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こんにちは。

『おとなのあそびば こどものまなびば』

おとなが本来のありのままの自分と
出会える場を創りたーい!

前回は、そんな想いを書いてみました。
https://note.com/beemanage/n/n4d87f08927aa

じゃあ、
どうやって本来の自分と出会うの?

今日は、その方法を一つご紹介します。

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これは、私が魅かれる
自然の姿です。

どこに魅かれるか、というと
朽ちた老木から、新しい芽が出て育っているのです。

違う角度から見ると、
こうなっています。

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すごくないですか?

この老木に
自分を重ね合わせて
見てしまうのです。

こんな自分に
憧れているんですね。

自分を土台にして
若い人が育っていく!

そんな自分になることを。


でも、他の人は、モグラの穴に魅かれたり、

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こんな葉っぱに魅かれたり、

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人それぞれ違うのです。


何に自分が魅かれるのか?

自然と対話しながら、
本来の自分が何を求めているのか、
何を大切にしているのか、

自身の感覚で探っていきます。


そのためには、
杉・ヒノキ林などのように単調ではなく、
多様性のある里山が適していますね。

きみつのさんぽ道は、
そんなフィールドに適した場所です!


一緒に散策しながら、
いろいろな植物や自然の縁起などをご紹介します。

ご自身の感覚にアクセスいただき、
自然の対話していただきます。

きっとあなたご自身が
大切にしているものが見つかるでしょう!

。。。。。

<今日の禅語>

「山是山 水是水」
(やまこれやま みずこれみず)

山は山であり、水は水である。
山と水は違うものであり、
それぞれの本分がある。

あなたはあなたであり、
他の誰でもないことを示唆する言葉です。

しかし、
この言葉、ここで終わらないのです。

この言葉の対語に、
こんな言葉があります。
「山是非山、水是非水」
(やまはやまにあらず、みずはみずにあらず」

山や水というのは、
人が勝手に名付けたものであり、

本来は山というものもなく、
水というものもない。

それぞれ独立したものではなく、
万物は一体である。

禅の究極は
無分別の世界です。

この言葉から、
私なりに受け取った教えは、
こんな感じです。

「私」は「私」であるけど
「私」は「私」にあらず。

「私」という枠をとっぱらい、
社会の一員であることを自覚し、
「仏」の心で生きよ。

(閑話休題)
「私」という字から
「木」の枝を払うと、
「仏」という字になりますね。

。。。。。

それでは、また。


コーチ×雲水×みつばち愛好家
伊藤 輝幸(幸覚)


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