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凶眼の拳 -少年、獄底にて世界を殺伐す- #5

  最初

 刑務所から出る時も、アイマスクをかけられる。
「当たり前ですがこの闘技場は違法です。秘密を完全に守るためには、例えあなたであろうとも出入り口の位置を知られるわけにはいきません」
 宇津野はそんなことを言っていた。
 まぁそんなものか。
 闘技場の存在が公になれば、一番困るのは僕だ。とりあえずは従っておこう。
 しばらく何も見えない状態で歩いたのち、車に乗せられた。数十分ほど揺られてからアイマスクを外される。
 昼下がりの陽光に照らされて、ダンボールみたいな貧乏臭い建物が建っている。
 僕が元々住んでいた、1DKアパート。僕がチンピラを十二人殺して逮捕された後も、どういうわけか部屋は売りに出されず、そのままだという。権力め。
「では二週間後、また迎えに来ます」
「……あぁ」
 仮釈放は、二週間。丁度、異視を押さえる薬がなくなる頃合だ。
 僕は去りゆく車を見送るなどという無駄なことはせず、錆びた階段を登り、さっさと部屋の玄関を開けた。
 ……ん?
 何故、鍵がかかってないんだ?
「あっ、かっ、海坂さんっ! お待ちしておりま――ひゃぁ!?」
 台所の床を掃いていた桐旗呉美の小造りな顔を、いっぱいに広げた掌で鷲掴みにすると、僕は彼女の後頭部を壁にぐりぐり押し付けた。箒が床に転がる。
「なんでここにいる」
 唸る声に、さすがに疲れが混じる。
「せっ、せっ、世話係ですから! 刑務所ではこういうことできなかったですけど、これからは掃除も洗濯も料理もするんですからっ!」
「いらない。帰れ」
 睨み付ける。
「い、い、い、嫌ですっ!」
 ――殴ればいいのだ。
 しつけのなってない犬は殴ればいいのだ。
 小指から順に握り込み、拳を形作る。手の甲に血管が浮かび上がる。
「……ふん」
 だが――やめた。
『暴力を振るっていいのは、暴力を振るってくる相手だけ』
 愛なきこの身を哀れみ蔑み取り込もうとするクソッタレな人間社会に対し、自分の正当性を主張する――そのために自ら課した決め事。
 己の魂を純化するためのルール。
 もし破れば、僕は社会に屈し、彼らの論理に取り込まれ、サイコ野郎のレッテルを貼られることだろう。そして彼らは安心し、満足するだろう。「あぁ、なんだ、ゆとり教育の弊害か。可哀想に」と。
 舌打ち。
「……勝手にしろ」
「は、はいっ! じゃあ、あの、お夕飯何が良いですか?」
「僕は勝手にしろって言ったんだよ」
「は~い」
 クルリと背を向け、台所周りの掃除を再開する桐旗呉美。小柄な背中からは、鼻歌の幻聴でも聞こえてきそうだ。
 ……凄んだのに流された。
 この女、慣れてきている。
 苛立ちをこらえながら台所を横切り、畳み部屋に入る。
 かすかな絵の具の匂いが残留している。部屋の隅に画架が立ち、床には画材や風景写真が散乱している。それらを蹴散らし、どっかりと座り込んだ。
 腹の虫が収まらない。
「おい!」
「は、は、はいっ!?」
 僕が声を上げると、ガラスの引き戸が開いて奴は顔を出した。
「コーラ買ってこい」
「ふえっ」
「五分以内ね」
「あ、あの、もうちょっとしたら買出しに行こうと思ってたから、その時」
「早くしろ」
「うぅ……はい」
 大きな瞳を涙ぐませながら、桐旗の顔が引っ込む。
 ……ホントに行きやがった。
「犬め」
 僕は吐き捨てると、床に寝そべった。

