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失われた世界について止まらない悲しみ

短い時間の長い瞬間
12話[失われた世界について止まらない悲しみ]

剣志は2日間の有給を取って、飛行機で福岡に向かっていた。
あれから美涼の両親に今の状況を説明するために電話をしたら、電話先で泣き崩れているようで話にならなかった。娘の美佳のこともあるので一度そちらに伺いますと提案したら、昼間だと近所の目につきやすいから夜間に来て欲しいという要望があった。
剣志はこんな事態になっても近所の目を気にするのかと半分呆れ果てたが、以前、綾乃が言っていた「田舎ってね、怖いよ。噂が人を殺すんだよ」という言葉を思い出した。東京生まれ東京育ちの剣志にはわからない世界であったけど、あの年老いたご両親が毎日近所の目を気にしながら肩身の狭い思いで生きているかと思うと不憫でならない。かといって心底その気持ちがわかるかといえばそうでない自分がいるのも正直なところだった。
生活というのは、その土地で働いて税金を払って近所付き合いをしてみないとそこの暮らしというのはわからない。いくら剣志が想像を膨らませてみても田舎の生活の本質はわかるはずもなかった。

福岡空港には午後1時過ぎに着いた。
まず空港の観光案内所に行って今夜のホテルを探してもらう。
「場所はどの辺がよろしいですか?」と聞かれ、目的地にはたぶんホテルなどないだろうと思い、交通の便の良さを考えて博多駅周辺で探してもらう。博多駅からなら乗り換えずに行けるはずだという遠い記憶があった。
希望の部屋や料金などを指定して予約してくれたのが博多駅から徒歩7分ほどのところにあるビジネスホテルだった。
「このホテルのプランで午後3時までにチェックインされると、アフタヌーンティーのサービスが受けられますが、いかがなさいますか?」と聞かれ、アフタヌーンティーなんて女子じゃあるまいしと思ったけれど、3時には充分間に合うと思ったし、昼食を食べていなかったせいでお腹は空いている。
「お願いします」と伝えて観光案内所を出た。

地下鉄で博多まで2駅の間、何も考えないようにしたが気持ちは重いまま博多駅に着いた。
『今、博多に着いた。ホテルに落ち着いたらまたLINEするよ』
綾乃にLINEを送ったが、仕事中なのだろう既読はすぐには付かなかった。

ホテルのアフタヌーンティーはやはり女子好みのものだった。かわいく飾られたプチケーキやサンドイッチ、ちょっとしたサラダのような物と飲み物が付いていた。無料だから文句を言う筋合いではないが、どちらかと言うと博多ラーメンが食べたかったなと思う。サンドイッチを摘んでいる時にスマホが鳴った。綾乃からかもと思って表示を見たら美涼の実家の固定電話の番号が表示されていた。口の中にあるサンドイッチをコーヒーで流し込み電話に出た。
「もしもし、剣志さん?今どこね」
「今、博多のホテルに着いたところです」
「そうね、ご苦労やったね。何時ごろ来られるかなと思うて…」
「そちらの都合に合わせます。でも美佳が起きてる時間がいいんですが」
「そしたら、7時くらいはどうね?もう暗いし人目にもつかんと思うし」
「わかりました。近くまで行ったらこちらから電話入れます」
「ほんとにすまんね、よろしくね」
電話を切った後、美佳に東京で何かお土産を買ってくれば良かったと思って後悔した。博多のデパートでもちょっと見てみようかと思うが、長い間会っていないからどんなものに興味を持っているかさっぱりわからなかった。
美涼から時々ある電話では、絵を描くのが好きらしくて色がたくさんある色鉛筆を欲しがっていると聞いた記憶がある。絵本を見るのも好きだと言ってたな...微かな記憶を辿って思い出そうとするがそれくらいしか思い出さなかった。
アフタヌーンティーで昼食もどきを終えて、博多駅前にあるデパートに出かけた。幼児用のグッズなどを売っている売り場に行く。キラキラフワフワしたものがたくさんある中で、迷ってても時間が経つばかりだと思い、店員に「5歳の女の子へのプレゼントを探しているのだけど、絵を描くのが好きだって言ってたからそれに関係したものとか何かありますか?」と単刀直入に聞いてみた。すると店員は「お嬢様にプレゼントですか?ありますよ、少しお待ちください」と言って小走りにどこかへ行ってすぐに戻ってきた。
目の前に広げられたのは、色鉛筆、クレヨン、水性ペン、画用紙などが綺麗にセットされてお稽古バックのようなカバンに納められた商品だった。
「綺麗ですね」
「これとても人気なんです。これひとつでお絵描きが始められますよ」
「これにします。プレゼント用に包装してもらえますか」
「はい、じゃこちらへ」
値段を聞くのを忘れたが、いくら高くてもいいやと思った。いつも泣いていると聞いているから笑顔になってもらえたらお金のことはどうでもよかった。
今度は階下のお菓子売り場に行って、ご両親にお菓子の詰め合わせを買う。
お菓子売り場をうろうろしていると、美涼と結婚する時にご両親に挨拶に行った時のことを思い出した。あの時もここでお土産のお菓子を買ったのだ。
あの頃とは今はまったく状況が変わってしまった。
美涼はこの博多の街のどこかで蹲るようにして生きている。でももう自分が助けられることはないだろうと剣志は思う。ただしてやれることは美佳をちゃんと面倒見てやることだと思っている。

