渾沌堕胎腫
慌てて砦樹の屋上に戻り、掩蔽枝の狭間から改めて見やる。
危惧したとおりだった。後方に下がったスケルトンオークたちが、新たな矢を輜重部隊より受け取っている。
そして――その鏃が油に浸され、火がつけられた。
「まずい――!」
火矢自体は森にとってさほどの脅威ではない。オブスキュアの樹木は他地方と比べて水分含有量が非常に多く、生木ではまず燃えない。葉が多少焼け落ちるにせよ、被害は一定のレベルで収まるだろう。
だが、最外周の樹々に括りつけられたしめ縄のほうはそうはいかない。普通に燃えるし、そうなれば禁厭法の呪力が維持されなくなってしまう。
「オブスキュアの民らよ! 敵陣後方のスケルトンオークを射よ!」
「は、はいっ!」
不意の命令に即座に対応、というわけにはいかなかった。平民たちの大半は、アンデッドの接近に半ば恐慌をきたしてうずくまっている。ケリオスの号令に従って弓を構えるものの、一瞬のもたつきがあった。
蟇目鏑の聖鳴が大気を斬り裂く。すれ違うように、敵方から大量の火矢が射込まれてきた。
次々と樹々に突き立ってゆく。当然ながら火矢はしめ縄には当たっていない。エルフほどの弓の腕前はないのだ。しかし、こんなことを繰り返されればいずれ結界が崩れ去るのも時間の問題である。
さらに、スケルトンオークらは粗末な木製の大盾を構え、浄化の矢を受け止めていた。物理的な威力が皆無の蟇目鏑では、あれを貫通することなど不可能だ。
「騎士戦力を二つに分ける! 地上で結界の崩壊に備える部隊と、樹精鹿に騎乗してスケルトンオークに強襲をかける部隊だ」
「なっ……あのアンデッドオークの群れを突破して、ですか!?」
見ると、主力歩兵部隊は結界のぎりぎり外側に居座り、スケルトンオークたちはその後ろだ。
「それしかあるまい。幸い、アンデッド化したからといってそう極端に動きが変わるわけではない。勝手知ったる相手だ。死力を尽くして活路を開くよりほかあるまい」
〈あいや待たれよケリオスどの。〉
「むっ」
見ると、戦術妖精がケリオスとリーネの間に滞空していた。総十郎の声を届けている。
〈禁厭法はそこまで脆弱な結界ではない。しめ縄が一部焼け落ちたところで、即座に消えて失せるわけではなく、効力が漸減してゆくのだ。ゆえにまだ打って出るほど切迫した状況ではない。とはいえ死霊の軍勢がそのような文明的戦術を駆使してくるのは小生も予想外であった。そちら方面の脅威度を上方修正するとしよう。〉
瞬間、戦術妖精の翅が、何か凄まじい絶叫が幾重にも交響しているのをまざまざと伝えてきた。
総十郎のいる場所でも戦いが起こっている。
二人の騎士は、目を見開いた。
●
人族の領域と〈化外の地〉を隔てる緩衝地帯としてエルフたちの王国は鎮座していたが、この森林国家は東西に長く長く列なる大山脈の切れ目に存在していた。
トーリア連峰。
標高は森林限界高度を遥かに超える、峩々たる山並み。その中腹から上は氷河に閉ざされ、南北の行き来を絶対的に拒んでいる。迂闊に登ろうものなら高山病からの凍死は避けられない。まさしく人界と魔界を隔絶する壁であった。
その中でも標高が他とは比較にならぬほど緩やかな場所に太古の森が生育し、エルフたちの揺籃となったのだ。よって、オブスキュア王国を鳥の視点で見下ろした場合、その領域は左右に鋭い切れ込みが存在する円形を成している。
さて、〈化外の地〉からのオーク侵攻に備え、エルフたちは南半分の円周上に砦樹を育て上げた。防衛施設をずらりと並べることで、どこから外敵が来ても即座に対応できるわけであるが――この守りには二点、穴があった。
すなわち、東西の切れ込み部分である。
総十郎は、やや眉をしかめて目の前の魔獣を見やっていた。
何かのアンデッドであることはわかる。その肉体は腐敗し、爛れている。
しかし、何のアンデッドなのかがまったく判然としない。
きちきち、きちきち、と何かが擦れるような音を立てながら、それは無様な足取りで近づいてくる。
昆虫めいた節足が神経質に蠢き、醜悪に膨れ上がった肉塊が脈打っている。ある箇所では剛毛が生え、ある箇所は鱗に覆われている。全体としては蜘蛛の体の上に人間の上半身が生えているようなフォルムであったが、その体のあちこちにありとあらゆる生物種の特徴がでたらめに配されていた。目や、鼻や、牙の生えた口や、翅、触腕、翼、口吻、ありとあらゆる器官が、ありとあらゆる所に備わっている。それぞれ別の意志を持っているかのように蠢いている。すべては青黒い血管の網に包まれ、痙攣しながらよたよたと進んでくる。その体高は、人間に二倍から三倍はあった。
そのような奇怪な生物が、数十匹。山を下って森の領域に侵入しようとしている。
「――ふぅむ」
総十郎は、しげしげとその怪異に見入った。お世辞にも美しいとは言えないが、実に興味深い。
〈ソーチャンどの、まさか別方向からも敵が!?〉
傍らに滞空していた〈カビタス〉くんが、リーネの声を伝えてきた。
「山脈方向より侵入物あり。リーネどの、多種多様な虫や動物の特徴をでたらめに配置した奇怪な生物について心当たりはないかね?」
〈え……で、でたらめ……混沌堕胎腫!? い、いけない! それはとても危険です!! 体液が強酸性で、斬りつけると噴き出してきます!! すぐに退避を!!〉
「なんと、それは恐ろしい。まぁ、吹き出る液体程度では小生は捉えられんがな。」
〈へ!?〉
「安心めされよリーネどの。こういうこともあろうかと事前に準備はしてきた。ここは小生一人で問題ない。それより、そちらにはフィンくんに行ってもらうとしよう。彼は小生とは異なり、軍略のプロフェッショナルである。なにがしか善き打開策を講じてくれよう。それではひとまず通信は終わる。」
〈いや、あの、ええ……〉
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