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【Vol. 10】What If I Were a Man

“I’m so sick of running as fast as i can. Wondering if I’d get there quicker if i was a man.”

・もしわたしが男だったら?
・もしわたしのカラダがもう少し大きかったら?
・もしわたしが力持ちだったら?
・もしわたしがもう少し大きな声を出せたら?
・もしわたしがもう少し低音の声が出たら?
・もしわたしの肌の色がホワイトだったら?
・もしわたしの母国語が英語だったら?
・もしわたしが大金持ちだったら?
・もしわたしが親からの資金援助だけで世界のトップ大学に通っていたら?

わたしはどんな人間だったんだろう。
どんなに風に生きる人生だったんだろう。

高価なコートを身に纏ったカラダが大きなオッサン

図太い声で ”Excuse me” と言いながら、わたしを道の端まで追いやり、ストライキをするスタッフと学生の輪を遮って、ど真ん中を偉そうに通って行った。

1メートル先にも通れる場所があるのに。

まるで絵に描いたような横柄なオッサンだった。

あまりの無礼さに同じ円の中にいたTAと学生は開いた口が塞がらないといったような具合だった。

・もしわたしのカラダがもう少し大きかったら、
・もう少し力持ちだったら、
・肌の色がホワイトだったら、
・性別がシス男性だったら、

わたしは
道の端に追いやられたのだろうか?
偉そうな態度を取られたのだろうか?

そんなことは、誰にも分からない。

けれど特権層にいたら絶対に見られない景色を
わたしはいまこの身で体験してこの身で見ている。

人種、肌の色、性別、言語、階級、学歴、身体の特性、認知力の違い、他

わたしたちは、自分の住むコミュニティで起こる差別的な行為を一緒くたに語ることはできない。

各々の属性が複雑に絡み合って起こるイシュー。

“Fighting Simplification”

僕ができたのに、なぜあなたにはできないの?
私ができたのに、なぜあなたにはできないの?
俺ができたのに、なぜあなたにはできないの?

そういう話じゃないんだよ。

相手が同じタイプの人間に見えても、
その人が持つ属性や経験によって、
個々人が対峙するイシューは大きく異なる。
だからそのイシューへのアプローチも変わってくる。

自己責任論は、傷みを知ることなく、特権層の中でしか生きたことのない者が仕立て上げた幻想にすぎない。

わたしは今日も、
新自由主義と家父長制と闘い続けたい。

P.S.
冒頭に添付したTaylor SwiftのThe ManのMV。
MVの主人公と自分自身を同一視する人はどれくらいいるのかな。

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