 メニューは豚のしょうが焼きとナンキンの煮物、および海草サラダだった。
 桐旗の手によるそれらは、様になってはいる。
「海坂さん」
「ん」
 お盆を胸に抱きしめながら、桐旗はじっと僕の食事風景を見ていた。
「その、どう……ですか?」
「エプロンがオバサンくさい」
「い、いや、わたしじゃなくて! お料理の方です」
「不味くはない」
「はぁ……」
「味が薄い」
「は、はい」
「量が少ない」
「お、おかわり、ありますよ」
「ん」
 茶碗を突き出す。
「は、はい」
 桐旗がそれを受け取る。
「……あの」
 僕にごはんのよそわれた茶碗を渡しながら、桐旗は部屋の隅に積み上げられた画用紙の束に目をやる。
「なに」
「絵……描かれるんですね」
「下手糞で悪かったね」
「い、いや! そんなことは……」
「美術の授業なんか顔を出したこともなかったよ。上手かったらおかしいだろ」
「で、でも、すごく力があるっていうか、荒々しいっていうか、圧倒されちゃうっていうか」
「知った風なことを」
「青っぽい感じなのに、見てると怒られたような気分になってきます」
 白飯をかき込みながら、ゴミの山を横目で見る。
 寒色系で描かれた水彩画がほとんどだ。叩きつけるような色の集合が、全体としては形になっている。
「……そうかもね」
 桐旗はおずおずと手を伸ばし、一番上の一枚を両手に持った。
 《晩秋の曇天》
 《ほとんど裸になった樹々の下で、渦巻く風が枯葉を巻き上げている》
 《痩せた犬だけが、その様をじっと見つめている》
 彼女は、しげしげとそれを見ている。
 ……だんだん不愉快になってきた。
「真剣に見るな。誰でもあるだろ、理想の世界って。単なるマスターベーションだよ」
「ます……何ですか?」
 カマトトぶってんのかこの女。死ねばいい。
 顔をしかめながら、しょうが焼きの脂身をギチギチ噛み締める。
「いいから見るのやめろ。というか君は少し黙れ」
「す、すみません……」
 しゅん、とうなだれる。
「あとテレビ付けろ」
「はいっ」
 犬め。
 テレビの音が部屋を満たす。画面の光が、木の机の表面で照り返された。
 CGで描画される魚の群れのような色彩群が、螺旋を描きながら収束し、ニュース7の字を形作る。
『日米安保条約が、破棄されました』
 開口一番、女性キャスターはそんなことをのたまった。
 ……ふーん、ついに、か。
 条約が破棄されたことではなく、その事実が公になったことに、僕は感慨めいた思いを抱く。
 紅鎬会にいた頃、右翼政党とつながりがあるヤクザと話す機会があった。
 男が言うには、日本はもう随分前からアメリカとの蜜月を終えていたとのこと。
 安保条約――正式名称『日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約』。
 これもまた、実質的には無効になっていたという。
 ――「俺らの最大の戦果さ」。
 茶髪にピアスの軽そうな見た目とは裏腹に、やたら黒い笑みを浮かべて、そいつは酒を呑んでいた。
 ……酔っ払いの与太話だと思い込んでいたが、まったくのホラでもなかったらしい。
 テレビでは、安保条約の詳細や意義について解説していた。別段興味もなかったので画面から目を外す。
 ふと、桐旗を見る。
 彼女はテレビには目もくれず、黙々と料理を口に運んでいた。
 ……一般的には大ニュースなんだろうから、てっきり何かリアクションがあるかと思ったが。
 まぁ――どうでもいいか。

 夜も更けて。
「最初に言っておくが招かれざる訪問者に対して一つしかない布団を貸すほど僕は寛大な人間じゃない」
 押入れから布団を引っ張り出しつつ、僕はぴしゃりとそう言っておく。
「うぅ~」
「文句があるなら他で寝床を探せ。願わくばそのまま戻ってくるな」
「じゃ、じゃぁっ、一緒に寝ましょうっ」
「正気で言ってるんだったら殺すよ」
「うぅ、そんなに照れなくてもいいのに……」
「オーケーオーケーわかった。僕が折れよう。来いよ。お前に地獄を見せてやる」
「ひゃぃ……っ! す、すいません~!」

 何日かのち。
「海坂さん海坂さんっ!」
「なに」
「ど、どうですか私の絵っ」
「下手糞」
「ふぇぇっ」
「立体感の欠片もねえな。下絵なしで描いただろ」
「なっ、何故それをっ」
 見りゃわかるよ。
「なんだこの塗りは。色のにじみとか考えずに描くからこうなるんだよ」
「は、はぃぃ」
「それから、構図をもっと考えろ。このスペースは無駄だろ。君はこれで無為の虚無でも表現したかったのか? そもそも――」
 そこまで言いかけて、僕は口をつぐむ。
 こめかみがヒクつく。
「……なんで僕が君に絵の講釈垂れなきゃなんないんだよ。フザけるな。というか、なんで君はいきなり僕の部屋で絵なんか描いてたんだ。フザけるな」
「す、すいません~!」
 あぁ、もう、イライラする。

