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不都合の種は、この足の下にあるのかも

2024.8.13 (火) normalcy bias


静かな部屋だ。
夫は友人たちとどこかに遊びに出掛けて、猫はいるにはいるが、涼しい部屋でずっと昼寝をしている。窓を開けると街の喧騒が聞こえてくるのだろうが、しっかりと閉じられた窓のせいで猫の寝返りの音が聞こえるくらいとても静かだ。
こんなことは珍しいと思いながら、その静けさを楽しんでいる。

お昼前、水が入荷しているかなと思って近所のスーパーに出かける。
1本もない。
代わりにスポーツドリンクを買う。
関西地方のスーパーでは、水とお米が売り切れで手に入らない。
お米は昨年の不作が原因で流通が不安定というのが理由、水は地震の備蓄のためである。大阪限定のニュース番組では一人当たり最低でも9リットル用意しろと言っている。我が家は二人暮らしなので最低でも18リットルの計算になる。お米は不作であればしょうがないと思うが、水はしばらくすると出てくるであろうと踏んでいる(関西人は熱し易く冷め易い性格なので...)
そんな中、お水をたくさん劇団に差し入れてくれた方がいた。
普通でもありがたいのに、手に入れるのが難しい最中に本当にありがたいことである。メーカーや大きさなどが不揃いだったのをみると、きっといろんなお店を回ってくれたのだなと想像する。

公私に関わらずいろいろ予想外のことが起きる2024年の夏である。
でも、事件や事故や災害は突然降って沸いたように起きるのではなく、そのたねみたいなものはもうずいぶん前からあって、それが徐々に大きくなって起きるのだ。そのたねの状態の時にそれに気が付いていた人と気が付かなかった人の差はきっと大きいのだろうと思う。
何か災害があったときに、
「こんなことが起きるなんて想像もしてませんでした」と、インタビューに答える方々が多くいる。
そういう言葉を聞くとものすごく『正常性バイアス』が発動いているのだなと思う。「自分に限って」「このくらい大したことはない」「今まで大丈夫だったから」という思いは本当に危険だなと思う。

午前中、音声配信(stand.fm)の収録をして配信した。
何を喋ろうからいろいろ悩む。
結局はありきたりな毒にも薬にもならない内容で終わる。
これがお茶を濁す…ということだ。
今は「何かを伝えたい!」という気力はないということに気がつく。
それに気がつくだけマシだと思うことにする。

今夜は何しようか…
ビールを飲みながら読書かな。
うん、それがいい。

お疲れ、出てませんか?








読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。