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掃除婦のための手引き書

ルシア・ベルリンの文章を読むのは初めてだった。
ビリビリと痺れた。
それは忘れかけてた神経痛が雨と同時に再発した時のような「あぁ、」という痺れだった。
匂い立つような文章で、目の前でその光景が繰り広げられているかのようなリアルさと共に、主人公が感じる痛みや苦しみがまるで自分のことのように目から入った文字が脳で吸収され体全体に行き渡る感じがする。
さもすれば、自分も物語の中の登場人物のひとりかもしれないと錯覚してしまう。
これほどまでに読み手を翻弄させるのは、著者の生い立ちによるものが多いのかもしれないと解説者は説くが、私自身はそれほどまでに著者の生い立ちを把握しているわけではない。
著者に対してはまったくの初心者であるにもかかわらずこれほどまでの衝撃を受けるのだから、もっと詳しく把握している人が読むとどれほどの衝撃なのだろうと少し怖い気もしてくる。

この作品集は24の短編から成り立っているが、どれをとっても安らかで幸せを感じる作品はない。
リディア・デイヴィスの解説によると、

ルシア・ベルリンの小説は帯電している。むきだしの電線のように、触れるとビリビリ、バチッとくる。読み手の頭もそれに反応し、魅了され、歓喜し、目覚め、シナプス全部で沸きたつ。これこそまさに読み手の至福だ。
脳を使い、おのれの心臓の鼓動を感じる。

リディア・デイヴィスの解説より一部抜粋

とある。

でも私が思うに、どの読み手にもこれが当てはまるかというとそうでもないような気もしている。
やっぱり読み手を選ぶのではないかと……
共感をしたくて読書する人や、幸せな感覚を知りたくて読書する人、ファンタジーを求める人などは、読まない方が賢明かもしれない。
と、余計な心配をしてしまう。

タイトルになっている『掃除婦のための手引き書』は、
いつも死ぬことを考えている掃除婦の物語だ。
他の掃除婦は雇い主の家でよく物を盗む。でも主人公は金目のものは盗まない。盗むのは睡眠薬だ(いつか入り用になった時のために)
その部分を読むだけで、主人公の人生に対する切なさが手にとるようにわかる。
私が好きな一節は、『あとちょっとだけ』の冒頭の文章だ。

ため息も、心臓の鼓動も、オーガズムも、隣り合わせた時計の振り子がじきに同調するように、同じ長さに収斂する。一本の樹にとまったホタルは全体が一つになって明滅する。太陽は昇ってまた沈む。月は満ちそして欠け、
朝刊は毎朝六時三十五分きっかりにポーチに投げ込まれる。
人が死ぬと時間が止まる。もちろん死者にとっての時間は(たぶん)止まるが、残された者の時間は暴れ馬になる。

すっかり暗記してしまった。
こういう言葉はどこから降ってくるのだろう...…

すごい作家と出会ってしまった。



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