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父のビスコ

読書記録[父のビスコ / 平松洋子 著 / 小学館]


食べ物の記憶というのは不思議なもので、もう何年もその食べ物にお目にかかってないのに、思い出した途端に鼻腔にその時の匂いが広がり、頭の中にその時の状況が浮かび上がる。
誰にでもそんな思い出の食べ物がひとつやふたつあると思うが、この作品は著者である平松洋子さんが生まれ育った倉敷で巡り合った食べ物、東京に出てから巡り合った食べ物など自分自身や家族とのエピソードと共に綴られた自伝的エッセイ集だ。

平松洋子さんの子供の頃からの記憶に残る食べ物が数多く登場する。
金平糖、ドンツクパン、ばらずし、芹そば、コロッケ、コッペパン、饅頭、アミの塩辛、ワタナベののジュースの素、とんかつ……などなど。
そして最後に登場する「ビスコ」
これは92歳でお亡くなりになったお父様との思い出の食べ物で、少し切なくて涙を誘う。

この本を読みながら、「さて、私にはそんな思い出の食べ物ってあるかな」と考えていた。
旅先などで美味しいものを食べた経験は数多くあるが、「美味しい」という感想以外に「こんなことがあった」「こんな思いをした」と語れるほどの物があるのだろうかと。
読後の余韻に浸りながら、昔のことを少し思い出してみた。
ひとつはっきりと思い出したことがある。
それは母が作る『五目炊き込みご飯」だ。
あまり料理をこまめにする母ではなかったけれど、年に数回気が向いたときに作ってくれた。
牛蒡と油揚げがふんだんに入っていて、私の大好物だった。
作り方を教えてもらおうと思っている矢先に母は亡くなってしまったが、作っている途中で「具材をしっかり油で炒めてから炊き込むと美味しくなるよ」と言っていたのを思い出した。
私もよく炊き込みご飯は作るが、あの母の味は出せない。
それは母が料理上手だったという意味ではない。
母が作り娘が食べるという関係性において成り立つ特別な味だからなのだろうと思う。
だからどんな一流の料理人が作ってもあの味は出せないのだ。

人それぞれにそういう思い入れのある食べ物があり、それぞれに楽しい、あるいは切ないエピソードがあると思う。
この本を読むと、誰もがその懐かしい思いに浸り、「あんなのがあったな」「あれは美味しかったな」などと思い出すに違いない。
もう同じ物は食べれないけれど、ずっと鼻腔に、舌の細胞に、頭の中の映像として残っていくのだと思う。

本編には、老舗旅館『旅館くらしき』の先代女将による随筆『倉敷川 流れるままに』の妙録が収録されている。
それもまた趣があって、読み応えがある。


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