人間関係において完璧を求めてしまう私

私は自分のことを完璧主義とは思わないが、人間関係においては完璧主義なところがある。
子ども時代から今までの人生、大きな人間関係のトラブルを経験したことがなかった。人と喧嘩をしたこともない。どこにいっても比較的円滑な人間関係を築くことができた。揉め事が嫌いで平和主義者。自分が我慢すればこの場が穏便におさまる、と思えば真っ先に自分の本音を押さえ込む手段を選ぶ。本音が言えないことよりも、その場の人間関係が悪くなる方が圧倒的にストレスを感じるため、自分が我慢することは苦でもなんでもなかった。
こうしたある意味、成功体験が完璧主義の私を作り上げたと思う。

結婚して、親族が増えたあたりから家族関係の悩みができ始めた。というか、家族についていろいろ深く考え始めたのもある。家族について考えると、なんとなくモヤモヤして気が重くなる。「家族とはこうあるべき、こうでなければいけない」という古くからの価値観に悩まされてるのだと思う。そして、私自身だけではなく、家族間においてもみんな仲良くしてほしい、といった自身理想、価値観が私を苦しめている。

最近では一時帰国時に弟と会うと、価値観が合わないなと思うことが多くなった。余裕のなさ、許容範囲の狭さを感じて、昔のかわいい弟はいなくなってしまった、変わってしまったなと思ってさみしくもなり、心配にもなった。
また、弟と夫の間にも性格の不一致からたまに不穏な空気を感じるようになった。以前は仲が良かったから尚更敏感になってしまう。
もちろん弟だけではなく、私や夫の価値観も良くも悪くも変わったため、みんなに原因はある。
本人たちは気にしてないと思うが、私ばかりが気にしてしまっている。私が考えても仕方ないことはわかっているのに、ここ数日けっこう悩んでしまい、モヤモヤが晴れない。

世間一般からしたら大したことではないことはわかっている。家族や友達と喧嘩した、縁を切ったという話はよく聞くし、人間関係にはトラブルがつきものであるとは思う。
しかし人間関係において完璧を求めてしまう私は、みんなが仲良しでいてほしい、と望んでしまう。だがこれは私の価値観でありエゴでもある。他人のことは自分の思い通りにならないし期待するのもおかしい。それはそれで自分の価値観の押し付けになってしまう。


家族ではあってもみんな他人だから相性がある。だから合わないことがあってもおかしくない。常にみんな仲良し、なんて不可能な話である。なので、みんな仲良く、とはもう望まない。縁切らないように、程度には望みたいが、私にはどうしようもできない状況だってあるから難しいのかな。
それに人間関係も諸行無常なので、合う時期、合わない時期があると思っている。環境だってその人の価値観だって、全て時と共に変わっていく。だから合わない時期は無理に関係を良くしようとするのではなく、そっと距離を置くことも大事なのかなと考える。最悪の仲にならない限りは、またいつか仲良くなれることだってあるだろうし。

「家族はみんな仲良くなくたっていい、みんな健康であればそれで十分幸せ」って頭ではわかっているが、更なる理想を求めてしまう心。今の現実をちゃんと受け入れられていない現状。人間関係において完璧主義な私の性格。もっとラクに生きたいから、この性格変えていきたいな。


最近の気持ちを吐き出した、支離滅裂な文章になりましたが、最後まで読んでくれた方がいましたら、ありがとうございました、、!