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わたくし的、丁寧なくらし

2021.12.20(月曜日) daily life

捨て駒を考える。

『わたくし的、丁寧なくらし』は、SNSや雑誌などで話題のいわゆるお金のかかる『丁寧な暮らし』とは対局にあるのではないかと思う。
流行りの丁寧な暮らしには良い素材の生活用品と良い素材の食材など、そして何より丁寧さをアピールする空間作りなど、お金のかかることばかりだ。
本来の丁寧な暮らしとは、『質素なものでも手をかけて丁寧に心豊かに暮らす』という意味なのでないかと以前から思っていたが、それ系の雑誌などを見ると、数万円する食器や水切りザル、有名な窯元が作った土鍋などに始まり、家具に至っては目が飛び出るほどの古い感じを漂わせる高級品が部屋にあり、老舗和菓子の店で買ってきたお饅頭を数万円するお皿に乗せ、ちょっと陰りのある調光で写真を撮って、『これが丁寧な暮らしです』とある。
丁寧、丁寧…とページをめくれば丁寧のオンパレード。
ちゃんちゃら可笑しいのだ。
それを難無くできるクリエーター(どういうわけかそういうのを提供している人はクリエーター系の人が多い)などは思う存分やって頂いていいと思うのだが、それを真似しようと普通の家庭の主婦が躍起になっているのを見ると、かわいそうに…と思ってしまう。
私に知人の中にもそういう人がひとりいて、Instagramなどに写真を投稿しているのを見ると、うまく『丁寧な暮らし』を演じている。
昨日、その人の家に行く私用があって出かけた。
Instagramの中の世界を想像して楽しみだなぁと思って出かけたら、Instagramに投稿している写真は部屋の中の一角だけで、周りを見ると100均で買ってきたプラスチック製品が山ほどあり、お菓子はスナック菓子で、コンビニでもらったの割り箸がそこらへんに立てかけてありで唖然とした。
「無理してんじゃないの?」と聞くと
「無理してるよ」と素直に返答された。
本人には言わなかったが、とても滑稽である。
無理してまでそういうのを真似する気持ちが私にはわからない。
私の場合は、ありのままの自分の生活をありのまま受け止めて、その中で少し工夫をすればいいかな…というのが『わたくし的、丁寧なくらし』だ。
コンビニのスナックを食べる時もあれば老舗のお菓子を食べることもある。でもそれを食べるために数万円のお皿は買わない。
美味しいと思える気持ちだけで、それはもう充分丁寧だ。
多少の無理は進歩への道でもあるが、大きな無理は歪みしか生まない。
「これは諦めよう」という生き方の中の捨て駒を自分で見極められるような大人の知恵をつけることも丁寧に繋がるのではいかなと思う。
と、お節介ながらここに書いておく。

捨て駒…
無駄な厄介者ということではない。
自分らしくない物ということだ。

空は穏やかに晴れている。
悲しい出来事が私たちを襲うが、
生きている者はできるだけ朗らかに、
誰かの分まで朗らかに生きていこう。
大きな無理はせずに…



読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。