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ヒンズー教と仏教の原風景Ⅵ

親を殺した匕首(1)」と「地獄への道は善意で被われている」で「イデオロギーは人を殺す思想です。科学の発展を阻止するよりも百害あって一利なしのイデオロギーと宗教を禁止してほしい」と書きました。
この場合の「イデオロギー」「宗教」とは、集団で排他的にその集団以外を否定する概念です。極めて個人的な「イデオロギー」「宗教」を否定するものではありません。動画を見ましょうか。

福井人が送る永平寺の完全版

この僧侶たちは、極めて個人的な「宗教」を信仰しています。この僧侶たちは衆生(しゅじょう:生命のあるすべてのもの)を救うことを考えているでしょうか?私はそうは思わない。まず、無です。それから己(おのれ)である。僧侶の集団ですが、彼らは集団で排他的にその集団以外を否定するでしょうか?そうは思えませんね?

ヒンズー教と仏教の原風景

さて、禅の話が出ましたので、久しぶりに『ヒンズー教と仏教の原風景』 の続きを書きましょう。

◯ 釈迦

釈迦は仏教の開祖です。釈迦はの生誕と入滅はいろいろな説があります。
(1) BC.566年-486年(高楠順次郎説)
(2) BC.565年-485年(衆聖点記説)
(3) BC.564年-484年(金倉圓照説)
(4) BC.466年-386年(宇井伯寿説)
(5) BC.463年-383年(中村 元説)
(6) BC.624年-544年(東南アジア圏にて採用されている説)

いずれにしろ、今を遡ること2,500年前のことです。その頃のインドを想像してみましょう。釈迦は仏教の開祖ですが、アショカ王(在位:紀元前268年頃 - 紀元前232年頃)の時代という仏教がインド全土、今のパキスタン、スリランカまで席巻した2,200年前と釈迦の生きていた時代は違います。

釈迦の生きていた時代のインドはヒンズー教の時代。ヒンズー教徒は、釈迦をヴィシュヌ(ヒンズー教の最高神の一人)のアヴァターラ(化身)と信じています。ヒンズー教徒だけでなく、スリランカの仏教徒のほとんども釈迦はヒンズーの神の一人と信じています。ダシャーヴァターラ(ヴィシュヌ神の十化身)として知られる最も重要な10の化身の最も新しい9番目の化身という存在だと伝わっています。インドの人々にとって、釈迦はヒンズー教徒なのです。

ヒンズー教とは何でしょうか?それは、日本人にとっての古神道みたいなものです。今の体系化された神道とは違います。大昔、縄文時代から日本人という民族、グループがあって、自然に生じて、人々に伝搬し、伝わってきた物の考え方、宗教観、世界観、そうしたものをすべてひっくるめて、神道の世界だと思います。縄文時代、弥生時代、神道を宗教という人は居なかったでしょう。そういう神道の世界で誰が信者なんだといったら、日本に生まれた人が神道の世界の住人なんだと言えます。ヒンズー教も似たようなものであると私は思います。

ある民族に固有の宗教で、開祖もいないし特定の教義もありませんでした。ひとつの文化的世界があるだけです。ヒンズー教はインドの民族宗教で、釈迦が生まれるずっと前、古代からヒンズー教の世界がありました。そこに釈迦が生まれ、育ち、教育を受けて、それまでのヒンズーの世界では誰も説いたことのない、新しい教えを説いたのです。だから、仏教は独自の信仰、教義を持っていた、仏教の考えのどれもヒンズー教の教理とは違っていたのです。

ですから、インドの人たちが信じているのと異なり、信仰、教義の面では、釈迦はヒンズー教徒ではない、とも言えます。どちらが正しい、ということではありません。見方の違いです。仏教もヒンズーの世界の中のひとつの宗教だというのも正しい見方です。

ヒンズー教は多神教です。仏教にもたくさんの仏、菩薩がいます。日本の神道も多神教です。八百万の神々がいます。インド、中国の宗教も日本の宗教もみんな多神教です。仏教を一神教とみたてたのは鎌倉時代以降の新興仏教です。もともとの仏教はヒンズー教、神道と同じ多神教なのです。

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