らして私が動くと「美穂はすごいなぁ」といつも子犬のような顔で笑うのだ。こちらの苛立ちがわかっていないようなのんびりとした声に、思わず口をついて言ってしまう。「バッカじゃないの」と。

 病院で、まだ少し温もりの残る彼の顔にも、棺に収まった彼の顔にも、部屋にあるへらへら笑う遺影にも「バッカじゃないの」と毒吐いた。

 彼の両親は私を心配して、葬儀の後もしばらく滞在していたが、仕事を口実にお帰りいただくことにした。

「美穂さんはご両親もいらっしゃらないし、心配だわ。なんでも相談してね。せめて子どもだけでも作っていたら良かったのに」

 彼の母親には悪気が無く、本当に心配していることは分かっている。だがその言葉が何よりも私を傷つけていることには気づきもしない。

 結婚当時は二人とも子どもを望んでいた。だが一向に気配はなく、自然と行為も減り、話題にも上らなくなった。

 私は彼からの最後のメールを開く。

「あ、ごめん! 今日めし、いい」

 思わず「バッカじゃないの」と呟いた。

 突然、携帯の着信音が部屋に鳴り響く。私のではない。遺影の横に置いた彼のスマホだった。なんとなく解約に行くのも億劫で、充電し続けていた。なんとなく充電していたら、玄関が開き彼がへらへらと笑って取りに来るような気がしていた。

 事故の時に割れた画面に表示されているのは、未登録の固定電話だ。通話を押す。

「サラマンジェ・ド・ヒロでございます。飯野様のお電話でしょうか」

「はい」

 私はかすれた声で答えた。聞き覚えのあるお店だが、すぐに思い出せない。

「十日のご予約でございますが、貸し切りのご要望ではございましたが、大変申し訳ございません。十日が記念日でどうしてもその日が良いというお客様がもう一組いらっしゃいまして、飯野様も大切な記念日とうかがっておりますので、できるだけお席を工夫しようとは思いますが」

「大丈夫ですよ」

 申し訳なさそうに話す女性の言葉を遮り、私は答えた。

 十二月十日。心当たりが無い。そんな予定を聞いてもいない。最近はお互い仕事も忙しく、朝晩の食事も別々で取り、顔を合わせることも少なくなっていた。彼の性格上無いとは思うが、不倫をされる余地もあったかもしれない。他の女性とでも行くつもりだったのだろうか。

「予約、何時でしたっけ?」

 私は時間をメモして電話を切った。

 普段着ることのないワンピースで一人、店の前に立った時、ようやく思い出した。昔、彼がプロポーズをしてくれた店だった。十二月十日。プロポーズをしてくれた日だ。

 私は店員に案内され、赤いバラの飾られた奥のテーブルに座る。確かにもう一席用意されているようだが、今の位置からは観葉植物に遮られて見えない。

 予約時間を過ぎると、私はお料理をお願いする。店員は戸惑いながら笑顔で承知した。

 オードブル。スープ。ポワソン。ソルベ。

 私は一人、無言で食べた。上品なクラシックの向こうで、男女の楽しそうな笑い声がかすかに聞こえる。

 次の皿が私の前に静かに置かれる。上品なステーキの付け合わせに、艶々と輝くニンジンが添えられていた。それを見て思い出す。あの日もこの料理を食べた。

 彼はニンジンが嫌いで、店員の目を盗んで私の皿に乗せたのだ。私は「みっともないからやめて」と声をひそめて怒り、彼は「だって」と言いながらへらへらと笑っていた。

「こちらのお皿はおさげしてもよろしいでしょうか」

 店員が優介の皿を指し示し、気遣うように問いかける。

 私はふと彼の皿に目をやり、息を呑む。どうして気が付かなかったのだろう。オードブルもスープもポワソンもソルベも、すべてあの日の料理だった。

 オードブルに添えられた花は食べられるのかと、彼は真面目な顔で訊ねてきた。

 ポタージュの皿の下の皿は汚れないけどやっぱり洗うのかなと、ベタベタと触りながら話していた。

 フィッシュスプーンの使い方をはじめて知って感心していた。

 上品なソルベもおいしいけど僕はバニラアイスがいいなと、小さな声で打ち明けた。

 彼はずっと笑っていた。

「どうか、そのまま」

 私は言葉に詰まりながら答える。店員は微笑を浮かべて頷くと、中央にあったバラの花瓶を私の方へ寄せ、皿の位置を調整する。

 あの日、彼は花瓶からこの赤いバラを抜き、私に差し出しプロポーズをした。私はプロポーズを受け、そのバラを持ち帰るとドライフラワーにして飾った。それを知った彼は「毎年十二月十日にあの店でバラをあげるよ」と約束したのだ。だが師走の忙しさに追われ、それ以来一度も果たされていない。

 十年分の赤いバラが鼻孔をくすぐる。

 約束の日、約束の場所、約束のバラ、あの日の料理。

「バッカじゃないの」

 私の呟きに、へらへらと笑う彼の姿は無い。



公募の荒波に砕け散ったお話を加筆修正して掲載しています。供養です。


毎週400字のショートショートを書かせていただいているので、もう少し長いものにも挑戦しようと、始めました。
ルールは、A4判400字詰換算5枚厳守。ワープロ原稿可。用紙は横使い、文字は縦書き。月1回テーマが発表されます。今回は「あの日」。

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