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凶眼の拳 -少年、獄底にて世界を殺伐す- #6

  最初

 少し。
 情報を、整理しておく必要があるかもしれない。
 つまり、どういうことなのか、と。
 銃弾が貫通した右腕を、慌てふためく桐旗呉美にまかせながら、僕は頭の中で考えをまとめていた。
「海坂さん海坂さん」
 不意に、話しかけてくる。
「なに」
「宇津野さんが呼んでましたよ。いつもの部屋で」
「そう。わかった」
 右腕をかばいながら、立ち上がった。
 ――引け目、なのだ。要するに。
 劣等感と言い換えてもいい。
 僕がこれまでの人生で出会った他者は、ほとんどが優しく、おだやかな人間ばかりだった。
 だからこそ、彼らの親愛をうとましくしか感じられない自分に対する欠陥意識が、僕を縛っていたのだ。
 だけれども、この場所が何のために作られたどういう場所なのか、という問いに朧気ながら答えを見出しかけた今、少しだけ、真実が見えてきたような気がする。
 僕は、ただの暴力でありたかった。
 誰にも理解されず、誰のことも理解しない、ひたすら不可解で不愉快な、ただの暴力でありたかったんだ。
 だけどそれは、人である以上、不可能なこと。
「なあ」
 僕の後ろを子犬のようについて歩く少女に、目をやる。
「はい?」
 彼女は話しかけられたことがうれしいのか、眼を輝かせながら、可愛らしく小首を傾げる。
「君は本当に人間か?」
「……はい?」
「ちょっとリアリティに欠けてないか?」
「えと、あのぅ、海坂さん……?」
 表情が、不安げに曇る。ひょっとして怒ってますか?と無言で聞いてくる。
 視線を前に戻す。
「なんでもない。怒ってないよ。行こう」
 足を速めながら、僕は冷笑をこらえる。
 ――茶番だな。