荷物を下げたままチェーン展開しているカフェを見つけて入った。そこで綾乃にLINEを送る。
『仕事中だったらごめん。夜7時に向こうに行くことになった』
今度はすぐに既読が付いた。
『お疲れさま。今、午後の15分休憩してる。これからが大変だろうけど頑張って』
『了解。ちょっと気が重いけど頑張るよ』
若い子が見たらなんて愛想のないLINEだと思うかもしれないほどあっさりとしているLINEの文面に剣志自身が可笑しくて苦笑いした。それほど自分も綾乃も少し緊張状態にあるということだろう。
近くの席にいた大学生風の男子ふたりがお互いに自分のスマホ画面を見ながら話している。
「プーチンさ、ヤバいよな」
「何とかなんないのかな」
「プーチンってもういっちゃってる顔してるからな。キャハハ」
今朝からニュースはロシアがウクライナに侵攻したというニュースで持ちきりだった。仕事柄とても興味のあるニュースだったが、この男子たちが声に出すまですっかり忘れていた。
「オレ、もうあのバイトやめようかな」
「なんで?ギャラ良かったんじゃないの」
「変な女が働いててさ、その女に絡まれてんの」
「可愛いの?ブス?」
「そんなことよか、ちょっと薬中みたいで怖いよ」
「ヤベェ、プーチンよかヤベェな。キャハハ」
コロコロを変わる会話を聞くともなしに聞いていた剣志は『薬中』という言葉が少し引っかかったものの、こういうことで大笑いできる若いエネルギーが羨ましいと思い、自分も今回のことをキャハハと笑って話せるような若さと能天気さが欲しいと思った。
この地に来てからまだ数時間しか経っていない。もう数日間ここにいるような憂鬱さが剣志を襲っていた。

その頃、菜津は大学病院の相談室に呼ばれていた。
「ご家族の方もご一緒に」という指示を無視してひとりで訪問していた。
相談室って…学校の進路相談の時以来だなと菜津もまた苦笑いしていた。


つづく


*1話から11話まではマガジン『noteは小説より奇なり』に集録済


あらすじ
それぞれが何かしらの問題を抱えて生きている複数の男女がいる。まったく違った時間の中で違った価値観で生きているが、それぞれはどこかでちょっとずつすれ違っていく。そのすれ違いは大きな波を呼ぶのか、単なるさざ波のようなものなのか、まだ誰も自分の未来を知らない。
主な登場人物
菜津:東京で働く女性
剣志:東京で働く男性
美涼:剣志の別れた妻
綾乃:剣志の現在の恋人(美涼の高校の後輩でもある)
美佳:剣志と美涼の子供
マサル:美涼の幼馴染
斉藤優里亜:大学病院・消化器内科の医師


読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。