 電気を消すと、カーテンの隙間から月の光が染み出てくる。
 僕は布団に入り、天井を見上げながらぼんやりと眠気がくるのを待っていた。
「海坂さん」
 隣で寝袋に入っている桐旗が、声をかけてきた。
「なに」
「あの、海坂さんのご両親って、どちらに?」
「さぁ……多分、神奈川あたりにまだいると思うけど。それがどうかしたのか」
「いえ、その、どんな人たちなのかなぁ、って」
「どんなって、毎晩交替で犯されたことしか記憶に残ってないな」
「……え……あ……」
 口ごもる桐旗。
 その様子に思わず舌打ちが出る。
「……嘘だよ。クソッ、どいつもこいつもあっさり信じやがって。そんなに僕が過去にトラウマかかえて心の歪んだ奴に見えるのかよ」
「えぇっ」
「父さんは銀行員で、母さんはピアノの先生やってた。今はどうだか知らないけどね。愛されていた……んだろうと思う。フツーに優しい両親だった。僕がこの顔傷をこしらえた時なんてショックで二人とも寝込んだくらいだ。妹もいるよ。もう中学生になってるかな」
「い、今は連絡とってないんですか……?」
「あぁ、僕はあの人たちに関わっちゃいけない人間だ。育ててもらった恩もあるしね。幸せな家庭を壊す前に、身を引いておいた」
「……きっと心配してますよぅ」
 桐旗は眉を八の字にして、瞳をぐらぐら潤ませる。
「してるかもね。でも正直そんなことを言われても困るよ」
 僕は肩をすくめる。
「もしも両親が、僕に助けを求めてきたなら、命を懸けて手を貸してあげようと思ってる。でも、それは命を貰った義理があるからだ。それ以外のことを求められても、ちょっと、応えられない」
「そ、そんなの……」
「人でなしだなって自分でも思うよ。でも、正直な気持ちだ」
 僕は布団にもぐりこむ。
「もう寝ろよ。これ以上僕に寒い自分語りなんかさせるんじゃない」
「か、海坂さんっ!」
 がばり、と身を起こす音。
「……なんだよ」
「わたしの前から、急にいなくなっちゃったりしないですよね……?」
「フザけるな。ここは僕の部屋だろ。いなくなるとしたら、それは君の方だ」
「そ、そうですね!」
 彼女の弾むような声、念を押すような声が、眠気の中に溶けていった。

 二週間の仮釈放は、そんなふうにして、のろのろと過ぎ去っていった。

 ●

 それからは、再び狂気のリングでバケモノじみた連中をブチのめす日々が待っていた。
「素晴らしい試合でした。観客も大喜びですよ」
 いつものように注射を打たれ、薬が効いたころになって、ようやく目隠しを外す。
 眼の前には、宇津野説螺がいた。
「ああ、そう」
 僕は肩を回しながら首をひねる。すると後ろから手が伸びてきて、凝った筋肉をほぐしてゆく。桐旗呉美は試合のとき以外、常に僕の後ろをついてくる。
 なぜか宇津野が場に居合わせている時だけは極端に無口になるが。
 僕は無言で宇津野に向かって手を出した。
 奴は苦笑して、なかなか分厚い封筒と、二本のアンプルを差し出してくる。
「あんな試合を見て、面白いものなのか?」
 封筒に入った札束を確かめながら、つぶやく。
「と、言いますと?」
「一方的だっつってんだよ。最初からどっちが勝つかわかりきってるじゃないか」
 奴は笑い出す。
「なるほどなるほど、今までの相手では満足できないと御所望ですか。恐い人だ」
 嘲っているようで、妙にムカつく笑い方だ。
「いいでしょう。もう少し歯ごたえのある対戦相手を用意いたします」
「あんただよ」
「え?」
「あんたなら楽しくブン殴れそうだ」
 奴は苦笑いを浮かべる。
「私はこの闘技場のバウンサーであって、選手ではありませんよ。それに、あなたと戦うなど考えただけでも恐ろしい」
 そう言って席を立った。去り際に、僕の肩に手を置く。
「ま、上に意向は伝えておきます。次の試合は期待していてください」

 ●

 奴の言った通り、その次からは試合の様子が一変した。
 対戦相手が武器を持ち出したのだ。
 いや、それを本当に武器と言っていいのかどうか――僕には身体の一部が肥大化している異形のバケモノにしか見えない。
「おい、なんだあれ!」
 ヘッドセットに向かってしゃべる。
『何、とは?』
「人間じゃないぞ、あれ!」
『何を言っているんですか? 頭大丈夫ですか? 人間ですよ。どうやらあなたの視界では、武器まで身体の一部であるかのように見えてしまうようですね。目の前のソレは、バットを持った人間です』
 ホントかよ。
 敵が突進してくる。振り上げられた腕の先端部分は、確かにバットに見えなくもない。

