秘剣〈宇宙ノ颶〉 #3
「ありがとうございましたぁー!」
何本かの演舞を終え、よたよたと母屋に帰ってゆく婆ちゃんを母屋に送ってから、先輩と二人で今日見た技法の反芻実践をし、今日の稽古はお開きとなる。
「送っていきますよ」
先輩が制服姿に着替えて出てくると、ぼくはそう声をかけた。
「うん、いつもごめんね」
「ぼくが勝手にやってることですから、お気になさらず」
「そう? じゃ『ごめんね』じゃなくて『ありがとう』ねっ」
彼女はその子どもっぽい造形の顔に満面の笑みを灯す。
思わず、眼が細まった。
「えぇ、では服の上からブラを着けるというその前衛的ファッションの所以でも語り明かしながら帰路をゆくとしましょう」
荒々しく道場の扉が閉ざされ、激しい衣擦れの音とともにくぐもった声が訴える。
「今のナシ! ウソ! 夢! 妄想!」
「えぇ、わかってます、わかってますとも」
ぼくは穏やかに微笑む。
まったく、何かにつけてそそっかしい人だ。
一分後、再び荒々しく扉が開かれ、先輩が出てくる。
やや上気した顔をプイとそむけた。
「行こっ!」
「はいはい」
もう九時を回り、太陽はすでに沈みきっている。
先輩は、道場以外では居合刀も木刀も持ち歩かないので、いくらなんでも無用心だろうと思い、しばらく前からぼくが送っていくことにしている。
それに。
「近頃は、このへんでも辻斬りなんか出るらしいですしね」
そう、辻斬りである。
通り魔ではなく、辻斬りである。
帯刀禁止令以降の日本にそんな単語が幅を利かせている時点で、なんかもう、なにかが間違ってるような気がするのだが、辻斬りとしか言いようのない事件なのでそう呼ばれている。
斬殺死体、である。
老若男女の区別なく、日本中のいたるところでそういう死体が発見されるようになって、はや十年。
どう考えても単独犯ではないのだが、ではなぜ全国の頭の弱い人が一斉に辻斬りなんかやりはじめたのか、その理由は今もってわからない。
警察の諸兄にはさっさとなんとかしていただきたいものだ。一応取り締まりは強化されているそうだが、今度は警察官が斬り殺されるという事件が頻発しだしているらしい。
この国は今、空前の人斬りブームなのだ。
「あー、やだよねー……ホント、なに考えてんだろ」
「別に、ちょっと棒フリを覚えて有頂天になった馬鹿野郎がトチ狂ってるだけでしょう」
「辛辣だね」
「……これでも言葉は抑えたほうです」
そして、そう間違った認識とも思わない。
武の道を、単に暴力のための手段として捉えている彼らは、よほど理解力が足りなかったか、精神的に幼かったのか。いずれにせよロクなものじゃない。
ぼくは別に好きで居合を始めたわけではないが、それでもこの世界に長年触れて、何人もの尊敬に値する人たちに出会えた。
あんな奴らのために、まっとうな剣者の方々が白い目で見られているなんて、とても理不尽な状況だ。
「ひょっとして、何か嫌な思い出でも?」
何気ないその質問に、ぼくの心臓が一瞬停止する。
「……いえ、その、ちょっと――」
――母を斬り殺されちゃいまして――
「――あいつらの事件のせいで見たいドラマが潰れちゃいまして」
くすっ、と。
彼女は笑う。
「あるよねー、そういうこと」
「しかもすごく重要な回だったらしく、ヒロインの病気が治るだの治らないだの」
「あはっ、なにそれ、ベタだねぇ」
そりゃベタでしょうよ。
今でっちあげたんだから。
●
――ぼくは、夢を見ている。
父さんに秘剣の話をしてもらったときのことを。
あれは確か小学生の時分じゃなかったか。
ぼくが赤銀武葬鬼伝流の小目録術許しを貰った日のことだ。
まだかなり小さいぼくと、今も昔も変わらず大柄な父さんが、道場で正座して向き合っているさまを、今のぼくはすこし離れたところで見ている。
「刀を使った立ち会いってのはよ、その勝負の本質は〝機〟の取り合いになるんだ」
「機? 何のこと?」
「必ず勝てる瞬間のことだ。その瞬間、特定の方法で打ち込めば確実に一本取れる。そういう隙のことだ」
「そんな都合のいい隙なんて、本当にあるの?」
「あるさ。必ずある。どんなすげえ剣士でもな。〝刀を振る〟という動作の構造上、絶対に発生する。……といっても、機をうまく見抜くのは、俺ほどの達人サマでも毎回成功するわけじゃぁねえ。機が一種類しかないんならそれもできるが、主だったものだけでも〈先の先〉、〈先〉、〈先の後〉、〈後の先〉と四つもありやがって、それぞれに打ち込み方も違ってくる。こうなるともうバクチだな。その上相手が本心を隠してニセモノの機を見せることもあって、話がさらにややこしくなってくる」
「頭痛くなりそうだね……」
「この世に存在するあらゆる剣術はな、今言った四種の機のどれかを狙う意図で編み出されたものだ。例外は……まぁ、すごく少ねえとだけ言っておこうか」
「ふーん」
「〈先の先〉の機を狙う奴は、敵から見ると〈先〉もしくは〈先の後〉の機を晒している。同じように、〈先〉や〈先の後〉の機を狙おうとする奴は敵から見ると〈後の先〉の機を、〈後の先〉の機を狙う奴は〈先の先〉の機を晒している。ま要するにジャンケンみてえなモンだ」
「じゃぁ必勝法なんてないんじゃないの?」
「基本的には、そうだ。だが、ジャンケンとは違う点もある。相手の機を、実際に仕掛ける前に見ることができるってところだ。先読みが効くんだよ。相手に読ませておいて実は……! なんてこともザラにあるから、絶対じゃねえがな」
「難しいね」
「ま、それはそれとして、だ。赤銀武葬鬼伝流には、こういうしょうもない三すくみ状態から一段抜きん出た境地が存在する。……いわゆる秘剣って奴だ」
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