 ●

 こいつの微笑はなんでこうムカつくのだろうか。
 僕は宇津野説螺の顔を半眼で睨む。
「いやいやまったく、あなたは素晴らしい人材ですね。遮蔽物のないところで、銃を素手で打ち負かす人間が、世界にどれだけいることでしょう」
 奴はそばのブリーフケースを開け、中を探る。
「観客にも大受けでしたよ。今回の報酬には色をつけておきますね」
 いつもの倍は分厚い封筒と、四本のアンプルが僕の前に置かれた。
 僕はそれを、じっと見据える。
「どうかなさいましたか? 額がご不満ですか?」
「……おい」
「はい?」
 宇津野を睨みつける。
「観客なんて、本当にいるのか?」
「は?」
 きょとん、とした間抜けヅラ。
「ここは本当に闘技場か?」
 奴は目頭を揉み解しながら、困惑した声を出す。
「あの、私には海坂さんが何を仰りたいのかよくわからないのですが……」
 思わず、席を立った。
「今まで僕が相手をしてきたモノは一体なんだ!?」
「いえ、ですから、腕に自信を持つ格闘家やチンピラで……」
 僕はこいつの胸倉を掴んで持ち上げていた。
「角の生えたチンピラなんかいる訳ねえだろ。体つきが明らかにおかしいんだよ。目の錯覚で片付くレベルじゃねえ」
「はは、まいったな。どうやら視覚異変を抑える薬には幻覚作用があるようですね。早急に対処いたしますのでどうかお怒りをお静めにな」
 僕は宇津野を壁に叩きつけた。
「いつまでとぼけるつもりだ? あ? 幻覚作用? ならなんで僕をここまで引っ張ってくる野郎だけが人間に見えるんだ?」
 数瞬、沈黙がつづく。
 やがて、低い笑いが漂ってきた。見ると、こいつは俯いたまま肩を震わせている。
 そして、顔を上げた。禍々しい嘲笑の形に頬が歪んでいる。
「気づくのが遅ぇんだよ、馬ァ鹿」
 次の瞬間、腹部を蹴り飛ばされた。
 思わず、後に下がって呻く。
 僕に胸倉を掴まれている間に両脚を畳んで、一気に伸ばしたのだ。
 奴は身をかがめた姿勢で床に降り立っていた。
「常識でモノを考えてください低能。日本にこんなアングラな地下闘技場なんかあるわけがないでしょう。人体破壊ショーなんて誰が好き好んで見たがりますか」
 奴はうずくまったままクラウチングスタートのように床を蹴り、こっちに突進してきた。
 足刀が横薙ぎに叩きつけられる。とっさに腕でガード――したと思った瞬間、蹴り脚が折りたたまれて素通りしてゆく。意表を突かれた僕は、直後に来た直蹴りをもろに喰らった。
「カ――ハ……ッ!」
 吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられる。うつぶせに崩れ落ち、咳き込んだ。
 すると今度は頭を踏みつけられた。床で鼻がつぶれ、血が吹き出る。
 強い。視覚異変を薬で抑えている状態とはいえ、まるで歯が立たない。
「まぁいいです。このへんで勘弁してあげます。鈍くさい駄犬ですが、異視の眼を持っている以上、まだ利用価値はあります」
「お前ら……何者だ……」
 ギリギリと、歯が音を立てる。
「公安の一部、とだけ言っておきましょうか。バケモノ退治などハッキリ言って柄ではないのですが、警察などに任せていてはコトが明るみに出てしまいますからね」
「なん……だと?」
「オヤオヤ、まだわからない? 本当に? 罪深い愚鈍さですねそれは」
 わざとらしくため息をつく。
「この施設は、あなたに戦闘経験を積ませるためだけに存在しているのです。街の中に下ったバケモノどもを秘密裏に始末するため、銃に頼らず戦闘の行える部隊がどうしても必要だったので」
「バケモノ……?」
「元人間ですがね」
 何がなんだかわからない。
「日本もねー、必死なんですよ」
 宇津野はしみじみと語る。僕の頭をグリグリと踏みにじりながら。
