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世界一優しいヤクザが真中夜を駆ける


一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。
いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。
『霜柱を踏みながら 16』


私がまだ小学校に上がる前の話である。小学校3年生の時に奈良に引っ越すまで私たち家族3人は大阪市内でアパート暮らしをしていた。2階建てのアパートの2階の一番奥に私たちの住まいがあった。私は小児喘息という病を持っていて、幼稚園に在籍していたもののその病のせいで半分も通うことができなかったと聞いている。よっぽど気分がいい時は通園していたが、それでも途中で発作を起こし結局早退してしまうことが多々あり、それでも「幼稚園に行きたい」と駄々をこねていたらしい。そんな執着心が私の子供の頃にあったなんて信じられないが、ひとりっ子という性格上か、両親が共働きだという理由か、たぶん人間と接することが少なくて寂しかったのだろうと思う。その病も父親譲りで父も呼吸器系が弱く、母は「嫌なところばかりお父さんに似てるね...」と、よく独り言のように、あるいは父に対しての当てつけのように言っていた。

そのアパートの部屋の隣に、私たちと同じ家族構成の家族が住んでいた。子供はまだ生まれたばかりの赤ちゃんで、タミエという名前からタミちゃんと呼ばれていた。タミちゃんはかすかな私の記憶からすると、色白で丸顔で当時流行っキューピー人形みたいな感じの赤ちゃんだった。無条件で可愛くて時々ほっぺを触らせてもらったりしていたのを覚えている。よく隣と行き来していたということはきっと家族ぐるみの付き合いがあったのだろう。タミちゃんのお母さんの記憶はあまりないのだが、お父さんの記憶は鮮明にある。背が小さくて髪は五分刈りで右頬に大きなホクロがあった。本名は知らないが「みっちゃん」と呼ばれていた。そして普通の人と違っていたのは、背中に大きくて綺麗な模様の花が咲いていたという事実だ。今ならそれがどういう意味を表していたのか理解できるが、子供であった私は理解できずにその背中を見るたびに「みっちゃんの背中、綺麗だね」と言っていた。

その背中を初めて見たのは、小学校に上がったばっかりの夏だった。

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