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いつも雨音を聞きながらこれからのことを考える。

2020.7.25(土曜日) Rainy Day

あぁ雨が降ってるなぁと思いながら夢を見ていたようだ。

それは明け方の夢だった。乳がんになる夢。症状はまだ初期の段階なのだけど運よく乳がんの権威のある医師に出会うという夢。そこだけを鮮明に覚えていてその結果どうなったとかは覚えていない。乳がんになる夢は時々見る。それは母が乳がんで亡くなったということから意識の中に常にあるのかもしれない。乳がんは遺伝性が高いようで、今はまだ何ともないがいつそうなるとも限らない。気をつけて検診など毎年行っているが、いくら検診を真面目にやっていてもなる時はなると思っている。だからそんなことに気を囚われずに淡々と過ごしたいと思っているが、心とは裏腹に夢を時々見るということは私の思いは口ほどでもないということか...

それはそうと、夜中からずっと雨が降り続いている。雨音を聞きながら寝て、雨音を聞きながら夢を見ている感じだった。九州地方は大丈夫か...?という心配も頭をよぎるが、私は両耳に耳鳴りの持病がある。それゆえ、多少の雨音はどちらかというと大歓迎だ。耳の中にはもう10年近く途切れることなく川が流れ、虫が鳴き、時々小人たちが騒きまくる。いろんな医者に診てもらった。

耳鳴りはたぶん一生治らないよ、でも耳鳴りで死ぬことはないから大丈夫。

と言われるばかりで私の苦悩と医者の専門的立場の差異ははかりしれない。乳がんになることにはそれほどの恐怖や苦悩はないが、耳鳴りがこれからも進行していくかもしれないことに対しては落ち着いてはいられない。耳の中の川の流れも虫の鳴き声も自然界で聞いたら心地良いと感じる音だけど、耳(脳)で作り出される人工的なそれらの音は不快以外の何者でもない。低気圧で耳鳴りが増幅していき、雨のおかげでそれらの音が消されて気持ちが落ち着くという矛盾。雨が降らない日はホワイトノイズマシンで雨音を流す。改めて考えてみると私は雨音で心の冷静さを何とか保っていられるのだと思う。それが一生続くのだよ。昨夜は雨のおかげで乳がんになるという嫌な夢は見たけれど、耳鳴りで目が覚めることはなく、ホワイトノイズマシンの出番もなかった。

死なない病だから大丈夫でしょ...というのは正解ですか?

そんな流れから、安楽死のリミットも気になる。でもそれはまた別の話。




読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。