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覚悟の眼に映るハナミズキ

短い時間の長い瞬間
24[覚悟の眼に映るハナミズキ]

菜津は、病室の窓から少し離れたところにある公園にハナミズキの花が咲いているのを見つけた。ピンクと白と数本ずつ植えてあるようだ。
女性アーティストの『ハナミズキ』という歌がヒットした時に、どんな花なのか知らなくてネットで検索したことがあった。その時に見た花があまりに可愛らしくてそれ以来「好きな花は?」と聞かれると「ハナミズキ」と答えていた。好きな理由は自分でもはっきりとわからなかったが、桜や金木犀やひまわりなどの季節性の高い花は多くあるが、それらと違って素知らぬふりをして通り過ぎても許してもらえそうな自己主張しない感じが好きな理由かもしれないと思う。部屋に花を欠かさないとか花屋の前でつい足が止まってしまうとか、それほどの花好きではないと自分では思っているが、通り過ぎて心に残る花にはなぜか惹かれてしまう。

今日は医療コーディネーターの高東綾乃が来る日だ。
菜津はそのせいでまるで恋人を待つようにソワソワしている。自分の考えを聞いてくれる相手というのは、今の菜津にとっては恋人以上の存在かもしれない。
今まで医療コーディネーターという職業があることすら知らずに生きてた。そういう場面に出会うことなく生きてこれたということはある意味幸せなことだ。でも結果的に知ることになるのは辛い結果だが、こういう事態になってその存在の大きさを改めて菜津は感じていた。
前回は斉藤優里亜医師が病室まで連れてきてくれたが、今日は面談室で会うことになっていた。
約束の時間3時きっかりに面談室に入ると、すでに高東綾乃は席についていて何か資料を読んでいた。
菜津が入ってきたのを確認すると、
「あっ、こんにちは。ご気分がいかがですか?」と笑みを浮かべていた。
「こんにちは。今日は比較的にいい感じです」
「そうですか、じゃゆっくり話ができますね」
「あの、時間制限ってあるんですか?」
「次に担当の患者さんとの面談がある時は限られてきますけど、今日はこの後の面談はないので…あっ、でも子供を保育園に迎えに行かなきゃいけないので4時過ぎくらいまでで失礼しますけど」
「子供って…あの?」
「そう、あの子」
そう言って綾乃は笑い出して、菜津もつられて笑った。
「じゃ、菜津さんのお話を伺います」
「はい。ずっと考えていたんですが、退院したいんです」
「でもまだ抗がん剤治療の途中ですよね」
「もう治療はやめたいと思っています」
「そういう方はたくさんいますが、それはじっくり考えないと後になって後悔する人もいるにはいるから」
「もう飽きるほどじっくり考えました」
「飽きるほど?」
「はい、飽きるほど。っていうか、もう飽きました」
ふたりはまた声を合わせて笑った。
「退院となると、あとはポスピスに入るとか在宅医療という方法もあるんだけど、どういうのが希望ですか?」
「旅に出たいんです」
「旅?」
「私は今まで国内外問わずいろんなところを旅しました。それで、最後はやっぱり旅で終わりたいの。それが今一番やりたいことなんです」
「でも今は、感染症で渡航規制があるから海外などには行けないですよ」
「わかってます。海外は諦めてます。国内でずっと行きたいなと思っていたところがあるんです。最後にそこに行ってみたい」
「どこですか?」
「新潟県のヒスイ海岸」
「あっ、糸魚川市にある海岸でしょ」
「行ったことあるんですか?」
「ないけど、何かの雑誌で特集が組まれてて読んだことがあります。すごく素敵なところよね」
「そう、その海岸を散歩してみたい」
「誰か一緒に行ってくれる人いらっしゃるの?」
「ひとりで行きます。私、旅はひとり派なんです。誰かと行くと旅ではなく旅行になちゃうから」
「あぁ、深いなぁ。ひとり旅かぁ〜」
「はい」
「いろいろ覚悟が必要だと思うよ、いいの」
「はい」
「じゃ、私の方から斉藤医師と茂木医師に菜津さんの気持ちを伝えてみる」
「お願いします」
「その後のことは、ご家族も交えて相談しないといけないわね」
「それが、一番の難関です」
「そりゃそうよ、ご家族は治療を終えて回復する日を待っているはずだから、それを覆すようなことをするにはそれ相当の説得力がいるわね」
「そうなんです。病気のことを言うときもそうだった。両親の気持ちは痛いほどわかるんだけど......」
「応援します。菜津さんが自分の気持ちに正直に生きれるように」
「ありがとうございます」