 ――結局、素手とは段違いのリーチに手こずりはしたものの、動きが見えるという点では同じなので、どうにか有効打をもらわずに勝つことができた。

 ●

 それからと言うもの、勝つたびに対戦相手の危険さはエスカレートしていった。
 敵の武器は鈍器から刃物へと変化していき、事前に動きの察知しにくい技の使い手が現れたかと思えば、体重が僕の三倍はありそうな巨人だったり、多人数が一度に襲い掛かってきたり。
 そして今日、とうとう銃が出てきやがった。
 いつものように怪物じみた容貌の敵が、赤銅色の拳銃を構えている。
「おいッ!」
『言いたいことはわかっています。生きて帰ってこられれば文句は聞きますから、今は頑張ってください』
 その言葉が終わらないうちに、相手の筋肉がわずかに色相を変化させる。僕は反射的に左へと身を投げ出した。
 銃声。銃声。銃声。
 クソが! 殺す気だ!
 床を一回転して跳ね起き、走り出す。
 相手へと、一直線に。
 即座に銃口がこっちを向く。
 敵の腕が、色を変える。変化した色彩は瞬時に腕を駆け上って、指に到達。
 銃声。
 ――だが、僕はかわさなかった。
 腕を灼熱が貫いた。
 色相変化から、銃口の微妙な角度までがわかる。今のが急所から外れることは、銃声より前にわかっていた。
 相手はどうやら拳銃の名手というわけじゃなさそうだ。まぁ銃刀法が張り切っている日本に、そんな奴がそうそういるわけがない。
 さらに走り込む。あと二メートル!
 再度、銃撃の予兆が敵の腕を駆け上がる。今度はヤバい角度。
 僕は斜め前に身を投げ出す。熱い銃弾が、腰の皮膚を灼いた。
 体勢が戻らないうちに、またしても色相変化。今度は――胸の真ん中を撃ち抜く角度!
 間に合わん――!
 僕は歯を食いしばった。

 ――銃声。

 回避など到底間に合わず、銃弾は発射された。
 ただし、闘技場の天井に向けて。
 敵の手から、拳銃がこぼれ落ちる。
 僕の脚の踵が、奴の腕を蹴り砕いていた。
 回避が無理だと悟った僕は、側転のような体制から限界まで身体を伸ばし、強引に浴びせ蹴りを放ったのだ。
 ギリギリで、届いた。僕は床に倒れる。最初に撃たれた右腕から、痛みが突きあがってくる。
 呻いている暇はない。
 渾身の力を込めて起き上がると、拳銃を拾おうと身をかがめている敵の頭に踵落としを振り下ろした。
 その一撃で、相手は動かなくなった。
 息をつく。
 ポケットからアイマスクを取り出して視界を覆う。
 ……と、腰をかすめた銃弾のせいで布が破れ、片目の視界が開けたままになってしまった。
 まぁいい、眼を閉じてればいいんだ。
 そう思い、何気なく振り返る。
 と、
 そのとき。
 おかしな光景が、片目の視界に飛び込んできた。
 六角形の金網に囲まれたリング。その中央の床が正方形の形に切り取られ、下の方へと引き込まれていった。
 それ自体は別に驚くべきことじゃない。対戦相手はいつもこの仕掛けでリングに上がってくる。しかし、再び床がせり上がってきたとき、そこに、何かがいた。
 ――人間だ。
 完全な形の人間だ。
 異視刑がもたらす狂った視覚のせいで、二目と見られない顔になっていたが、その輪郭や体つきなどは明らかに人間そのものだ。
 だが、それはおかしい。
 僕が今まで狂った視界の中で見てきたのは、すべてが人間離れした異形の身体を持つ連中だ。肩が異様に盛り上がっていたり、関節の端々が尖っていたり、角が生えているように見えたり。
 僕はそれを、狂った色彩感覚がもたらす錯覚だと思っていたし、慇懃無礼なあの男もそうだと言っていた。
 だが、今眼の前に近づいてきているのは、明らかに人間そのものの姿をしている。
 つまり?
 どういうことだ?
 そいつは僕の腕をつかむと、床と一体化した昇降機の方へとひっぱっていった。
 ――試合が終わったとき、僕をいつも別室に連れて行ったのは、こいつか。
 どうやら、僕の目隠しが破れていることに気づいていないようだ。
 冷たい汗が体中を濡らす。
 僕は突き動かされるように後ろを振り返った。
 リングの外れで、さっきまで僕が相手をしていた拳銃野郎が倒れていた。
 どこをどう見ても、人間には見えなかった。

【続く】

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