「あなたみたいなクソ駄犬にはちょっと難しい話かもしれませんけどね、安保条約が破棄されちゃってからというもの、日本はもうボロボロでね。自分の国を自分で守る気概も能力もないクズばかりでホントどうしようもないんですよ」
 紅鎬会にいた頃、叔父貴にうんざりするほど聞かされた右臭い話が、まさかこんなところで出てくるとは思わなかった。
「改造人間っていえばいいんでしょうかねえ。敵地に潜伏して諜報活動を行うサイボーグ兵士! ――みたいな馬鹿げた存在が多数日本に乗り込んでいまして。以前まではアメリカ様様が睨みを効かせていましたし? そんなに深刻でもなかったんですが、今はもう入り放題の情報盗み放題ですよ。なにしろホラ、サイボーグってすごく強いらしいですから」
 宇津野は肩をすくめる。
「で、そいつらを摘発するために日本もいろいろ頑張ったんです。有事法制も変えましたし、アメリカに泣きついたりもしました。自衛隊に改造人間の部隊も密かに作りました。でも無理でした! 日本って遅れてるんですよ。サイボーグ技術全般が。いえ確かに? 一から機械を造るということに関しては世界でもトップレベルですよ? しかし生身の人間に能力を追加するっていうのは、また別のノウハウが必要になってくるんです。その蓄積が絶望的に足りない。だから今でも他国の改造諜報員に翻弄されっぱなしです」
 なんとなく、話が見えてきたような気がする。
「まさか、バケモノって……」
「えぇ、失敗作です。なにしろ国家存亡の危機と言っても良い事態ですからね。無茶しましたよ。で、その結果、改造を受けた人間はことごとく正気を喪いまして。復讐のために野に下った奴が九人ばかり」
 なぜか愉快そうな宇津野。
「今更和解が成立するとも思えませんし、何より失敗作どもは存在自体が国家の汚点ですからね。これはもう消すしかないでしょう――ってことになったんです。まったくこの国の保身体質は救いがたいですね。フタをすれば臭いものが消えるわけでもないでしょうに。まぁそういうわけで抹殺部隊を組織する必要に駆られた我々公安は、こういうことに長けた人材を発掘するため方々に手を回しました。というか平たくありていに申しますと司法の偉い人に金を握らせたんですが」
 ――司法の偉い人。
 何かが繋がる感覚。
「……僕の異視刑は……」
 耳障りな嘲笑。
「一度に十二人も殺した、イカれたガキがいるという情報はすぐ耳に入ってきました。あとは異視刑とかいう刑をでっち上げて戦闘訓練を誘導するだけです。簡単でした」
 僕は鼻の骨が砕けるのにも構わず強引に顔をずらし、踏みつけてくる宇津野の脚を外した。
 吼えながら立ち上がろうと身を起こすと、いきなり顔面に衝撃が走って吹っ飛ばされた。
 意識が遠のく。
 クソッ。
「えー、念のため聞いておきますが、海坂さん、野に下った失敗作をブッ殺すのに手を貸すつもりはありますか?」
「あるわけねえだろ! なんでお前らの尻拭いなんかしなきゃなんないんだ!」
「あ、そう、残念です」
 投げ遣りな口調でそう言うと、宇津野は足を振り上げ、机の上のアンプルを踏み砕いた。
 透明な薬液が机に広がる。机が揺れ、注射器が床に転がる。
「あーあー、もったいなーい」
 他人事のように言い捨てる宇津野。
「何が、言いたい……」
「あれあれ? わかりませんか? 頭悪いですか? こんなにあからさまなジェスチャーなのに」
 音を立てて砕けたガラスを踏みにじる。
 わかる。わかりすぎるほどわかる。
 ――協力しないのならもう薬は渡さない。
 つまりはそういうこと。
 額を、ぬるい汗が伝っていった。
「考えるまでもありませんよねぇ?」
 奴の微笑みに――――僕も、微笑を返す。
 そう――まったく考慮に値しない。薬がなければ僕はまっとうな社会で生きていけない。それ以前に、ここで突っぱねれば相手は超法規処置でも用いて僕をどうにでもすることができるだろう。
 選択肢など最初からないのだ。
 返答は決まっている。

