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身体にフィットした台詞

2024.6.23 (月) fit my body well


整形外科の受診日だったが、いろいろ諸事情があり行けなかった。
腰痛は最大に痛い時に比べると1/5くらいになったからもういいかなと思っている。
これ以上は回復しないように思う。それは医師を批判しているのではなくて、人間の身体には限度というのがあるのではないか…この年齢ならこのくらいで十分ではないかと思う。
二十歳の頃のような身体に戻してくれというのは、少々厚かましいのかなと思う。

朝から、WOWOWでドキュメンタリー映画『柄本家のゴドー』を観た。
柄本明さんが息子の柄本佑さんと柄本時生さんに頼まれて戯曲『ゴドーを待ちながら』の演出をするというドキュメンタリー映像。
目から鱗も出るけど、目から涙が出るほどだった。
柄本明さんは、昭和の根っからの演劇人である。今の演劇のインスタントな手軽さはないが、じっくり吟味した味がある。
劇団東京乾電池は若い時から大好きだったし、柄本明個人も大好きな役者さんだ。
「芝居ってさ...」という柄本明さんの語りも、一字一句逃さないように聞いた。日本語の魅力は、たったひとつの言葉でも数十、いや数百の意味がある。細かく言うと人の数だけ意味が違っていて言い方も違う。改めてそれを再確認した。
言葉(台詞)は身体にフィットしなければ伝わらないのだ。
すごくやる気が出る映像だった。
あと5回は見るだろう。

11時出かける。
その映画を観たせいかやる気が漲っている。
いいことだ。
どんな理由であれやる気が漲ることはいいことだ。

稽古に入る前に、カフェに寄って原稿を書く。
近くにいたひとりの女性客が、コーヒーをひと口飲んで「ハァ」とため息を漏らした。顔を見ると眉間に皺が寄ってる。
しばらく彼女の動きを観察する。何が不快なのかわからないが、たぶん何か嫌なことがあるのだろう。そういう時、人はどんな顔でどんな仕草でコーヒーを飲むのかとても勉強になった。コーヒーがあくまでも付属品に過ぎなくて頭の中はその嫌なことの何かで充満している顔だった。自分はコーヒーを飲んでいることすら意識していないに違いない。
ビデオに残せればいいけど、そんなことはできないので、できる限り詳細にメモに残す。

午後6時、稽古終了。
湿気を帯びた生ぬるい、風に吹かれながら帰宅。
鍋焼きうどんが食べたくて作る。
夫に「この時期に鍋焼きうどんって勇気あるね」と言われた。

10時半就寝予定。
明日もいろいろ漲りますように。

お疲れさまでした。



読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。