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心の動きを止めること

こんにちは。10月に入ったというのに夏に逆戻りしたかのような暑さです。もうあの夏を思い出したくないというほど、今年の夏の暑さには苦しめられました。体や心はその暑さにすっかり屈服してしまい、何かとぐったり。
気づけば「でも暑いからなあ…」と言い訳のようなことを言ったりしていました。こんなにも熱くなってしまって、地球それ自体や、日本以外の地域についても心配が募ります。

さて、今日は心の動きを止めることについて。
私が在籍しているヨガ練習グループでは、古典であるヨーガスートラを紐解いて考察する時間も大切にしています。ヨーガスートラは、パタンジャリという哲学者がまとめたヨガにまつわる哲学書です。

ヨガとは、心の動きを止滅することである。

ヨーガススートラ 第1章2節

これは、最も有名なヨーガスートラの冒頭です。
体を柔らかくすることでも、筋力をつけることでもなく、ヨガの目的は心の動きを止めることだと明記されています。
私はその教典を過去に読んではいましたが、その言葉の意味をもう一度深く考えました。

確かに、アーサナ(ポーズ)を取っていると、身体への刺激を通して様々な感覚、感情が沸き上がります。筋肉が伸び切らない部分への痛み、みんなが難なくこなしているのに、自分はできないときの焦り、昨日はできたのになぜ今日はできないのか、という疑問など。逆に、上手にできたときの達成感や喜びを強く感じることもあります。

いちいち刺激に反応してしまう自分の心をなだめるのは大変です。
しかしそれに振り回されていては一向に成長できないのだと気づきました。

できないアーサナのときに「できない」と思ってしまうと、別の機会にそのアーサナに取り組もうとしたときに「できない」という気持ちが先行してしまい、本当にできなくなってしまうのです。
自分で自分にストッパーをかけてしまっているんだ、と気づき、今朝のヨガは心の平穏さを意識して取り組みました。自分はすでにすべて持っていて、あとはその持っているモノをどう使うか、どうバランスを取るのか、ということに尽きるのだと考えるようにしました。

そうはいっても、痛みや苦しみを無視していいわけではないのだと思います。時には、痛みや苦しみを感じる場所へは深く分け入って、その根源を見つめなくては癒されないこともあるからです。
そして、喜びや幸せ、達成感という感情もまた、意欲を高めるためには必要な感情だと思います。私は映画や絵画を鑑賞することも好きなので、日常生活の中で決して心を動かさずにいることはほとんど不可能です。

心の動きを止滅させることと、感情豊かに人生を楽しむこと。
一見相反するようですが、両立させることはどうやったら叶うのでしょうか。
私は、「心の動きを止めた自分」と、「感情豊かな自分」の2つの自分に分けて考えればよいと思っています。感情豊かな自分をいつも、心の動きを止めた自分が俯瞰しているというイメージです。そんな冷静な、何色にも染まらない本質的な自分を保つことができれば、あふれる感情に飲み込まれることもありません。

心の動きを止めた自分を見つけることは難しいことです。
ヨガや瞑想はそのための鍛錬にすぎず、それ自体が目的になってしまわないように気を付けなければなりません。
ヨーガスートラの冒頭は、たった一行ですが、なぜ自分がヨガをするのかを改めてはっきりさせてくれる言葉だと思いました。

今日はここまで。
ヨガに興味がない方にとってはつまらない内容だったかもしれませんが、このようなアプローチの仕方もあると知ってもらえたら嬉しいです。

寒暖差の激しい季節ですが、皆さんも体を大切にしてください。

豊かになりましょう。

全ての命が輝きますように。


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