見出し画像

今日もまた笑顔の君が罪深い

2021.9.17(金曜日) weak point

台風が近づいている。

子供の頃は台風が来るというと、なんとなく非日常な感じでワクワクして台風の到来を待っていた。大人たちが懐中電灯や蝋燭やインスタント食品などを用意したり、なんだかんだと言い合いながら家中の雨戸を閉めて回ったり、そんな光景をみると大人たちは困惑気味でやっていたのだろうが、子供の私は「あぁ、台風って特別」という気持ちが込み上がってきてソワソワしたもんだ。大人になると「被害が出なきゃいいな」とそのことばかりを考えて早く過ぎ去ってくれることを願っている。無邪気な子供の頃が懐かしいといえば嘘になるが、何も考えなくても誰かが何かをやってくれる子供時代というのは、今となってみれば楽しい時代だった。

雨が降り出した。

雨が大降りにならないうちにクリーニング屋に洗濯物を出しに行く。マンションのエレベーターを降りてエントランスに着くと管理人さんがいた。彼は基本的にはいい人でよく働き住人に対しても愛想がいい。彼のやってることはいつも正しく何の落ち度もないのだが、私は彼が苦手だ。何が嫌かというと、愛想が良すぎるのだ。目が合うと「おはようございます」「こんにちは」と大きな声で挨拶をする。こちらが出かける時は「行ってらっしゃい」の後に「暑いから気をつけて」「雨が降りそうだから傘持ってますか」などと付け加えて言う。帰ってきた時は「お帰りなさい」の後に「暑かったでしょ」「お疲れさまでした」などと言う。その度に私も「行ってきます」「傘は持ってます」「ただいま」などと答える。家族でもないのに...。第三者が聞くとみんなが「いい人」と褒めるのだけど、私は彼に会うと気持ちが落ち着かないのだ。「行ってらっしゃい」も「お帰りなさい」も取り立てて複雑な意味のある言葉ではないが、時と場合によっては、会釈だけで済ませる方が粋な場合もある。

今は「こんにちは」だけ、今は会釈だけ...その微妙なニュアンスが彼にはない。夫にそのことを話すと同じようなことを思っていたそうだ。でもそれを求めるのはわがままなのだろうな。こういうふうに挨拶をされることを良しとしている人たちもいるのだろうから。私は自分のわがままを彼に求めるのは筋違いだとちゃんと自覚している。ならばどうすればいいか?自分が彼の目に入らなければ問題は解決すると思って、彼のいない時間帯や休憩時間を狙って外出するようにしている。なんで私がそこまでして...と思うけど、どうしても胸がざわつくからしょうがない。

今日はいないと思って出かけたら、いた。

「こんにちは。台風が来そうだから気をつけて行ってらっしゃい」

「こんにちは。ちょっとそこまで行くだけなので大丈夫です」

あぁ、ざわつく。

昨夜作ったおでんが大量に作りすぎたせで半分くらい残ってしまった。

今夜もおでん。

昨夜から部屋中におでんの匂いが充満している。





この記事が参加している募集

#スキしてみて

523,049件

読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。