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楽曲解説#0 『何を抱え曲を書くのか』

自分たちで自分たちの楽曲を紐解く、セルフライナーノーツ記事をこれから連載するにあたって、全楽曲に共通するBearwearトラックの本質的な部分について、作曲/ベースのKouが記しました。

Bearwearで表現したこと

今回新たに始めるBearwear楽曲解説が、自分がどのような思想の元で楽曲を作っていたかを改めて考える機会となりました。

Bearwearの音楽が、何に抗い、何を表現しているのかを。

話は2017年1月にリリースしたBearwearの1作目『Letters EP』以前にまで遡ります。

TwitterやInstagramなどのSNSが一般的に普及しきったことによる情報過多や、一辺倒なスタイルの音楽が高く評価される事にうんざりしていた2016年。

皮肉にもその不満の対象でもあったインターネットを通して90年代〜現在に至るエモ、インディロックにたどり着きました。

パンクスタイルをとっていたバンドらが、表現の幅を広げ、DIYなクリエイティビティを持って“エモ”という表現を始めたムーブメントに衝撃を受け、外の世界に攻撃的な表現でなくても、パンクな表現ができるんだと、希望を強く感じた瞬間は今でも記憶に鮮明に残っています。

何をするのにも不器用で、ただ漠然と世の中に溢れるノイズに対してのストレスを抱えていた自分は、その20年も前に生まれたスタイルに救われ、そういった音楽を作るようになりました。KazmaとTwitterを介して繋がったのもちょうどその時期です。

なぜ日本にいる自分がアメリカのエモやインディロックに惹かれるのか。それは自分の日常の行間で感じる些細な感動や不満が、アメリカのインディロックバンドが紡ぎ出す牧歌的でスローライフな世界観と接続されるからです。

ストリートから生まれる次世代の表現への渇望、自身から半径5メートルの世界で感じられる四季の移り変わりへの感動など、世の中にはまだまだ言葉にできない素晴らしいものや瞬間が沢山あります。それは商業化され、消費することが目的となってしまった娯楽とは違ったところからも得る事ができるということを皆さんにお伝えしたいです。

日本ではまだインディミュージックがインディである役割を果たせていない、という言葉をよく耳にします。欧米のインディシーンが、メジャーの画一化された娯楽に共感できなかった層の受け皿の役割を果たしているように、日本でも、よりパーソナルな価値観を持ったまま、メジャーに抗う音楽が増えることを願い、またそういった音楽によって人生が豊かになる人間が増えることを願って、これから先も音楽を作っていきます。

そういったものを自分らBearwearの音楽を通して感じてもらえると嬉しいです。

Kou
Photo by Sho Nakajima


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