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スタディーノート5 アラカン人の一面が垣間見える日

現在私が滞在しているシットウェでは、多くのアラカン人が「アラカンヒーロー」として崇め奉っている一人の僧がいた。ビルマの英領からの独立運動に貢献した、ウーオッタマ僧である。
本日9月9日は彼の命日である。昨晩、ビールを飲んで酩酊状態のまま床に就いた私は、翌朝太鼓の音頭と特大スピーカーにより何倍にも増幅された歌声で目を覚ました。朝から何事であるか。歯磨き粉を乗せた歯ブラシを持って外に出ると、学生ほどの男女が列になって道路を行進していた。前列は太鼓を持ち、バチは牙のような形状である。その後ろにはウーオッタマ僧の写真を持っている。綺麗な花たちで装飾がなされている。見物しているものは一生懸命にスマホカメラで撮影を行なっている。

写真1・民族衣装を着て行進する若者たち。太鼓のリズムはゆっくりである。

シットウェ市街地の公園にはウーオッタマ僧の像も立っている。公園へ向かうと胸に大きく彼のプリントが施されたTシャツをきた人で溢れかえっていた。彼の像の周りには溢れんばかりの花と写真が置かれている。銅像に向かって膝をつく人とその順番を待ちわびる人の列ができている。近辺には普段見ないポップコーンやアイスクリームの屋台があった。いつもと違うシットウェを見ることのできる期間に滞在できたことは幸運である(雨季であることを除けば)。

写真2・銅像の前で記念撮影を行う子供達。
胸に僧のプリントが施されている。

写真3・茶屋の女将もオッタマTシャツを着ていた。

写真4•像に向かい膝をついて礼を捧げる人々。

街が一体となって祝日を楽しむ。日本で言い換えるものがあるとすれば、夏にあるお祭りや正月ぐらいであろうか。アラカンの地に強いナショナリズムが渦巻いていることが分かる光景の一つには違いない。
 アラカン人の話、インターネットによれば彼は独立闘争の立役者でもあり、アラカン民族主義運動の長とされているようだ。彼が半植民地を掲げたスピーチをしたことにより、生涯を外より牢獄の中で多くの時間を過ごしたストーリーには現代アラカン人のビルマ軍に対する反骨精神とどこかシンクロナイズする。
またウーオッタマ僧はガンジーを崇拝して独立運動の際、非暴力を訴えた。一人の僧を持ち上げるアラカン人たちは、「非暴力」と聞いて何を連想するのだろうか。雨に濡れた像は、周りにできた人集りに揉まれながらじっと俯瞰していた。

写真4・普段は珍しい外国人の私は見られるが、この日は違う。皆像に釘付けである。

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