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秘剣〈宇宙ノ颶〉 #2

  目次

「ごごごごめんっ! つい木刀のつもりでやっちゃった」
 すぐに彼女が、ウルフカットの髪を揺らしてしゃがみ込んでくる。
「……木刀なら気軽に殴ってもいいというわけではないと思いますが」
 ジト眼で睨むと、彼女は頭を下げながら勢いよく合掌する。
「ホントごめんっ。次からはちゃんと峰打ちにするから」
 ものすごく失礼な問題なので面と向かって言ったことはないが、彼女は、その、直接的な表現を使うなら、ほんの少しだけ、頭が緩い、ような印象もなきにしもあらずというか……うん。
「で、知ってるんでしょ? 師匠が必殺技みたいなものを使うってこと」
 実を言うと、知っている。
 もう十年も前、道場で居合をやらされはじめたときから。
 ――我が家に代々受け継がれる云々。
 ――必勝にして必殺の術理が云々。
 ――門外不出にして一子相伝の云々。
 最初聞かされたときは何の冗談かと思った。
 奥義?
 奥義ですと?
 それは一体、何ゲージ消費するんですか?
 幼かったぼくは、しかし内心でそうバカにしていたものだ。
 それ以来、思い出すこともなくなっていた。
「……どこで知ったんです?」
「お爺ちゃんお婆ちゃんの世代では、はっきり言って有名よ? 赤銀とこの宗主は条理を斬り裂く秘剣を持つって」
「はぁ……で、そんなこと信じたんですか」
 もう少し常識の世界で生きたほうがいいと思います。
「もちろん」
 ――空気が、変わった。
 もやもやとした陽光のように曖昧だった彼女の視線が、引き絞られた。
 先輩の頬から、笑みが消える。
 その大きな瞳には、ひたすら真っ直ぐな……使命感?
「その秘剣を、わたしがもらう」
 いや。
 いやいやいや。
 だから、なんで?
 そう聞きたかった。
 口は、動かなかった。
「アー」
 いきなり、猫みたいな赤ん坊みたいな声とともに、道場の扉がガタガタと鳴り出した。
「……あ、師匠の時間だった」
 道場の扉の間から、ちびっこい婆さんの姿がのぞいている。入ってこようとしているようだが、扉の開け方を忘れてしまったのか、いつまでもまごまごしている。
 赤銀武葬鬼伝流しゃくぎんむそうきでんりゅう宗主、赤銀ツネ。
 齢八十七を数える我が祖母。
 すぐに霧散先輩が駆け寄った。
「師匠~もう、言ってくれればいいのにっ」
 先輩が扉を開けてやる。
 よたよたと危なっかしい足取りで、ツネ婆ちゃんが道場に足を踏み入れた。
 よれよれの浴衣がけで、凍った滝のような白髪が腰まで垂れている。深い皺が刻まれたその顔には、縦一筋に長い斬傷が走っており、右眼は潰れていた。
 この傷がいつどこでつけられたものなのか、もう誰にもわからない。ボケる前の婆ちゃんを知る唯一の生き証人たる父さんですら、聞き出すことはできなかったそうだ。
 骨ばった左手には、小振りの居合刀が握られている。それを右手に持ち替え、上座の方向へゆっくりと一礼。すぐにまた左手に戻す。
「……婆ちゃん、また裸足で来てるな……」
 いつものことながら呆れる。中庭の小石とかで脚を怪我しやしないか、心配だ。
「ささ、師匠、今日もヨロシクおねがいしますっ」
「アー」
 完膚なきまでに耄碌しているツネ婆ちゃんだが、そのわりには異常なほど規則正しい生活サイクルを繰り返している。
 毎日まったく同じ時間に寝起きし、決まって早朝と夕方に道場に出没するのだ。
 長年の習慣が、骨の髄まで染み込んでいるのだろう。機械のように、何年も同じことを繰り返している。
 婆ちゃんが先輩に付き添われ、やがて道場の中央にたどりつく。
 力尽きたように正座。
 先輩も後ろに下がって正座。
 ぼくも一応正座。
 それに気づいているのかいないのか、婆ちゃんは正座のまま、ゆっくりと得物を引き抜き、両手に捧げ持って刀礼。またゆっくりと鞘に戻す。カチリ。
 しばしの瞑目。
 三回ほど薄い呼吸を繰り返したのち、居合刀の鯉口を切る。
 そして喝ッと左眼を広げ、

 冷えた剣光が弧を描いた。

 ――と思った瞬間にはすでにカチリと納刀している。
 ドォン! という踏み込み音が、一瞬遅れて鼓膜を震わせた。
 コマ落としの映像かと思うほど、過程の動作が見えない。
 座した状態から踏み込み、抜刀即斬撃、斬撃即納刀。
 赤銀武葬鬼伝流は、血振りの動作を行わない。本当に人を斬ったのだとしても、刀に血がつく間もなく振り抜いてしまえばいいのだ。
 ……いや、そんなことできるわけがないのだが、ツネ婆ちゃんの動きを見ているとひょっとしたらできるんじゃないかとバカな妄想を抱いてしまう。
 驚いたことに、これらのアクションを終えたあとにも三日月の残光が空間に浮いているように見える。網膜に焼きついたのだ。
 婆ちゃんは、片膝立ちのまま残心している。
 やがて左足から一歩退き、正座する。
 空気が、弛緩した。自分が息を吐くのを忘れていたことに気づく。
「はー……」
 先輩とため息がハモった。
「ア~」
 と、婆ちゃんは上機嫌。

【続く】

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