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その町で友だちはできるか|しもかわ移住備忘録②

こんにちは。立花実咲と申します。

2017年から下川町の地域おこし協力隊として3年間、移住を検討されている方々に向け情報発信を行なっていました。現在は町外で暮らしていますが、下川町の雰囲気や出会った人たちのことが大好きです。

noteでは、3回に分けて、わたし自身の下川町での経験や感じていることをお届けします。

(前回の移住備忘録はこちら)
交通の便が悪くてもマイナス30℃でも移住した理由|しもかわ移住備忘録①

「移住相談窓口」の先は?

移住先の地域を検討するにあたり、人によって気になるポイントはさまざまかと思います。

家はある? 仕事は? 子育て環境は? 病院は近くにある? などなど。

地域の雰囲気など抽象的なことから、暮らしのインフラや設備など具体的なことまで、地域に住んでいる人たちに直接相談できたら、心強いですよね。

地域によっては、市役所や町役場で移住に特化した窓口を開設しているところがあります。行政ではなく、その地域に根ざすNPOや企業が、移住の相談や手伝いをしてくれることも。

どちらにしろ、住みたい地域のリアルな部分を相談できる人がいるかどうかは、移住先の地域として候補に上がりやすいのではないでしょうか。

もう一歩踏み込むと、移住“後”相談窓口があるかどうかが重要だと、わたしは感じます。

例えば、わたしが下川町に引っ越した一日目のこと。数年前ですが、今でもはっきり覚えています。

引っ越した翌日に撮った町内の写真

まだ肌寒い4月末、曇った空の下、海外に行くような大きなキャリーケースを引っ張りながら、ローカルのバスに乗って、おそるおそる降りたバス停で、役場の職員さんが待っていてくれました。

そして入居予定の町営住宅へ一緒に行ってくれたのですが、なんと電気が開通しておらず、照明が点きませんでした。

下川町の4月は、朝晩氷点下になることもあるため、ストーブがないと風邪をひいてしまいます。

そこで、電気が通るまでは町内の「五味温泉」という宿泊施設に泊まらせてもらえることに。

トラブルに見舞われつつも、不安があまり残らなかったのは、バス停で職員さんが迎えてくれ、これから一緒に働く同僚や住民の方が、初日の夜も一緒に過ごしてくれたから。町内の焼肉屋さんで夕食を食べ、「五味温泉」まで送ってもらいました。

当時、下川町には、知り合いも友人もいませんでした。もし引っ越した初日に、暗くて寒い部屋に一人ぼっちだったら、不安や不満に支配されてしまったかもしれません。

移住するまでのケアは、もちろん大事です。

けれど、もともと下川町に友人や知人がいる人であっても、新生活に不安はつきもの。

多くの人に魅力的な情報を発信することと、移住したあとも声をかけあえたり話を聞いたりできる人がいることが、同じくらい重要だと感じます。

移住者はお客さまではありません

下川町では、声を掛け合える関係性をつくる機会が、たくさんあります。

毎月1回「タノシモカフェ」というイベントもその一つ。すでに6年以上も続いている取り組みです。

月に1回、一人ひと品持ち寄って、みんなで食べたり飲んだり……つまり、ただの飲み会ですが、お酒を飲まなくても参加できます。小さい子どもを連れたご家族が参加することもあります。

過去の「タノシモカフェ」のようす

初めは「移住者カフェ」という名前でした。

けれど、下川町出身の方や、観光や視察、研修などで下川町を訪れた人たちも、同じ時間を共有して知り合える場にしたいという意図から、「タノシモカフェ」に改名されました。

毎回30人以上集まる「タノシモカフェ」をきっかけに、友だちができたり仕事が見つかったりした人もいます。

暮らしに馴染む、最初の一歩を踏み出せる場になっているのです。

こうした機会を意図的に作り出せる地域は、実はそこまで多くはないのかもしれない、と感じます。

引っ越しても「どこに行けば誰に会えるのか分からない」「家と職場の往復だけで、友だちがなかなかできない」というモヤモヤをかかえ、結局暮らしが肌に合わず、転出してしまうこともめずらしくないのではないでしょうか。

以前、町内で企画したモーニングを食べるイベントのようす

ところで先ほど、下川町には友人も知人もいなかったと書きました。

わたしは静岡県出身で、北海道には地縁もなく、一度も行ったことがありませんでした。にもかかわらず、下川町に移住した身です。

余談ですが、わたしのように「えいや!」と移住した人たちは、下川町ではあまりめずらしくありません。思い切りがいい人が多いのかもしれません。

移住した当初は、北海道ならではのカラリとした空気や、平坦でまっすぐな道路にいちいち感動していました。

同時に、うまくやっていけるか、不安がまったくなかったといえば嘘になります。

けれど、広報という役職は、地域の方々と関われるラッキーな立場でもありました。「タノシモカフェ」のような場があれば、積極的に顔を出すようにして、名前を覚えてもらいました。

今でも町外の方々に「下川に移住してよかったことはなんですか?」と質問される機会がしばしばあります。

自分なりにいろいろな経験や思いを答えてきましたが、現在は「大人になって、こんなに友だちができたことはない」と答えています。

職場でも、仕事と関係ない場面でも、暮らしの先輩としても、下川町の人々は、わたしのことをいい意味で特別視せず、フェアに接してくれます。

分からないことは教えてくれ、かといって甘やかさず、放置はしないけれどお節介でもない、心地よい距離感で、付き合いが広がっていくのです。

話が早いのも、下川町の特徴の一つだと思います。

一人と知り合えれば、どんどん輪が広がっていきます。いつの間にか、町内の飲食店に入ったら「実咲ちゃん」と声をかけてくれる人が増えました。困ったことがあると「相談がある」と持ちかけてくれる人も現れました。

押し付けがましさはいっさいなく、自分はここにいていいんだと感じることができたのです。

移住者は、お客さまではありません。

先ほど、「移住した後もケアしてくれる人がいるかどうかが大事」と書きました。けれど、いつまでも誰かに頼りっぱなしの人には、手を差し伸べるのが億劫になってしまうものです。文句ばかり重ねている人には、誰だってうんざりしてしまいます。

けれど、前向きに行動する人には、協力者が現れます。

移住したあと、自分なりの暮らしを自走できるかどうか、そして自走の手助けができるかどうか。

どちらか片方だけが意気込んでも、うまくいきません。

地域の居心地の良さは、新参者と古株の共同作業から生まれる、貴重なたからものなのだと、わたしは思います。

Text:Misaki Tachibana


これまでの移住備忘録はこちら

移住備忘録の続きはこちら

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