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SNSは人類の幸福度を上げたのか?

私は、飲食店をやっているので、営業上の宣伝ツールとして、インスタをやっています。
が、これがとても面倒です。
営業カレンダーや、新しく入荷したビールや、おススメ料理など、
1か月に数回投稿するレベルですが、
それでもかなりの負担になっています。
毎日のように投稿している料理店も沢山にありますが、
その努力をとても尊敬しています。

が、

「セクシー田中さん」にて発生した問題は、
Twitter(現X)での、脚本家の発言が発端でした。

(ちなみに私は、事件の前から、原作漫画を途中まで読んでいました)

関係者間の打ち合わせ等で慎重に発言すべき事案において、
関係者の調整もなく、自らの意見を全世界に発信したことが発端となり、
一般人の勝手気ままな賛否の声が集まり、
関係者は困惑し、
原作者は傷つき、
最悪の結果になってしまいました。
(これは私の勝手な想像ですが、詳細が公表されないため、私の様に勝手に想像する一般人が沢山います)

人はSNSを通じて、自分の意見を発言する自由はあると思いますが、
その内容が真実ではなかったり、
誰かを否定することになるような発言は、
すべきでないと思っています。
自分の勝手な私見を、
関係者あてEメールで、CCを全世界のアカウントにしているのと同様、
全くの不適切な発信だと思っています。

普通の一般の会社なら、社長や役員と言えども、
自らの私見を全世界に発信するには、社内外関係者の確認をとります。
関係者間で揉めている事案であれば、なおさらです。

が、
SNSでは個人が気ままに全世界に自分の意見を発信しています。
それが、ビジネス関係の内容であって、関係者が多くいても、
簡単にできてしまいます。

最近、特に問題になるのは、
芸能人や、芸術関係の人、スポーツ選手等、
個人で仕事をしている人たちの発信です。

企業なら、ビジネスに関する発信は個人ではしないように教育されますが、
個人で仕事をしている人や学生は、
SNSの発信リスクについて、教育されていません。

今回の事件も、SNSさえなければ、発生していなかったと思っています。


この事件で、私は、
「インスタやTwitterなどのSNSは、人類の幸福度を上げたのか?」
と、ふと疑問になりました。
ビジネス上の宣伝として使っている人はいる人にとっては幸福度は関係ないですが、
プライベートでの幸福度が上がった人はいるのでしょうか?


かわいい自分のペットの写真や動画を投稿して、
沢山の共感(いいね)を得て、満足している人は沢山いますし、
気持ちはよーく分かります。
人は他人の共感を得たい生き物ですから。

SNSが登場する前は、
かわいいペットの写真や動画は、
自分で楽しむか、友人に自慢するか程度だったと思います。
今はそれを、全世界に発信しています。

SNSが登場する前は、親しい友人や親族に話していた愚痴が、
今は、SNSを通じて全世界に発信されています。

SNSという公共空間を通じた、
赤の他人からの、自分への共感「いいね」は、
一時的な幸福度に繋がるかもしれませんが、
大きく批判されるリスクもはらんでいます。
言い換えれば、
「一時的な幸福度」の為に、
「人生を狂わされるリスク」を冒しているのです。


長期的な幸福度は、赤の他人からの共感の数ではなく、
自分の中での充実感と、親しい人との良好な関係だと思っています。
その為にはSNSは不要です。

私は、SNSは人類の幸福度を下げていると思っています。
まやかしの幸福度に注目させ、
本当の幸福度の追求から目を逸らさせている
とさえ思ってしまいます。

ビジネスとしての利用価値はあるでしょう。
ニュースの発信としての利用価値もあるでしょう。


ただ、それ以外の用途で個人が使う場合、
その人の長期的な幸福度にはマイナスになっていると感じています。
一時的に承認欲求が満たされる代わりに、
批判されるリスクがほぼ永久に続くからです。
(リスクを全く気にしない前アメリカ大統領は例外ですが)

SNSはビジネス上のツールです。
開発した米企業は、人類の幸福度を上げる為ではなく、
金儲けのビジネスとして開発しています。

無料で便利なツールは、当然、何らかのリスクを伴っています。
個人は誰も守ってくれません。
自らが自衛しなければなりません。


世界各地で拡大しつつある紛争、先進国でも進む極右化、政治家の劣化。
そしてSNSの拡大、AIの成長、フェイクニュースの蔓延。

全て、人類が悪い方向に行っている気がしてなりません。

一部の利己的な人間の富を増やし、その他の人類に苦痛を与える方向です。


同じように警鐘を鳴らす声が増えるといいのですが・・・・。

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