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フレンドリー風

いよいよ来週から授業が始まる。

合格してから随分と経ったので、本当に始まるのだろうかと思っていたが本当に始まるようだ。

素直に「楽しみです!!」と書けないあたりに自分のひねくれた性格を感じるが、忙しくなる前に色々書きだめて置こうという魂胆でパソコンに向かっている。


海外に来てから当たり前のように英語を使う機会が増えた。
スペイン語はさっぱりわからんし、日本語を話している人はほぼいないので、英語を使わざる負えないという表現が正しく、ほぼ生活必需品として稼働していただいている。

とはいえ、劇的に英語がしゃべれるようになったかというと否であり、私の思考回路は相変わらず日本語で構成され、日本語考えたことを英語に変換して相手に伝えている。

昔、予備校で「英語は日本語で考えているようではだめだ、英語は英語で考えろ」というようなことを言われたが、私の中に流れる大和魂は依然としてそれを拒否し、日本語で物を考え、日本語でアウトプットする機会を欲している。


ただし英語を使う機会が増えた分、否が応でも日本語と英語の違いは感じるところがある。
大変こすり倒された話で恐縮であるが、敬語だ。

英語はフォーマル、インフォーマルの差はあるが、そこまで堪能でない私にはさしたる違いにならず、どんな人にも同じような言葉が使える。

正直これはかなり楽である。
特にMBAのクラスは国籍、年齢がごちゃまぜなので、もし英語に敬語があったら、距離感を探ることにばかり神経を使い、ただでさえ低い私のコミュニケーション能力をさらに低下させていくだろう。

「なんかよくわからんけどフレンドリーに感じる」

というのが英語の持つ特殊効果であり、それは敬語がないからではないかという全く統計に基づかない仮説をここに打ち立てみる。


とはいえフレンドリーさが人間関係の距離を縮めるのか?という問いには、あまり効果が発揮されていると思えない。
結局私自身も英語を話すことで多少フレンドリー風になるだけで、ひねくれものなことは変わらないのである。

こう考えてくるとこれまでの人生でよく見てきた
「なんだか敬語は距離を感じるからため口で!!」
というケースはなんだったのだろうという疑問がわいてくる。

僕がそういった人へ多大なる偏見をもっていることは認めるが、敬語を使う仲でもため口で話してくる同級生よりはるかに親密というケースは多々あったような気がする。

つまるに言語云々でフレンドリーになるわけではなく、サングラスを掛けたら若干おしゃれになる的な効果しかないのだろうと私は考えてみたりしている。

とにもかくにも、こんな毒にも薬にもならないことをグチグチ考えられる日本語がやっぱりいいよねと思えたので今回はこれで終わる。



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