綾乃は病院を出て保育園に向かう電車の中で、やっぱり菜津の考えは自分が想像した通りだったと思った。
菜津の顔を最初に見た時から、この人はたぶん治療をやめたいと言い出すだろうなと感じていた。
苦しい思いをしていくらか回復するならいいが、菜津の場合はそれが難しい病状だということを綾乃は知っている。
苦しい治療をやめたいという患者はたくさんいる。でも、結局「1日でも長く生きて」という家族の説得にあって苦しくても続ける患者がほとんどだ。綾乃はそれに対して私情を挟むことはできない。でも、菜津に関してはなんとか望みを叶えてやりたいと思った。それには難関がいろいろ待ち受けていることも知っていたが、彼女は病院のベッドの上で人生を終える人ではないと漠然と思っていた。

保育園に着くと、綾乃の姿を見つけた保育士が『美佳ちゃん、お姉さんが迎えにきたよ〜』と言っているのが聞こえる。
最初は「お母さんが迎えにきたよ」と言っていたのだが、まだお母さんと呼べない美佳に気を遣って保育士はお姉さんと呼んでくれている。
綾乃はそれでいいと思った。無理矢理呼ばせても意味がない。あくまでも自然にそうなることを願っていた。
綾乃は保育士に「いつもありがとうございます」と礼を言い「今日も美佳ちゃんは元気でしたよ」と報告を受けるのが日課となっている。
美佳と手を繋ぎながら帰る道すがら、「晩ごはん、何がいい?」と聞いて、スーパーに寄って買い物をして帰るのが綾乃にとっての幸せだった。
美佳が思春期を迎える頃には、いろいろと問題も出てくるかもしれないが、
先のことを考えても仕方がない。今を楽しもうと綾乃は思っていた。

菜津は弟にメールを送信していた。
『お姉ちゃんね、治療をやめて旅に出ようと思うの。
 治療をしても少し余命が伸びるくらいしか効果がないなら、
 自分らしく最後を迎えたいと思ってる。
 病院のベッドの上じゃなく、好きな場所で眠りにつきたいのよ。
 相談に乗ってくれる医療コーディネーターとかいう仕事をやってる人を
 紹介してもらって今日も話を聞いてもらってたのよ。
 たぶんお母さんもお父さんも猛反対するだろうから、
 あんたには味方になってほしい。
 どう思う?
 応援してくれる?』

なかなか返信が来なかった。
きっと考え込んでいるのだろう。
「もうすぐ消灯です」というアナウンスが流れた。
その時にピロロロロ〜ンという着信音が鳴った。

『俺も同じことを考えてた。
 姉ちゃんには自分らしく生きてほしい。
 でも俺から言うことじゃないから黙ってたけど、
 賛成だよ。応援するよ。
 どういうふうに生きるのかは本人が決めることだと思う。
 1日でも長く生きてほしいと親父やお袋は思ってると思うけど、
 俺は1日短くてもいいから好きなことをしている姉ちゃんが好きだぜ。
 頑張れ。旅に出ようぜ。
 一緒に行ってやろうか?』

菜津は涙が出るほど嬉しかった。
『さすが、私の弟だ。
 よくわかってるね〜。
 でも旅はひとりで行くよ、許せ。
 土産も買ってこれないかもしれないけど…
 それも許せ。
 安心した。
 ほんとにありがとう』

読書灯の下で返信をした。
そしてスマホの電源を切って読書灯をオフにしてゆっくりと目を閉じた。
珍しく睡眠導入剤を飲まなくてもすんなりと眠れそうな気がしていた。


つづく

*1話から24話までマガジン『noteは小説より奇なり』に集録済。

あらすじ
それぞれが何かしらの問題を抱えて生きている30代の複数の男女がいる。まったく違った時間の中で違った価値観で生きているが、それぞれはどこかでちょっとずつすれ違っていく。そのすれ違いは大きな波を呼ぶのか、単なるさざ波のようなものなのか……
病気、薬物中毒、離婚、隣で起こっていても不思議ではない物語は徐々に佳境を迎えつつある。
何も知らぬ者、すべてを知った者、人生を悟った者、夢を見続ける者それぞれが少しずつ近寄っていく。
そして、それぞれの運命の日を迎えようとしている。

主な登場人物
柴田菜津:東京で働く女性
高東剣志:東京で働く男性
吉岡美涼:剣志の別れた妻
高東綾乃:剣志の現在の妻(美涼の高校の後輩でもある)
美佳:剣志と美涼の子供
茂木:菜津の担当医師
斉藤優里亜:菜津の担当医師

読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。