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【読書感想文】 恋ははかない、 あるいは、プールの底のステーキ

恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ ・ 川上弘美


また今回も惑わされてしまった。
川上さんが書く作品は、いつ読んでも何を読んでも面白くて、そして不思議な空気が流れている。
それほんと?ほんとなの?という出来事や想いが描かれているのだが、
そんな、ふふっと笑えるような物語の中に少し刺を含ませたような表現が時々あって、そのふんわりドキドキとしたのを楽しみにいつも読んでいる。この作品もそれは多分にあり、小説のようであり、エッセイのようであり、日記のようでもあり、川上さんの自叙伝?と思うような錯覚さえ覚えるところもある。
結果的には小説なのだけれど、読み終えた今でも私はまだ惑わされているような状態が続いている。

あらすじは…
家庭の都合で、幼少時代をアメリカ・カリフォルニアで過ごした主人公の『わたし』。同じように家族ぐるみのつきあいで、カリフォルニア時代からの知り合いのアンとカズがいる。同じアパートメンツに住み、同じ幼稚園に通ったもののそれぞれの事情で日本に帰国して、半世紀ほど経ってから再会し、また交流が始まる。
カリフォルニア時代を過ごした幼少期からゆっくりと時は流れ、60歳を超えた主人公たちの過去と現在、そしてアメリカ生活と日本生活を描いた物語。

『わたし』と『アン』と『カズ』。
3人とも現在では、それなりに年を重ねてそれぞれの役割で生きているが、ふとしたことで過去の引き出しが開いてしまう。そして幼少期の自分たちの姿が、まるで今起こっていることのように表現されている箇所がいくつもある。
そういう時の川上さんの物語の描き方は惚れ惚れするくらい素敵だ。

最後の方にこんな言葉がある。

『いつもいつも、親しい人たちは見知らぬ顔になり、また見知った顔に戻る。わたしたちは、いったいどこに行くのだろう。年若いころのように、
とりとめなく思う。生まれてそして死ぬという時間の間に、いったいわたしたちはどのくらいたくさんのことを感じ、考え、忘れていくのだろう。』

本文より

そしてこうも書かれている。

『古くから堆積した記憶は、おそらく捏造されたり改変されたりしているにもかかわらず、なんと強固に記憶の中にとどまり続けているのかと、あっけにとられるところもあった。』

本文より

こういう箇所を読んでいると、作品の帯の部分にある言葉、
『あっ、また時間に捕まえられる、と思った。
 捕まえられるままに、しておいた。』
というのがとてもよく理解できる。
過去のさまざまな出来事を思い出しているとき、きっと私も時間に捕まえられているのだなと思う。たとえそれが捏造や改変されたものであっても、時間に捕まえれれるというのは心地よいのだ。
年を重ねるごとに過去を思い出すという行為が多くなってくるような気がする。思い出してはまた引き出しにしまい込み、また引き出してはしまい込むを繰り返している。
出し入れをしている間に、思い出は捏造され改変され劣化していくと分かってる。いや、分かってないのかもしれないが、それでもそれは楽しいに違いない。きっと楽しいに違いないのだろうとこの作品を読んで思った。


大人になっていろんなことが自由にできる年齢になったのに、なぜか疑問ばかりが浮かんでくるのか?私もよくあることだが、好きとか嫌いとか嫌だとか、嬉しいとか悲しいとか、会いたかったとか愛しているとか、素直に言えていた幼少期は遥か遠い昔で、どこか相手の気持ちを推し量ることだけ上手になって、それでも付かず離れず、大人の会話、大人の付き合いをするこの3人がとても羨ましかった。
現実はそううまくはいかない。
どこか男女の格差があったり、妬み嫉みなどが絡んでくる。
そんなのが嫌で学生時代の友達やなんかとはあまり付き合わないようにしている私だが、この3人の距離感を保つ技は実に見事だった。
技と言ったが、正確に言うとそれは技術の問題ではないだろう。
海外で暮らしたことがあるという経験だけによるものではなく、
長い年月の間にそれぞれにあったさまざまな経験によるものだと思う。
経験と時間。
人間はそれでできているのかもしれないな。

不思議な話も出てくるが、ところどころにドキッとするような文言が登場する。それを見つけられたらめっけもんだ。
ふわっとしてゆったりとして、少しの悲しみと少しの切なさが混じったとても素敵な大人の物語だった。


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恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ





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