「嫌だね。お前らには死んでも手を貸さない」

 そう、それしかない。
「……へぇ、驚いた。単純な損得勘定もできなかったとはね」
 宇津野はガラスを踏む足を床に戻すと、ゆるく両足を開いて構えを取る。
「我々に泣きついて犬みたいに飼われる結果はどうせ変わらないのに、何を無駄なことを」
 その踵が軽くリズムを刻み始める。
「一応、その愚かで哀れな決断の理由を聞いておきましょうか」
「僕に植え付けられたこの視覚は、原因がどうあれ必要なものだった。きっかけなんだよ、僕にとってはな。それがだんだんわかってきた。それだけだ」
 そう、この眼はきっかけ。
 他者と相容れることのできない欠陥人間。そうした世界観をこの上なくわかりやすく体現した異視の眼は、だからこそ僕に与えられた格好の枷なのだと。
 ――ぐにゃりと、視界が変容してゆく。
 まだまだ時間はかかるが、いつかこの視覚を自分の一部として受け入れられたとき。
 ――目に映る世界すべてがおぞましい色彩を帯び、臓物の感触を宿す。
 そのときこそ、僕はひょっとしたら、世界に対してもう少しマシな立ち位置を獲得できる。そんな気がするのだ。
「意味わかんねえこと言って煙に巻くのやめたらどうなんです? 強がってんのが見え見えなんですよバラガキ。黙れよ。寒いんだよ」
 目の前で、ぬめる表皮と細長い手足を持った肉塊が言った。
 その姿が一瞬色を変え、直後に消失する。それほどのスピード。
 僕は迷いなく左へ旋回し、拳を突き出す。
 全身のねじれが噛み合い、収束した一撃。僕の左後方へ回り込んでいたバケモノの側頭部へ猛進する。
「ッ!」
 しかし、斜め上方から迫り来る蹴りを防ぐために、その腕を使わざるを得なかった。
 腕に、衝撃。
 当たった位置は回転半径の小さい大腿。最小限のダメージ。だが、直後にその脚が異様な色彩変化を見せる。
 その意味は、わかっていた。相手の脚が、一瞬の後にどういう動きを見せるのかも。
 だけど、反応できなかった。あんまり予想外だったから。
 蹴り脚が、モーションの途中で折れ曲がり、僕の腕に絡みついてきたのだ。
 即座にもう一方の脚が、僕の顎を砕かんと跳ね上がってくる。
 のけぞってかわし――すぐにその行動がいかに危険だったかを思い知る。
 色彩変化。
 脚を腕にみっちりと絡みつかせたまま、奴の身体が宙を舞った。僕の肩を乗り越え、後方へ。
 腕の靭帯が引き伸ばされ、悲鳴を上げる。
 そのまま着地を許せば、腕の関節がねじられ破壊されてしまうだろう。僕はやむなく後ろへ倒れ込み、ねじれを打ち消す。
 背中が床に着いた瞬間、僕は後ろへさらに一回転し、絡みつく脚を解きつつ跳ね起きる。
 同時に飛んできた前蹴りを叩き落とし、踏み込んで拳を振るう。
 破裂音。
 僕の拳と奴の掌底がぶつかったのだ。
 その反動のまま、互いが飛び退く。
 間合いが離れる。視線が交わされる。
「てめぇ、視覚が……」
 宇津野が顔をしかめてこっちを睨んでいる。異視覚の世界では、そんな表情の変化も凄まじく醜悪だ。
 だが、奴はすぐに表情を改めた。
 スカした微笑み。そして鼻を鳴らす。
「ま、いいでしょう。薬では飼い慣らせないとしても、私の一部にしてしまえば関係ありませんから」
「……何を言っている?」
 眉が寄る。
 僕の疑問には答えずに、宇津野は構えを解いた。腕を組み、頬を歪める。
 威圧的に見開かれた黒い眼球は、僕の方を見ていない。
 見ていたのは――
 瞬間、僕は前へ倒れ込んだ。
 後頭部のすぐ後を、刃のような突風が走り抜けてゆく。髪を揺らす。
 前転しながら床に手を付き、片手逆立ちの状態で旋回。振り返りざまに回し蹴りを放ち、そのまま側転して立ち上がる。
 蹴りは、避けられた。
 もとより、立ち上がる瞬間の隙をカバーするための動きだったから、当たるとは思っていなかったが――
 後から襲撃してきた奴の姿を見たとき、僕は眼を細めた。
 あぁ、見間違うはずもない。
 抱きしめれば折れてしまいそうな、ほっそりとした輪郭。背丈はちょうど、僕の眼の高さ。
 異視覚の世界の中で、真っ白に染め抜かれた髪が、クラゲのようにゆらめいている。
 一目見ただけで分かった。
 桐旗呉美。
 それ以外にありえない。
「やっぱり、飼い主の意向には逆らえない、か」
 僕は頬に微笑みを宿す。
「いいよ、来な。遊んでやる」
 今までで一番、優しい笑顔。
 感謝と、決別の想いを込めて。
 一応、気づいてはいたのだ。彼女の痩身が、実は相当鍛えられたものであることに。技のすべてに、刃物のような切れ味を持たせるための、細くしなやかな肉体。
 桐旗呉美がただの女の子などではないことは、二週間も一緒に暮らしていればわかる。闘うために練り上げられた存在なのだ。
 ――だが。
 それがどうかしたのだろうか。
 宇津野説螺ならともかく、こんな犬野郎ごときに負ける気はしない。

【続く】

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