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うどん屋のゆくえ

少し長い散歩をした。
ここ数年におけるこの街の変化が著しくて、こんなところにこんな店が...とか、あれここにあった店はなくなったのか...とか、変化を感じながら歩く。ほとんどがお洒落な店に変わっていて古くからやっていた店などは数えるほどしか残っていない。今はこの街のグルメ本が出るくらいに発展し賑わっているけれど、長年住んでいる者からすると思い出をちょっとずつ削り取られていくようで寂しくもある。過去のことばかりに囚われていりると進歩しないのかもしれないが、新しいものと古いものを両立させてこそ進歩だと思っている。

私は、閉店した店のその閉店理由を想像するのが好きだ。閑古鳥が鳴いている店は閉店の理由も明白だが、そうでなくて人気があるのに閉店してしまう店についてはその理由が気になってしょうがない。ついあれやこれやと考えてしまう。

以前、うちの近所に老舗のうどん屋があった。その店は私がこの街に住むずっと前からやっている店で、私は仕事でこの街を訪れる度にその店のうどんを食べていた。私は鍋焼きうどんが大好きで、いろんな店で食べているけどここの鍋焼きうどんが一番好きだった。何か特別な物が入っているとか、他店にない風貌をしているとかではないが、仕事がうまくいかなかった時は特にここの鍋焼きうどんが食べたくなった。
きっと店の女将さんの「まいど、どない?元気してるか」という言葉のスパイスが入っていたからだと思う。
滅入る気持ちで店を訪れても、変える頃には元気になって店を出ていた。

三年後、偶然にも私はこの街に住むことになった。
引っ越しが決まった時は、「これで毎日あそこのうどんが食べれるわ」と喜んだものだった。
そのうどん屋のご主人は見た目では60代半ばから70代前半くらいの年齢で、店先でうどんを打っている姿は年齢を感じさせないくらいエネルギッシュでかっこよかった。お昼時には行列ができて、行列がない時でも店内はいつも満席に近かった。そんな中で私は「あつぅ!あつぅ!」と言いながら鍋焼きうどんを食べていた。夏でも鍋焼きうどんを注文する変な客である私に女将さんが帰り際に「まいどおおきに、仕事頑張りや」と声をかけてくれるのが嬉しかった。

そんな楽しい日々が突然終わることになるとは夢にも思っていなかった。ある日、うふふな気分でうどん屋を訪ねると店はちゃんとやっているのだけど、入り口に張り紙がしてあった。
『今月いっぱいをもちまして閉店することになりました...』何度読み返しても理由は書かれていなかった。もやもやとした気分でうどんを食べる。店の人にその理由を聞こうと思うが、そういうことを聞くのは失礼なことなのかもしれないと思うとなかなか聞けない。聞けないまましばらくしてひっそりと閉店となってしまった。
それから私の閉店理由の想像が爆発することとなる。
まず最初に考えたのがご主人の病気説。何か重い病気にかかって、もううどんを打つことができなくなった。ご主人は他所から仕入れたうどんで商売するのは嫌だと家族に言い放つ。家族は泣く泣くそれを受け入れ店を閉めることに...

次に考えたのが借金説。ご主人はああ見えてもギャンブル好きで店が休みの時はギャンブルに嵩じていた。ずっと勝てない日が続き、その借金が膨れ上がり泣く泣く店を手放さなければならなくなった。

三番目は息子がわがままだった説。たしかあの店にはたまに顔出す息子がいたはずだ。その息子がうどん屋を継ぐのが嫌だと言い張り「俺はイタリアンレストランがしたいんだ」と訴えた。ご主人は泣く泣く息子のためだと思いうどん屋を閉めた。

最後は、単に飽きた説。
これはもう悲しくて想像できない。

うどん屋の跡地には実際にイタリアンレストランができて、あれよあれよという間にその店も閉店となり、芸能人が経営するレストランができて、それもあれよあれよという間に閉店となり、今はチェーン展開している焼き鳥屋になっている。うどん屋の後にできたそれぞれの店には一度も行っていない。意地でも行くかと言った方が正しいかもしれない。それほど私はあのうどん屋を愛していたのだ。
あのうどん屋はどこへ?
女将さんの励ましがなければうまく仕事ができないでいる未だに甘っちょろい私だ。
パラレルワールドのどこかの街角で営業しているなら、そっと私に打電してくれないだろうか。
どんな手を使ってでも飛んでいく。
あの鍋焼きうどんと女将さんのためならば。





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